第41話 抱擁
荒木警部たちを乗せた覆面パトカーは県道287を走っていた。そこに佐川刑事から無線連絡が入った。
「こちら佐川。水上貴子と紅林利勝は逮捕しました。水上翔太君は無事です。こちらで保護しています」
「ご苦労だった。今、そちらに向かっている。緑川由美も一緒だ」
荒木警部はそう返事をした。そして由美に声をかけた。
「翔太君は無事です」
由美はその無線のやり取りを聞いていて、ほっとしてうれしさのあまり、その目には涙が光っていた。
「ありがとうございます」
「もうすぐ翔太君、いや楓太君に会えます」
荒木警部はそう言って「はあっ」と安堵の息を吐いていた。
中野警部補が翔太を連れて来た。佐川刑事は彼女に紅林を引き渡した。
「湖上署に犯人2人を連行してください。梅原と一緒に」
「あなたは?」
「荒木警部と合流します」
そう言って佐川刑事は翔太と目線を合わせるために少しかがんだ。
「翔太君。緑川先生が一緒に来ている。君も行くか?」
「う、うん・・・」
その返事はあいまいなものだった。彼は貴子から聞いた事実を思い出して心が乱れていた。緑川先生が本当の母親だと・・・。
両親から愛情を受けずに生きてきた。そんな彼を緑川先生は森野以上に親身になってやさしく接してくれた。彼にとって母に近い存在だった。だが・・・
(緑川先生が本当の母親?)
そう聞かされて複雑な気分だった。そうあればいいと思っていた半面、どうして今までそれを教えてくれなかったのかという疑問が大きくのしかかっていた。
佐川刑事はそんな翔太君の気持ちを感じ取っていた。
「じゃあ、行こう。すぐに会える」
翔太を助手席に座らせて佐川刑事はジープを走らせた。辺りは日が沈みかけて暗くなり始めていた。しかも民家の灯がわずかに遠くに見えるだけの田畑の中を薄暗い道はもの悲しく寂しくもあった。翔太君は顔をうつむけている。
「君の本当の名前は楓太だ。『カエデ』という木から取っているそうだ。秋になればその葉は真っ赤に色づく・・・」
佐川刑事が話し始めた。
「両親の愛情を受けていたんだ。だが君が赤ちゃんだったときに同い年の翔太君と入れ替わってしまった」
「その翔太・・・君は?」
「かわいそうに死んでしまった。でも緑川先生だけは入れ替わったことに気付いていたんだ。そして君の担任として初めて会った時にすぐにわかったんだ。自分の子だと」
「どうして言ってくれなかったの・・・」
それが翔太の心に重くのしかかっていたことだった。佐川刑事は一呼吸開けて話した。
「急にそんなことを言ったら君が戸惑うと思ったんだ。緑川先生は君があの家で幸せに暮らしていると思っていた。だから言わなかった」
「でも・・・」
翔太はまだ割り切れない気分だった。
「緑川先生はよく調べてみて何もかも分かったんだ。君はあの家で両親に愛されていないと。それに君は命を狙われていた。それで必死に君を守ったんだ。それにこのことを企んだのは君のまま母だ。そんな辛いことを知って君が傷つくのを恐れたんだ。緑川先生はずっと君のことを思っていたんだ」
佐川刑事はそう言った。それを聞いて翔太は黙り込んでしまった。頭の中を整理してじっくり考えているようだ。佐川刑事は彼をそのままそっとしておくことにした。
ジープは北上してやがてメタセコイヤ並木の場所まで来た。道のわきに約500本の木が植えられている。この時期には黄色からレンガ色に染まり、まっすぐにのびる道と調和し、美しい景色を作り出していた。
暗くなった道をヘッドライトの明かりが照らした。すると正面にもヘッドライトの明かりが見えた。荒木警部たちが乗った覆面パトカーのようだ。佐川刑事は車を停めた。
すると前から来た車も停まり、中から荒木警部と由美が降りてきた。佐川刑事と翔太もジープから降りた。ヘッドライトに光が前後から道を照らして浮かび上がらせ、頭上のメタセコイヤの紅葉が真っ赤な屋根を作っていた。
佐川刑事は翔太の肩を優しく叩いた。
「お母さんが迎えに来たぞ!」
翔太はうつむけていた顔を上げた。確かに正面に由美が立っていた。温かいまなざしで彼を見つめて微笑んでいた。その姿を見て翔太の中にあったわだかまりがすべて解けていった。
「さあ、行ってくるんだ!」
佐川刑事はその背中をそっと押した。それで翔太はゆっくり歩き出した。
一方、荒木警部は由美にこう声をかけた。
「あなたの息子さんです。迎えてあげてください」
由美はうなずくとゆっくり前に進んだ2人の距離は最初は少しずつ、やがてすぐに縮まった。由美も翔太もお互いに駆け寄っていた。
「お母さん!」
「楓太!」
ヘッドライトで照らされた紅葉の中で2人は抱き合った。先生と生徒という立場ではなく、血のつながった母子として・・・離れていた11年の年月を越えた。由美は涙を流していた。
「ごめんね。本当のことを言ってあげられなくて・・・」
「もういいんだ。僕はわかったんだ」
もう2人の間には何の障壁もなく、やっと本当の母子になれたのだ。2人の頭上の紅葉がそよ風にやさしく揺れていた。
佐川刑事はその光景をほほえましく眺めながら荒木警部のそばに行った。
「警部。拳銃をお返しします」
「ご苦労だった」
荒木警部は拳銃を受け取ってねぎらいの言葉をかけた。
「いえ、湖国が来てくれて助かりました」
佐川刑事は軽く頭を下げた。荒木警部は抱き合う母子の姿に微笑んでいた。
「11年の時間はこの母子の間に溝を作った。だがもう大丈夫なようだ」
「そうだと思います」
「しかしこれからが大変だ。2人の周辺には問題が山積みだろう」
「ええ。しかしこの母子なら乗り越えていくでしょう」
佐川刑事はそうであってくれと心の中で祈っていた。
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