第40話 追跡
荒木警部たちを乗せた覆面パトカーは赤色灯を回し、サイレンを響かせながら北陸自動車道を北上していた。左の窓から夕陽に照らされた琵琶湖と紅葉した山々が見える。後席の由美は窓に頭をもたれさせながら、ぼうっとそれを眺めながら話し出した。
「11年前、病院で子供が突然死したなんて信じられなかった。私にはわかったのです。返してもらった遺体が楓太でないことが・・・。だけど誰も信じてくれなかった。夫だった赤木までも。みんな私がおかしいと言い出した・・・」
窓から見える紅葉があの時の記憶を鮮明に思い出させていた。荒木警部は右手を顎に当てて聞いていた。
「でも私は訴え続けた。夫と離婚しようが・・・。でもあの子に会ってすぐにわかったのです。この子が楓太だと。以前から私を不憫に思っていた奥山の叔父がよく調べてくれました。それで確信したのです」
「だがあなたはそれを誰にも言わなかった。なぜです?」
荒木警部が尋ねた。
「裕福に暮らしているあの子に今更、あなたはこの家に子供ではないと言えるでしょうか。きっと戸惑って傷つくに違いありません。私は楓太が生きているだけで十分でした。このままそっとしておこうと思っていました」
「それがそうならなかった」
「ええ。叔父の話ではあの子は向こうの家では愛されていない。邪魔にされているようでした。だからあの子にはできるだけやさしく接するようにした。そしていつの日か、母だと名乗れるように・・・そう思った矢先、叔父が恐ろしいことを知らせてきました。継母がその秘書と図ってあの子を誘拐して殺そうとしているのを・・・。私はあの子を守る一心で『うみのこ』を降り、必死に逃げました。でもあの子は捕まって湖に・・・」
由美は悲しげに話していた。
「大丈夫です。佐川が追って行きましたから。きっと助け出していると思います」
荒木警部はそう言った。
車は高島を目指していた。水上家の別荘はマキノ白谷温泉近くにある。そこに行くには木之元インターから琵琶湖西縦貫道路に入り、県道287を走ることになる。
◇
佐川刑事はジープで貴子たちの乗ったボートを探していた。夕陽によって湖面が赤くきらめいている。そのまぶしさの中で目を凝らしていると遠くに船影を認めた。
「あれか!」
佐川刑事はジープのスピードを上げた。ウォータージェットの音がさらに鋭く響き渡る。するとそのボートがはっきり見えた。高速ボートに3人の人影が見える。男女一組と子供だ。そのボートはジープの存在に気付いたようだ。あわててスピードを上げている。
佐川刑事は赤色灯を回してサイレンを鳴らした。
「警察だ! そこのボート! 停まりなさい!」
スピーカーで警告を与えるが停まる気配はない。やはり貴子たちに違いないと佐川刑事はさらにスピードを上げた。
一方、その高速ボート上では貴子がジープに気付いて大声を上げていた。
「追ってきたわよ! 警察よ! 捕まらないでよ!」
「わかっている!」
操縦する紅林は怒鳴っていた。高速ボートをさらにスピードが出るように改造してある。この琵琶湖でこの船より早い船はない・・・彼はそう自負していた。だがそれでも追ってくるジープを振り切れないでいる。すでに執事の優雅さは消え失せて、凶悪な顔が浮き出ていた。
紅林がボートのエンジンの出力を上げてフルパワーの走りを続けていた。高速ボートはブルブルと不気味に震え、エンジンからはオーバーヒート気味にうすい煙が上がっている。今にも爆発しそうだった。
逃げるのに必死な紅林は翔太のことなど頭から消えていた。翔太はロープで縛られたまま床に転がされていた。耳をつんざくエンジン音で外の様子はわからない。彼はずっとおびえて震えていた。体を縛られて自由に動けない。このまま湖に放り込まれて殺されてしまう・・・。今の彼の心の支えになったのは緑川先生だった。
(先生! 助けて!)
彼はそう心の中で祈っていた。
佐川刑事はスピードを上げたがなかなか追いつけない。彼は荒木警部から渡された拳銃を取り出した。
「停まれ! 停まらないと撃つぞ!」
彼は空に向かって「パーン!」と威嚇射撃した。だがそれでも前のボートは停まろうとしない。
すると高速ボートからも「パーン!」と発砲音がした。佐川刑事は頭を低くした。紅林も拳銃を撃ってきたのだ。裏の組織とつながりのある彼なら持っていてもおかしくはないが・・・
佐川刑事は拳銃をボートに向けた。だが揺れるジープからは狙いは定まらない。それにボートには翔太君が乗っている。もしものことを考えると撃つことができない。
その間にもボートは逃げて行く。それは進路を西に向けた。広い場所に逃げてジープをまこうというのだ。日が暮れてしまうともうどうにもならない。
「もっと走れ! もっとだ!」
佐川刑事はハンドルを叩いてジープに訴えかけた。爆発寸前にエンジンを回す高速ボートに対してジープではやはり速度の面で劣る。もう一度拳銃で狙いをつけてみたが、ボートを操縦する紅林を撃つには無理があった。
(このままでは逃げられる。そうなれば翔太君の命は危ない・・・)
佐川刑事はそんな思いにとらわれていた。
ちょうどその時だった。
「ポー!」
いきなり汽笛の音が聞こえた。すると逃走するボートの前に夕陽を背にして船影が浮かんできた。それはこちらに向かってきている。その影は徐々に大きくなり、やがて夕陽に照らされてその姿を浮かび上がらせた。
「湖国!」
佐川は叫んだ。それは警察船湖国だったのだ。数か所で回る赤色灯がはっきり見える。連絡を受けてここまで駆けつけてきたのだ。
「こちらは湖上署だ! そこの高速ボート! 停まりなさい! 繰り返す! こちらは・・・」
サイレンに混じって大橋署長の警告の声が響き渡っていた。
紅林は突如、現れた警察船に度肝を抜かれていた。
「くそっ! こいつがこんなところに来るのかよ!」
高速ボートならその横をするにけられるかもしれない・・・紅林は一瞬、そう思ったかもしれないが、それは不可能になった。湖国からモーターボートが発進してきたからだ。それは逃げる高速ボートの進路を妨害するように進んでいた
紅林は大きく舵を切った。向かうは高島の湖岸である。その後をモーターボートとジープが追って行く。
モーターボートは中野警部補が操縦し、横には梅原刑事が乗っている。2人とも水上活動を考慮してウエットスーツに身を包んでいた。佐川刑事は「おおい!」と手を振った。それに気付いた梅原刑事も手を振り返した。
「ようし! これで奴らを一気に追い詰めるぞ!」
高速ボートにはもはや逃げ場はない。紅林は何度も振り返って拳銃をぶっ放してくるが、それは湖面に小さな波を立てるだけだった。
やがて岸が迫ってきていた。そこには侵入を妨げるように紅葉した木々が枝を広げて茂っていた。
紅林は焦っていた。高速ボートではもう逃げられないと・・・。それを見ていた貴子が声を上げた。
「どうするんだよ! このままじゃ、追い詰められるよ!」
「わかっている! だが2隻に追われているんだ! もう湖は逃げられねえ! 岸に逃げるぞ!」
紅林は高速ボートで岸に突っ込んだ。船底が浅くなった湖の底に引っかかり、ボートはガリガリと音を立てて止まった。
「逃げるぞ!」
紅林が貴子に声をかけた。こうなれば翔太のことはどうでもいい。2人は我先にボートを降りて水しぶきを上げながら岸に急いだ。だがエンジン音が大きくなって真後ろで聞こえてきた。紅林が振り返るとモーターボートが追ってきていた。
「来るな!」
恐怖に駆られて紅林は拳銃を続けざまに発砲した。
「パーン! パーン! パーン! カチャ! カチャ!」
拳銃の弾を撃ち尽くした紅林は拳銃を投げ捨てて岸に上がって行った。貴子はすでに道の方にまで逃げている。
中野警部補はモーターボートを岸近くで停めた。アンカーを下しながら、梅原刑事に
「行くわよ!」
と声をかけるとそのまま湖に飛びこんだ。そして彼女は紅林たちが乗り捨てた高速ボートに向かって泳いでいった。梅原刑事もあわてながらも飛び込んでその後を追っていった。
高速ボートの船底には縛られた翔太君が倒れていた。中野警部補はさっとボートに上がり、声をかけた。
「もう大丈夫よ。助けに来たわ!」
「う、うん・・・」
震えながらも意識ははっきりしていた。中野警部補は翔太君を抱き起し、縛っていたロープをナイフで切った。そして後から来た梅原刑事に言った。
「ここはいいから追って!」
「はいっ!」
そこからは浅い。梅原刑事はそのまま岸に向かって水しぶきを上げながら走った。だが岸に上がる頃には貴子や紅林はすでに道に上がり、かなり先を逃げていた。
「まずい! 逃げられてしまう!」
梅原刑事は焦りながらも追いかけた。
その時、佐川刑事のジープが梅原刑事を追い越していった。ウォータージェットから切り替え、タイヤで駆動して岸に上がった。そのままスピードを上げて道を走り、逃げて行く2人を追い越してその前に急停車した。
「止まれ! 監禁罪および銃刀法違反で逮捕する!」
佐川刑事はジープから飛び降りて2人の前に立った。貴子も紅林も必死に逃げていたから息が切れている。それでも紅林は佐川刑事に向かってきた。
「どけ! この野郎!」
紅林は必死にパンチを放ってきたが、佐川刑事はその手を取って投げ飛ばした。そして紅林を組み敷き、その手に手錠をはめた。それでも紅林は逃れようと暴れていた。
「おとなしくしろ! 内田は逮捕した。もう逃れられないぞ!」
佐川刑事の言葉に紅林はようやく観念しておとなしくなった。
貴子は紅林が逮捕されたのを見てもう逃げられないと悟って、そこにへなへなと座り込んだ。そこにようやく梅原刑事が追い付いて来て貴子に手錠をかけた。これで犯人をすべて逮捕することができた。
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