第37話 迎え

 玄宮園は彦根城の北側にある、9つの橋がかかる池泉回遊式の大きな庭園である。この時期は紅葉した木々が艶やかに色づき、池にその姿を美しく映し出していた。

 由美と翔太は紅葉した木々の下を歩いていた。辺りには観光客の姿が見える。休日だから親子連れも多い。いずれも家族仲良く、この美しい景色を満喫しているようだ。

(この紅葉の中を逃げ回るのももう最後・・・)

 由美はほっとした半面、一抹のさびしさも感じていた。警察に保護されれば翔太は安全だ。だが自分は誘拐の罪で逮捕され、もう彼とは2度と会えなくなるだろう。こんな近くで接することもできなくなるに違いないと。

 それに翔太は何も知らされないまま、由美を信じてここまで来た。継母たちが恐ろしいことをしようとしていたと知ったらどんなに傷つくか・・・そのことも由美の心に重くのしかかっていた。


 しばらくして声をかけられた。

「緑川由美さんと水上翔太君だね?」

 声をかけてきたのは背広姿の2人組の男だった。一人は目付きがきついが、笑顔の中年の男性。もう一人は細い眼鏡をかけた若い男だった。彼らからいかにも警察官という感じを受けた。

「あなたは?」

「滋賀県警捜査1課の片山です。こっちは内田です」

 2人は警察手帳を由美に見せた。そして内田刑事が懐からスマホを出した。

「奥山さんからメールが届きましたね」

 それは奥山のものに間違いなかった。

「ええ。もう大丈夫なのですか?」

「はい。すべてが解決しました。それであなた方を迎えに来ました。奥山さんもお待ちです。行きましょう」

 内田刑事が先頭になって歩き出した。その後に由美と翔太が続き、最後尾は片山警部補となった。しばらく進むと観光客から離れて人通りが少なくなった。庭園の外に出るはずだが、来た道と違うことに片山警部補が気づいた。

「内田。これでいいのか?」

 片山警部補は前を行く内田刑事に声をかけた。

「ええ、いいのです。こっちの方が近道です」

「そうか。それなら任せた」

 おかしいとは思いながらも片山警部補はついていくことにした。そもそもこれを計画したのは内田刑事なのだから・・・。


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 別室で奥山の取り調べを見ているときだった。片山警部補は内田刑事に「ちょっと外に・・・」と声をかけられた。うなずいて外に出ると内田刑事が誰にも聞かれていないのを確認してから提案してきた。

「いい方法があります。緑川由美と水上翔太を捕まえる方法が・・・」

「それならすぐに現地に向かうが・・・」

「いえ、それでは時間がかかるし、誰かが見つけてしまうかもしれません」

「じゃあ、どうするんだ?」

 すると内田刑事はポケットからビニール袋に入ったスマホを取り出した。それは奥山から押収したものだった。片山警部補がそれをとがめた。

「それは証拠品だろ。持ち出してはだめだ」

「そこは目をつぶってください。これでメールを打つのです。奥山が打ったように見せかけて玄宮園に誘い出しましょう。信用できる片山警部補が迎えに行くと・・・」

 内田刑事は由美を罠に賭けようとしていた。

「しかしその手は問題じゃないか?」

「何を言っているのです。我々がとらえたら大手柄ですよ」


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 その提案に乗って片山警部補はここに来た。今まで内田刑事の力で手柄を上げてきた。言うとおりにすれば間違いない・・・片山警部補はそう信じ切っていた。すると計画通りに由美たちを確保することができた。後は捜査本部に連れて行くだけだ。

(これで山上管理官の覚えもめでたくなる)

 片山警部補は笑いがこみあげてきた。このまま手柄を立てていったら次は捜査1課長の座も見えてくると。

 やがて人気のない静かな場所に出た。気づかないうちに玄宮園の外に出たようだ。そこには黒いワゴン車が停まっていた。

「おい! 内田! やはり道が違うようだ。引きかえしたほうがいい」

「いえ、いいのです。あの黒いワゴン車で戻った方が快適だと思いましたから用意していました」

「そうなのか?」

「ええ、そうです。緑川さん、翔太君。さあ、どうぞ!」

 内田刑事はそう促した。由美は何か嫌な予感を覚えていた。だが内田刑事がしつこく右手で促すので仕方なく由美は翔太を連れてワゴン車に近づいた。するとそのスライドドアが開いた。

「あっ! あなたは!」

 由美は驚きの声を上げた。そのワゴン車には水上貴子と秘書の大塚武志、いや紅林利勝が乗っていたのだ。由美は恐るべき敵の罠にはまったことを思い知った。

「内田! これはどういうことだ!」

 片山警部補は驚いて声を上げた。だが同時に彼は「うぐっ!」と声を発してその場に急に倒れた。その背後から内田刑事が拳銃の台尻で片山警部補の頭を殴りつけていたのだ。

 由美は振り返り、驚いて思わず声を上げそうになった。だがその前に内田刑事が拳銃を向けてきて、由美を脅して言った。

「声を立てるな! 誰かに気付かれたらここで殺すぞ!」

 由美はなんとか声を押し殺した。翔太は危険を感じて由美のそばに寄り、彼女は彼を守るように抱きしめた。

「そうだ。おとなしくしているんだ」

 内田刑事は自分の拳銃をしまい、片山警部補の懐を探って拳銃を取り出して腰に差し込んだ。そして後ろ手に手錠をかけると担ぎあげてワゴン車の荷台に放り込んだ。

 ワゴン車からは貴子と紅林が不気味な笑みを浮かべながら降りてきた。貴子は猫なで声で2人に言った。

「さあ、乗って! 何を遠慮しているの?」

「さあ、乗ってください!」

 紅林も不気味な笑顔で促した。

「どうして!」

 由美にはその言葉しか出なかった。

「ふふふ。お子さんを親の元に返しただけですよ。その後、どうなるかまでは知りませんが・・・」

 内田刑事が笑いながら答えた。

「あなたが、あなたがグルだった警察官だったのね!」

「やっとわかりましたか? 私が指示していたのですよ。『うみのこ』の事件は。自分の手を汚さないように闇バイトで雇ったのですがね。へまをした。いや、あなたが計画を狂わせた」

 内田刑事は顎を触りながら話し始めた。

「それで私がこの事件の捜査に加わるようにした。上司の片山警部補とともに。彼は私が手柄を立てたから出世できたと思っているから自由に動けましてね。あなたの足取りを追って捜査本部より早く捕らえようとしていたんですよ。まあ、途中で赤木と大崎が組んで身代金を奪うという勝手な計画を実行して邪魔になったので死んでもらいましたがね」

 内田刑事は薄笑いを浮かべていた。

「後はあなたたちを見つけるだけ。赤木の持っていたスマホから奥山が浮かび上がった。捜査員は地道にあなたを探そうとしたが、そんなことをしなくても簡単だった。奥山の名前を使って呼び出せばこの通りなんですから」

「どうして警察官のあなたがそんなことをするのですか!」

 それは紅林が答えた。

「腐れ縁でしてね。俺のやることに目をつぶってもらう代わりに犯罪の裏情報を提供してきた。それでこいつは手柄を立てた。それでこいつの上司の片山とともに出世コースに乗ったというわけだ。だから今回も協力してもらった」

 その後を内田刑事が続けた。

「だが今回が最後だ。危ない橋を渡ったからな。お前たちには死んでもらってすべては片山に擦り付ける。片山も殺せば死人に口なし。それは俺の証言しだいだからな」

 話を聞きながら、由美は目だけを動かして周囲を伺った。自分が犠牲になっても何とか翔太だけでも逃がそうと考えた。だがそれは見抜かれていた。

「おっと。もう逃しませんよ。早く乗ってください!」

 内田刑事は腰から拳銃を抜いて構えた。そうなると由美は言うことを聞くしかない。彼女は翔太を抱きかかえるようにしてワゴン車に乗り込んだ。その2列目と3列目は対面になるように改造されている。由美たちは3列目に座り、その前に貴子と内田刑事が座った。紅林は運転席に乗り込み、ワゴン車を出発させた。

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