第30話 行き当たった場所
捜査会議が湖上署会議室で開かれた。大津署ではなくこの場所になったのは、誘拐事件のため外部に事件のことが漏れないようにするためでもあった。だが山上管理官も久保課長も出席しなかった。重大事件にしてはこれは異例なことだった。
(山上管理官はこの事件を湖上署に丸投げした。多分、この事件が最悪な結果に終わることを予想したので手を引いたのかもしれない。だが・・・)
佐川刑事は腑に落ちなかった。たとえそうだとしても捜査1課が総力を挙げて捜査に当たるはずだがそうならなかった。それには別の力が働いた・・・彼にはそう思えていた。
戒名と呼ばれる看板・・・非公開捜査のため、それもない会議室に捜査員が集まってくる。だがその数はこの事件の規模としては寂しい限りだった。湖上者の捜査課に県警捜査1課から1班、そして大津署の捜査員数名・・・それだけだった。
佐川刑事はちょうどそこに来た堀野刑事に聞いてみた。
「どうしたんだ? この捜査員の数は? 捜査1課からお前のところの班しか来ないのか?」
「どうもそうらしい」
「どうしてなんだ?」
「管理官が決めたようだ。なんでも非公開捜査だから大人数にして情報が漏れるのを防ぐということなのだが・・・」
堀野刑事は奥歯に物が挟まった言い方をした。
「管理官に誰か、入れ知恵したのか?」
「そのようだ。もしかしたら班長かもしれない。班長はこの事件で手柄を立てたいから自分たちの班だけにしたかったようだ」
堀野刑事はあきれたように言った。佐川刑事はそれだけ聞いて後ろの席に座った。
(捜査が行き詰っているのに・・・。まるで湖上署に嫌がらせしているみたいだな)
しばらくしてこの事件の捜査の指揮を執る荒木警部が入って来た。
「これから捜査会議を始める。まずは今までの経過を説明させてもらう・・・」
「うみのこ」のシージャックから始まり、水上翔太と緑川由美の失踪。そして身代金脅迫と受け渡し、赤木竜二と大崎洋の死について荒木警部は話した。過去に警視庁捜査1課で様々な凶悪事件の捜査に当たっていただけあって、その説明に無駄はなく、的確な問題点を指摘していく。
「まずはシージャックを指示した主犯についての手掛かりは?」
「実行犯3名はエヴァという者から闇バイトで雇われています。彼らのスマホを科捜研で調べています。まだ少しかかりそうです。今のところ、手がかりはそれだけです」
荒木警部の質問に内田刑事がそう答えた。
「では赤木竜二については?」
「京阪浜大津駅で緑川由美と水上翔太君を車に乗せているのを防犯カメラで確認しています。夜間にレイクレンタルボートに現れるまでの足取りはつかめていません。ただし溺死した彼のポケットには緑川由美のスマホが入っていました。水没のため電源が入らず、科捜研に回しています。このスマホから脅迫メールを送っていました」
梅原刑事がそう答えると、堀野刑事が続いて発言した。
「そのスマホはシージャックの時には『うみのこ』に残されていたようです。それが大崎から赤木の手に渡ったようです」
「赤木と大崎のつながりは?」
「今のところわかりません。大崎も闇バイトということも考えられますが、彼のスマホは殺害現場から消えています」
身代金脅迫に関わった赤木も大崎も死亡している。赤木や由美のスマホの解析が終わるまで手がかりはない。
「緑川由美や水上翔太君の足取りについてはどうだ?」
「赤木の車が比叡山ドライブウェイの道端から発見されました。そこから移動したようです」
堀野刑事に続いて佐川刑事が報告した。
「麓の日吉大社に脅迫メールとともに送られてきた画像と同じ場所がありました。2人はケーブルカーで下山し、日吉大社に行った。そこまでは確かなようです」
それを受けて堀野刑事が言った。
「2人の目撃情報はまだ上がってきていません。駅の防犯カメラなども解析しています。しかしカメラの死角のためか観光客が多くて隠れてしまったせいか、まだ2人の姿をつかめていません」
誘拐事件に殺人事件・・・これが絡み合っていて手がかりが少ない。捜査会議に出て佐川刑事はそれを強く感じていた。
◇
赤木竜二が持っていたスマホの中を調べるにはまだ時間がかかるようだった。梅原刑事が科捜研にその進捗状況を聞きに行っている。
依然として緑川由美の行方はつかめていない。 捜査1課が駅の防犯カメラの解析を行っているが、観光客があまりにも多すぎてまだ足取りがつかめていない。目撃情報も今だにない。緑川由美は多くの観光客に紛れて移動したのか・・・。佐川刑事はあれからまた日吉大社に行ってみた。ここからの足取りがつかめないのだ。
緑川由美の潜伏場所を探すのは犯人から送られてきた翔太の画像だった。3枚が送られてきており、そのうち1枚は日吉大社で撮ったことが分かった。あと2枚、そこがどこかがわからない。
(近くから当たってみるか・・・日吉大社の近くで紅葉の有名な所といえば西教寺だな)
日吉大社の東本宮から「山の辺の道」よばれる歴史歩道がある。木々に覆われた小道を進んで川を渡ると急にあたりが開けてくる。そのまま行くと西教寺にたどり着く。この時期その参道は真っ赤に染まったモミジのトンネルとなっている。
佐川刑事は辺りを巡ってみたが画像と一致する場所はなかった。
「ここではなかった」
佐川刑事はため息をついたが、まだこの付近で捜索するところは数多くある。また来た道を戻って今度は旧竹林院に行ってみた。
坂本には延暦寺の僧侶の隠居所である里坊が残されており、旧竹林院もその一つである。邸内には滝組と築山を配した庭園があり、この季節には真っ赤に紅葉したモミジが母屋の漆黒のテーブルに反射して幻想的な雰囲気を作っている。
(ここでもない。もしかして裏をかいて比叡山に上ったか。そこなら延暦寺の紅葉のスポットがある)
佐川刑事はまた坂本ケーブル線で比叡山に上った。延暦寺は山全体が寺域であり。東塔、西塔、横川という3塔のエリアに分けられる。その境内には約二千本のモミジが植えられており、この季節には美しく紅葉する。
ここも多くの観光客が押し寄せており、佐川刑事は苦労しながらも広い境内を見て回った。だがどうしても送られてきた画像の場所は見つからない。ここも空振りに終わった。
(この湖西で有名な紅葉のスポットといえば、びわ湖バレイ、高島のメタセコイア並木などだが・・・)
犯人から送られてきた画像の紅葉はメタセコイアではないように思えた。それに一緒に写り込んでいるのは寺社のように見える。
(この湖西ではないのか・・・。緑川由美はここから離れてもっと遠くに行ってしまった可能性がある。それなら厄介だ。滋賀県、いやその周辺には紅葉する木々に囲まれた寺社は数え切れないほどある)
佐川刑事はため息をついた。
(由美はどこに行ったんだ? 彼女はどうしてそこまでして翔太君と身を隠しているんだ?」
その疑問が付きまとっていた。画像から緑川由美の行方を追うことは今のところ無理なように思えた。
佐川刑事には気になることがあった。それは水上翔太を取り巻く人間関係だ。彼は水上雅雄と前妻の千翔との間に生まれた。水上家は神水学園を経営する資産家であり、雅雄が養子婿となっていた。その後、千翔は亡くなり、後妻の貴子が来た。そして和雄が生まれた。
だからというわけではないと思うのだが、継母の貴子はもちろん雅雄さえも翔太に対して冷たいように佐川刑事に思えた。誘拐されているのにまるで他人事・・・そんな印象を受けた。
そこに翔太の担任の緑川由美だ。本庄先生の話では水上翔太に日頃から目をかけていたようだ。それに今回の事件にはその前夫の赤木竜二も絡んでいる。これは何かあると思わざるを得ない。
緑川由美の部屋には亡くなった子供の写真があった。生後2か月で近江病院で亡くなっている。生きていれば翔太と同い年だ。なぜかそれも気にかかっていた。
(近江病院か・・・ついでに病院も当たってみるか。水上翔太との接点があるかどうか・・・)
佐川刑事はそう考えて由美の子供について調べてみようと思った。
佐川刑事は早朝から近江病院に出向いていた。そこは水上家から歩いて10分ぐらいのところにある中規模の病院だった。水上家となじみがあり、先代の頃から水上家の人たちはこの病院をかかりつけにしていた。もちろん雅雄も院長や医師たちと顔なじみのようだ。
院長の許可を取って事務所の片隅で由美の子供のことを調べた。楓太という名前で生後2か月で乳児突然死症候群で亡くなっていた。医療事故・・・というわけではなかった。乳児のことだから突然死というのはありうるし、そのカルテに何ら変わった点はない。
「刑事さん。何か事件が起こったのですか?」
カルテを持ってきてくれた古株の事務員が佐川刑事に声をかけてきた。誘拐事件のことはまだ公開捜査にしていないから答えるわけにいかない。
「いえ、ちょっと・・・」
「ああ、11年前のことを調べているんですね。あの時ね・・・」
その事務員はカルテの開いているページを見て話し出した。
「大変だったんですよ!」
「何がそんなに?」
「赤ちゃんが突然死してね。『自分の子じゃない』って、母親は狂ったようにわめきだして・・・」
「自分の子じゃない?」
「ええ。すごい騒ぎだったの。そりゃ、自分の子供が死んだって信じられないでしょうよ。それでね・・・」
その事務員のは話し続けた。佐川刑事はうんざりしながらも聞いていた。まだまだ長く続くようだ。だが聞いているうちに引っ掛かることがあった。
(その死んだ子供というのは・・・)
佐川刑事の頭にある疑いが急に浮かんだ。目の前の事務員はまだ饒舌に話し続けている。
「・・・その頃は辺り一面、見事に紅葉していてね。次の日に石山寺へ紅葉を見に行こうと計画していたんですよ。それがパーになって・・・」
「ちょっといいですか」
佐川刑事は右手を挙げて話を遮った。
「なんですか?」
事務員は話の腰を折られて少し不満げだった。
「別の子供のことが知りたいのですが・・・。院長先生に許可を取ってもらえますか・・・」
「誰のですか?」
「水上翔太という名前の11歳の子供のカルテです」
しばらくしてそのカルテが運ばれてきた。佐川刑事は早速それを調べた。
翔太は11年前にこの病院で生まれ、小さい頃を除いてあまり病気をしたことがない。健診とか予防接種とかで受診したくらいだ。
「生まれてからよく病院にかかっているな。でも生後2か月ぐらいまでだな。翔太君が風邪か・・・父親の雅雄が担ぎ込んだようだな。その日は・・・やはりそうか。その時、母の千翔は家におらず、入院していたな・・・」
佐川刑事は森野の話を思い出した。そして彼の頭にはある仮説が浮かび上がっていた。だがそれはまだ確かではない。裏付けがいる。
「捜査本部で何か手がかりをつかんでいるといいが・・・」
佐川刑事は捜査本部に電話をかけた。
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