第3章 2人の行方
第29話 足取り
緑川由美の足取りを追うのにつながる新たな手掛かりが見つかった。それは赤木竜二が乗っていたあの紺色のセダンだった。連絡を受けて佐川刑事と梅原刑事が現場に向かった。
場所は比叡山ドライブウェイから少し入った山中、そこに車が放棄されていた。辺りは鮮やかな紅葉した木々に囲まれ、それを隠すように赤や黄色の葉がうずめていた。そこにはすでに捜査1課の捜査員たちが落ち葉を踏み荒らして現場に入り、バリケードテープを張っていた。
佐川刑事が現場に入って行くと捜査1課の堀野刑事がいた。
「よう! 佐川。やっと見つかった」
「これに間違いはないようだな」
「ああ。緑川由美のスマホ電波に惑わされて湖南の方ばかりを捜索していたが、こんなところに乗り捨てていたとはな。これで緑川由美の足取りが追えるだろう」
「そうだな。緑川由美は翔太君を連れてここからどこに行ったか・・・」
佐川刑事は辺りを見渡した。確かそこから歩いてすぐのところに比叡山坂本ケーブルカーの駅がある。
「ここに車を放棄してケーブル延暦寺駅からケーブル坂本駅に山を下りたのだろう。行ってくる!」
「ああ、こっちは捜査本部に連絡してこの辺りの防犯カメラの映像を調べる」
「頼む。何かわかったら連絡をくれ」
佐川刑事は梅原刑事を連れてケーブル延暦寺駅に向かった。そこまで大人の足で5分ほど、子供でも歩けない距離ではない。駅には紅葉目当ての多数の観光客であふれていた。
ケーブル延暦寺駅からは1時間に2本、ケーブルカーが出る。それで山のふもとのケーブル坂本駅まで下りられる。佐川刑事と梅原刑事はケーブルカーに乗り込んだ。大きな窓からは外の様子がよく見える。
やがて車輪をきしませてケーブルカーが走り出した。スピードを徐々に上げながら山の中を走っていく。その道中は紅葉した木々に覆われて薄暗いが、急に開けて琵琶湖が顔をのぞかせる時もある。梅原刑事は窓から風景を見ながら言った。
「この季節はどこも紅葉ですね」
「そうだな・・・」
佐川刑事はうなずきながら考えていた。
(緑川由美は翔太君を連れて山を下りた。そして彼女はどこに向かったか・・・)
ケーブル坂本駅に着くと堀野刑事は辺りを見渡した。近くには京阪電車の坂本比叡山口駅がある。そこからは石山駅か、浜大津駅を通って京都三条方面に出られる。またそこにはJR湖西線の比叡山坂本駅までバスがある。その駅からは京都の山科方面か、琵琶湖大橋近くの堅田方面に抜けられる。
だがもう一つ、日吉大社に通じる道があった。佐川刑事はその方へ足を向けた。
「佐川さん。どこへ? 京阪なら向こうです」
「ちょっと気になる。日吉大社に行く」
佐川刑事はそれだけ言ってすたすたと歩いていた。その後を梅原刑事が追いかけて行った。
日吉大社はおよそ2100年前から比叡山の麓に鎮座する日吉・日枝・山王神社の総本宮である。境内には約三千本のモミジが植えられ、参道の両側で真っ赤に色づいていた。その中を佐川刑事と梅原刑事は歩いて行った。参道を上って行くといくつも社が並んでいる。ここには多くの神様が祭られているのだ。
佐川刑事は何度も足を止めて振り返って辺りを見渡していた。そしてある場所で大きくうなづいた。
「やはりな」
「どうしたのです?」
梅原刑事が不思議そうな顔をして尋ねた。佐川刑事は両手で四角の枠を作って両腕を伸ばし、その中を片目でのぞいた。梅原刑事も怪訝な顔をしてそれを真似た。
「あっ! これは!」
「そうだ。犯人から送られてきた1枚目の写真だ。ここで撮ったのだ」
緑川先生のスマホの位置情報から栗東の山中かと思われていたが、実は日吉大社だったのだ。
「彼女は翔太君を連れてここを歩いた」
「何のために?」
「多分、かなえたい願いがあったのだろう。見つかる危険があったとしても。それは何かわからないが・・・」
佐川刑事は緑川由美の部屋に日吉大社の神札があるのを思い出してここに来たのだ。彼には緑川由美の必死な思いが伝わって来たような気がした。彼女は単なる誘拐ではない、他の目的があってこんなことをしたのではないか。もしかしたら彼女は翔太を守るために逃げているのではないか・・・そんな気がしていた。だが・・・
(担任の教師が一生徒のためにそんなことをするのか・・・)
そんな疑問が浮かんでくる。横にいる梅原刑事が地図をじっと見ていた。
「緑川由美はここからどこに行ったのでしょう?」
「緑川由美は日吉大社をお参りした後、京阪かJRで電車移動したのか、それとも・・・どこに向かったのか、それはまだわからない、駅の防犯カメラの解析を待つしかない」
犯人からは他にも紅葉を背景にした水上翔太の画像が送られてきている。だがそれはこの場所ではない。緑川由美と翔太は紅葉がきれいな別の場所にいるのだ。それはどこか・・・紅葉の名所の多い滋賀県ではどこかはわからない。
佐川刑事は近くの社に向かって手を合わせた。心の中でいろんな願いを祈りながら・・・。
◇
朝日が差してきた。柔らかな光がカーテン越しにその部屋を明るくしていた。
「もう朝ね」
由美がカーテンを開けると日の光に紅葉した木々が輝いていた。眠れぬ夜を過ごした彼女はそれをまぶしそうに眺めていた。翔太はまだ布団にくるまってすやすやと寝ている。その寝姿を見ているといろんな思いが浮かんでくる・・・。
ここは寺の宿舎だった。2人はここに身を潜めていた。人目につかぬように移動してここにたどり着いたのは、あの日の昼過ぎだった。紅葉を楽しむ観光客に交じっている2人を不審に思う者はいなかった。紅葉を見に来たただの母子だと思ったことだろう。ここの人は2人を訳ありだとして受け入れてくれた。夫のDVから逃れてきた母子であると思っているようだ。
由美はその設定に乗ることにし、翔太にあまりしゃべらないように言っていた。特に自分のことを先生とは呼ばないようにと。彼女も宿舎の人に何か話しかけられても、あまり話をせずに落ち込んでいる雰囲気を作っていた。そうなると宿舎の人たちも気を使ってあまり話しかけなくなった。
こうして正体を隠すことには成功していた。だがこのまま長引けば警察が公開捜査に乗り出すかもしれない。そうなれば自分たちの正体が宿舎の人たちにばれ、警察に通報される。
(とにかく今は身を隠すしかない。何があろうと・・・)
由美はそっとため息をついた。すると後ろで起き上がる気配がした。翔太が目覚めたようだ。振り返ると彼は目をこすって座っていた。
「よく眠れた?」
「は、はい。先生」
「先生はだめよ」
由美はそう言ったものの、翔太に何と呼ばせるかについては何も言っていなかった。
「着替えたら朝食をいただきに行きましょう。その前に歯を磨いてね」
「はい」
翔太は洗面所の方に向かった。
由美はカバンからスマホを取り出した。もしものことを考えて電源を落としている。だが自分と翔太が消えた後、どうなっているかが気になっていた。彼女はある電話番号をなんとか思い出してそのスマホから電話をかけた。
「もしもし。由美です・・・」
電話の相手は彼女からの電話を待ちかねていたようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます