第27話 暗闇に浮かぶ男

 エンジン付きボートは暗闇の中、湖面を走ってきてやがて岸に着いた。そこはあのレイクレンタルボートのすぐ近くだった。そのボートに乗った男はすぐに岸に下りてロープをその場の石に括り付けた。

 辺りには人影はない・・・男は何度も見渡すと、身をかがめて待合の建物に小走りに近づいた。その姿は暗い電灯に映し出されていた。不気味な黒い影として・・・。男はドアの前に立った。後ろを振り返ったが誰もいない。男の手には長い柄のついたバールがあった。それでドアをこじ開け始めた。

「ギィーギィー・・・」

 気のきしむ音が辺りに響き、やがてドアは開いた。男はさっと中に入ってドアを閉めた。暗闇になれたその目には明かりがなくてもほのかに見える。男はテーブルの下に手をやった。そこに獲物の感触を覚えて舌なめずりすると、それを力任せにもぎ取った。それは2つの包みだった。そっと中を確認すると札束が詰まっている。

「うまくいった」

 そこで男は初めて声を出してニヤリと笑った。男は背負ってきたリュックにそれをしまうとドアを開けて走り出した。だがそこに予想外のものを見て、動きが一瞬、止まった。車が近づいてきているのだ。そのヘッドライトが男をとらえようとしていた。

「まずい!」

 男は慌ててボートの方に走り出した。湖に逃げれば何とか逃げ切れると信じて・・・。男はロープを外してボートを湖に入れた。そしてそれに飛び乗ってエンジンを回して走り出した。


 その逃走する男の姿を車に乗る佐川刑事と梅原刑事はとらえていた。

「佐川さん! あれは!」

「ああ、そうだ。やはり思った通りだ!」

 車はボートを追って行った。彼らの乗る車は普段「ジープ」と呼んでいる水陸両用の4輪駆動車である。湖上の犯人を追う捜査には必要不可欠な車両であった。

 男の乗るボートはジープから離れようと岸から離れていった。だが佐川刑事はジープを湖の中に入れた。すると内蔵されているウオータージェットが動き出した。ジープはモーターボート並みのスピードで湖上を波を切って進んで行った。

 ボートの男はかなり焦っていた。車が湖の上まで追って来て、そのヘッドライトで照らされていた。このままではすぐに追いつかれる・・・男は右や左に舵を切って何とか逃れようとしていた。男はそれに必死になるあまりあることに気付いていなかった。ボートが浸水してきていたのだ。

「な、何だ・・・」

 男がそれに気づいた時にはすでに遅かった。ボートは沈みかけ、驚いて慌てた男は札束の入ったカバンを抱えた。だがそれでバランスを崩してそのまま水の中に落ちた。

「うわあ!」

 それが男の最後の声だった。カバンを放そうとしなかったばかりに男は沈んでいった。


 その光景はジープからも見えた。

「佐川さん。男が湖に落ちました!」

 佐川刑事はジープをそこまで近づけると梅原刑事に声をかけた。

「梅原! 行け!」

 梅原刑事は上着を脱いでザブンと飛び込んだ。だが夜の湖である。暗闇の中で少し先は何も見えない。梅原刑事はしばらく水中を探したが、男を発見できなかった。

「佐川さん。ダメです! 見つかりません!」

「そうか。梅原、もう上がれ。湖上署には報告した。大掛かりに捜索するしかない」

 佐川刑事たちはジープでその場にとどまり、湖国がやってくるのを待った。



 その様子を暗闇の湖岸から見ているもう一人の男がいた。彼は遠くでボートが沈むのをその目で確認したようだ。

「うまくいった・・・」

 その男はニヤリと笑ってその場から姿を消した。その男の存在に気づくものは誰もいなかった。


 ◇


 湖国がようやく現場に到着した。すぐにボートを下して署員を総動員して湖に沈んだ男の捜索が始まった。まぶしいサーチライトがいくつも湖面を照らしていた。だが暗い夜のため、発見にはまだしばらく時間がかかるだろう。

 佐川刑事たちは湖国に戻った。湖に飛び込んだ梅原刑事は毛布にくるまって震えている。

「着替えて来い。風邪をひくぞ」

「はい。ああ寒い・・・」

 佐川刑事は一人で捜査課の部屋に入った。そこには荒木警部がいた。

「ご苦労だった」

「すいません。犯人を確保できませんでした。急に慌ててしまって湖に転落しました。奴のボートに何か異変があったようです」

 佐川刑事はその時の様子を思い出していた。男は逃げようと右や左に舵を切っていたが、そのためではない。何かがあったのだ。そのボートに・・・。

「それは仕方がない。その男が引き上げられれば何かわかるかもしれない。湖に置いたリュックの中身を確認した。大きさが同じの発泡スチロールだった。だからあんなに浮いていた。まんまと犯人にしてやられていたんだ」

「警部。それよりも本庄先生や大崎先生の方はどうでしょうか? 2人が、またはそのうちの1人がリュックから現金を取り出して待合室に隠したのです。共犯の可能性が十分考えられます」

「連絡をもらって岡本と藤木をすぐに向かわせた。片山警部補にも連絡したから1課の捜査員も行っているはずだ」

「私も向かいます」

 佐川刑事はまた捜査課を飛び出して行った。そこに着替え終えた梅原刑事と鉢合わせた。

「佐川さん。どこに?」

「大崎のアパートに行く。いっしょに来い!」

 梅原刑事は訳が分からないままに佐川刑事について行った。


 ◇


 本庄先生のマンションを藤木刑事と岡本刑事が尋ねた。呼び鈴を押すとすぐに彼女が出てきた。

「湖上署の藤木と岡本です。ちょっとお話を伺いたくて・・・」

「えっ? 今頃、どうしたのです? 何か犯人から要求があったのですか?」

「それは・・・今は何とも申し上げられません。まことに申し訳ないのですが署の方に来ていただけないでしょうか?」

「こんな時間に?」

「お疲れとは思いますが、ぜひお願いします」

 藤木刑事たちは渋る本庄先生を無理にパトカーに乗せていった。


 ◇


 一方、佐川刑事は梅原刑事とともに大崎先生のアパートに向かった。 その途中、荒木警部から無線連絡が入った。

「佐川。大崎洋が消えた。アパートに戻っていない。片山警部補から連絡があった。捜査1課が捜索を開始している」

 佐川刑事は大崎洋が誘拐の共犯、いや身代金の受け渡しに犯人に協力したと見ていた。その彼が消えたとなると・・・一刻も早く見つけ出さねばならない。

「このまま大崎洋のアパートに向かいます」

 佐川刑事は赤色灯を回すとスピードを上げてジープを走らせた。

 隣に座る梅原刑事は首をひねっていた。

「受け渡しに行った先生が共犯だったとは・・・。この事件、どうなっているのでしょうね」

 確かに思わぬ展開が続いている。いろんなことが複雑に絡み合っているようだ。それを確実に解いていかないと真相が見えてこないのかもしれない・・・佐川刑事はそう思った。


 しばらくして大崎洋のアパートについた。彼の部屋は2階の角だ。外の廊下に面するドアは開けっ放しになっていた。佐川刑事は外階段を上がり、部屋をのぞき込んだ。すでに片山警部補をはじめ捜査1課の捜査員が室内を調べていた。

「佐川です。何か見つかりましたか?」

「いや、なにもない」

 大崎洋は身代金を琵琶湖に置いてそのまま本庄先生と神水学園に戻った。そこで6時まで仕事をした後、車で帰宅した・・・はずだった。だがアパートに帰っている様子はなく、そのままどこかに消えてしまった。

「大崎は緊急手配した。捜査員が彼の車を探している。じきに行き先がわかるだろう」

 片山警部補はそう言って捜査本部への連絡のためにパトカーの方に向かった。

 横にいる梅原刑事が言った。

「佐川さん。もしかして・・・」

「なんだ?」

「琵琶湖に沈んだ男、あれが大崎洋だったのでは?」

「それは十分考えられるが・・・」

 佐川刑事は顎をさわりながら考えた。

(時間的には可能だ。確かに受け渡しに行く時の大崎の様子は少し変だったが・・・。だがそんなことをやってのける人間には見えなかった)

 特に確証はない。刑事の勘がそう思わせるのだ。

(この事件にはまだ顔を出していない共犯がいる)

 佐川刑事はそう感じていた。


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