第25話 受け渡し

 本庄先生と大崎先生は琵琶湖博物館の駐車場に着いた。車から降りるとあたりの木々は鮮やかに紅葉していた。普段なら美しいこの景色を楽しむところだが、身代金を運ぶ2人にはその余裕はなかった。

 大崎先生が先に立って2つのリュックを担いで博物館まで歩いていった。その後を不安げな様子の本庄先生がついていった。この日は天気が良く、人の姿は多かった。そこに犯人がいるかと思うと彼女は気が気でなかった。

 しばらく歩き、やがて博物館の建物に入った。そのエントランスで大崎先生がリュックを下した。

「この辺で待ちましょうか?」

「ええ、そうね」

 本庄先生は辺りを見渡していた。そして気を落ち着けようと持ってきたペットボトルのお茶を飲んだ。

「緊張してのどが渇いてしょうがないわ」

「そうですね」

 本庄先生は朝からもう半分ほど飲んでいる。もう12時を過ぎようとしている。そろそろ犯人が接触してくるかもしれない。そう思っているとメールが到着した音がスマホからした。本庄先生と大崎先生はスマホを取り出してみた。するとメールが転送されていた。やはり緑川先生からスマホからだ。2人は早速メールを開いた。


【歩いて湖周道路に出て北上しろ。レイクレンタルボートがある。30分以内にそこの待合室に行け】


 それだけだった。だがまた画像が添付されていた。開くと水上翔太の姿が現れた。紅葉した木と大きな門の前に立っている。本庄先生はほっとして言った。

「水上君は無事なようね」

「そうですね」

 大崎先生は緊張しているのか、そっけない返事だった。本庄先生は送られてきたメッセージを見て大崎先生に尋ねた。

「レイクレンタルボートって?」

「貸しボート場です。あっちです。時間がありません。行きましょう」

 大崎先生はリュックを担いで博物館を出て歩き始めた。

「ちょっと、待って!」

 本庄先生はペットボトルをしまうのに手間取っていた。

「急ぎましょう」

「ええ・・・」

 焦れば焦るほど肩さげバッグのチャックが開かない。大崎先生は待っていたが次第に苛立ってきたようだった。

「先に行きますよ!」

「ええ・・・」

 大崎先生は早足で歩きだした。その後を本庄先生がペットボトルを手に持ったまま追いかけた。



 一方、その様子は公園にいる片山警部補が見ていた。彼は手で隠した小型マイクでワゴン車の荒木警部に連絡した。

「動きました」

「犯人からはレイクレンタルボートの待合室に行けとメールが入っている。藤木には先回りさせます。あなたと内田刑事は尾行を続けてください!」

「了解」

 片山警部補は周囲を見渡した。付近には内田刑事がいるだけだった。彼は小型マイクで

「内田。レイクレンタルボートの待合室だ。2人をつけるぞ」

 と伝え、目立たないように早足で2人の後を追った。



 大崎先生は少しでも早く着こうと急いでいた。だが本庄先生はそのスピードについていけない。

「ちょっと待ってよ!」

 本庄先生はそう声をかけるが、大崎先生は彼女を待とうとしない。どんどん先にいてしまった。本庄先生は必死な顔をして追いかけていた。

 やがて大崎先生がレイクレンタルボートの待合室に入った。時刻は12時30分になろうとしていた。そこは古ぼけた木造家屋だった、中には自動販売機とテーブルとイスが何脚か置かれており、奥にはトイレがあった。もちろん平日の正午過ぎだからそこには人は誰もいない。

 そのあとしばらくして本庄先生が入ってきた。ゼイゼイと肩で息をしている。

「早すぎるわ・・・」

「すいません。焦ってしまって・・・」

 その時、2通目のメールが届いた。大崎先生と本庄先生は同時にメールを開いて見た。


【12時45分になったら貸しボートで湖に出て、湖を北上しろ】


 大崎先生は時計を見た。まだ10分以上はある。すると本庄先生が言った。

「ちょっとトイレに行ってきていいかしら。お茶を飲みすぎて・・・」

「ええ。10分以上ありますから。リュックは見ていますから」

 それを聞いて本庄先生はトイレに走っていった。かなりがまんしていたのかもしれない。

 その様子は外の窓から内田刑事が確認していた。彼は少し離れたところで周囲を警戒している片山警部補に「異常なし」と小型マイクで伝えた。



 一方、藤木刑事は荒木警部の指示を受けて、先回りしてレイクレンタルボートの受付のそばにいた。辺りを見渡したが、こちらを監視している者は見つからない。そこにワゴン車の荒木警部から無線連絡が入った。

「荒木だ。待合室の小屋は片山警部補たちが監視している。2人はまだそこにいる。そっちはどうだ?」

「異常ありません。係員以外、誰もいません」

「わかった。犯人からの2通目のメールが来た。12時45分になったらボートで湖に出て北上するようにと言ってきた。先回りしてボートで湖に出てくれ」

「了解。湖に出ます」

 藤木刑事はすぐに貸しボートの受付をしてエンジン付きボートに乗って湖に出て2人を待った。周囲を見渡したが、遠くに人影が見えるだけ、湖上にも近くに船やボートや水上バイクの姿はない。藤木刑事は荒木警部に連絡した。

「こちら藤木。近くには誰もいません」

「そうか。そのまま監視を続けてくれ。他の捜査員が到着次第、モーターボートで付近を張らせる」

 この付近はもうすぐ厳重な警戒網が敷かれるだろう。この監視の目を潜り抜けてそうやって身代金を受け取るつもりなのか・・・藤木刑事は予想すらつかなかった。


 やがて12時45分となり、本庄先生と大崎先生が待合室を出て貸しボートの受付に向かった。リュックは大崎先生が2つとも両肩にかけている。辺りを見ても、やはり犯人に動きはない。2人はエンジン付きボートに乗り込んだ。小さなボートだから免許はいらない。大崎先生はリュックを下してボートを湖に走らせた。

「こちら藤木。2人が待合を出てボートに乗りました。北上しています」

「そのまま距離を取って追え!」

 荒木警部からの指示通り2人の乗ったボートを追って行く。犯人に気付かれないようにと思うが、湖上では姿を隠すところもない。藤木刑事は周囲を見渡してみた。やはりこの付近には他に船の姿はなかった。



 大崎先生はボートをひたすら北へ走らせていた。その額から汗が流れていた。

「どこまで行けばいいのかしら・・・」

 本庄先生が不安げに聞いた。彼女は冷たい風で体を冷やしてまたトイレに行きたくなっていたようだ。

「さあ、でも岸からかなり離れたからもうすぐじゃないじゃないですか」

 大崎先生は何か投げやりな言い方だった。その時、またスマホにメールが届いた。2人はすぐにスマホを見た。


【ここでリュックサックを2つとも湖に置いて、すぐに岸に戻れ】


「犯人からメールよ。本当にリュックを置いていっていいのかしら。沈まないかしら」

「犯人の指示通りしましょう。札束って言っても紙ですし、リュックがあるから沈まないかもしれません」

 大崎先生はそう言うと、リュックを一つずつそっと水の上に置いた。するとリュックは沈まずに浮いていた。

「これでよし。では帰りましょう」

 大崎先生はほっとした顔をして元の場所にボートを走らせた。本庄先生は何度も振り返って、その浮いているリュックを見た。誰がそれを取りに来るのかと・・・。

 だが誰も来る様子はなかった。そしてそれは次第に小さくなり、やがて見えなくなった。

「誰も取りに来ないわよ」

「でもメールの指示通りしたのですから・・・。後は警察の方に任せましょう」

「そ、そうね」

 本庄先生はリュックの置いた方向をまた振り返った。やはり周囲に船はない。



 ボートで湖に出ている藤木刑事は荒木警部に連絡した。

「リュックを2つとも湖に置きました。リュックは浮いています」

「犯人からその指示があった。何らかの方法で回収しに来る。そのまま見張ってくれ」

「了解」

 こうなれば犯人が出てくるのを待つしかない。もちろん身代金を持ち去っても人質の命重視だからすぐには逮捕しない。尾行して人質の居場所を探るつもりだった。

 荒木警部は湖岸にいる片山警部補に無線連絡した。

「身代金は湖に置いて先生たちが引き上げてきます。あなたと内田刑事は先生たちについていって神水学園で待機していてください。こちらは捜査員が集まってきていますから大丈夫ですので」

「わかりました」

 本庄先生と大崎先生が来た道を戻り、琵琶湖博物館の駐車場から車で神水学園に戻るまで、片山警部補と内田刑事はずっと見守っていた。


 一方、藤木刑事はじっと2つのリュックサックを監視していた。それは沈むこともなく波に静かに揺られている。そのうち他の捜査員も到着して、ボートに乗って辺りを固めた。だが犯人は現れない。そのまま時間だけが経過していった。

(一体、いつになったら取りに来るんだ・・・)

 見つめる藤木刑事の気持ちに焦りが出てきた。それはワゴン車の荒木警部も同じだった。

「こちらの動きに気付いたのか?」

 もしそうなら犯人が取りに来ることはない。だが犯人は警察の動きがないか、今もどこかでじっと見守っているのかもしれない。

 2つのリュックはさらに湖の北の方向に流されていった。

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