第23話 運び役

 荒木警部は岡本刑事とともにワゴン車に乗って神水学園に向かった。外はもう暗くなっていた。学園内はいくつも電灯がともされて、その庭の紅葉した木々を浮かび上がらせていた。

 遅い時間だったので、その駐車場に職員や教師の車は少ない。岡本刑事がワゴン車の窓から周囲を観察した。辺りに人影はなく、学園はひっそりと静まり返っていた。

「周囲に怪しい人影はないようです」

「わかった。神水学園に連絡して本庄先生と大崎先生にこちらに来ていただくように連絡してくれ」

 明日の身代金の受け渡しを依頼するため、本庄先生と大崎先生に残ってもらうように依頼していた。しばらくして2人が校舎から出て来て駐車場のワゴン車に乗り込んだ。

「来ていただいてすいません」

「いえ、それよりも大変なことになっているとか・・・」

 本庄先生は額の汗をハンカチでふいた。

「駐車場に停めておいたら怪しまれるかもしれませんので、その辺を走ります」

 岡本刑事がワゴン車を発車させた。荒木警部は後方を確認したがつけられている様子はない。しばらく走った後に荒木警部が話し出した。

「この話は秘密にしていただく必要があります。いいですね」

「ええ」

「はい」

 本庄先生と大崎先生はうなずいた。

「来ていただいたのは水上翔太君の件です。彼は誘拐されています」

「ああ、やっぱり・・・」

 本庄先生はため息をついた。大崎先生は不安そうに目を左右に動かしていた。

「緑川先生は? 一緒でないのですか?」

 本庄先生が荒木警部に尋ねた。

「それはわかりません」

「もしかして・・・緑川先生が犯人ってことはないですね?」

「それについても今は申し上げられません」

 荒木警部はそう言うしかなかった。

「あの緑川先生がそんなことをするはずがありません。水上君に対して・・・」

「緑川先生と翔太君について改めて聞きたいのですが」

「緑川先生は生徒思いの優しい先生です。仕事にもまじめに取り組んでおられました。・・・・水上君は明るく素直な生徒です。誰にでも好かれています。・・・緑川先生は水上君には特に目をかけていたような気がします。だからそんなことをするとは思えないのです」

 本庄先生はきっぱりと言った。荒木警部もそんなことがないようにと思っている。だが先入観は排除して捜査に向かい合わねばならない。

 荒木警部は一呼吸おいてから本題に入った。

「本庄先生と大崎先生にはお願いしなければならないことがあります。犯人から身代金を要求されました。1億円を明日12時、矢橋帰帆島公園メタセコイヤ並木に持ってくること。犯人はそれを運ぶのにお二人を指名してきました」

「えっ! 私に!」

 本庄先生は驚いて思わず声を出した。一方、大崎先生は黙って聞いていた。

「神水学園の生徒用リュックサックに5千万ずつ入れて持って行っていただきたいのです。これは翔太君の命がかかっています。ぜひお願いします」

 荒木警部は深く頭を下げた。本庄先生は「うーん」と考えていたが、大崎先生は迷わずに答えた。

「わかりました。生徒の命がかかっているのなら当然です。本庄先生。そうでしょう」

「ええ、それは・・・」

「警察の方が見てくださるようだから大丈夫ですよ。やりましょう」

「まあ、それなら・・・わかりました。お引き受けします」

 大崎先生に促されて本庄先生はようやく決心がついた。

「感謝します。詳しくは・・・」

 荒木警部は2人に注意することを細かく伝えた。

「我々警察がガードしていることは秘密になっています。知られれば翔太君の命が危ない。いいですね」

「はい」


 ワゴン車は学園の周囲を回ってまた駐車場に戻ってきた。つけてきた車も怪しい人影もない。荒木警部は辺りを確認して2人を降ろした。そしてワゴン車はすぐに走り去った。

 本庄先生と大崎先生は荒木警部に言われた通りすぐに校舎に入った。職員室までの廊下で本庄先生が口を開いた。

「大崎先生。感心したわ」

「えっ!」

「生徒とためとはいえ、すぐに危ない役を引き受けたんですもの。本当に感心したわ」

「いや、それほどでも・・・」

 日頃、大崎先生は学年主任でベテラン教師の本庄先生からは注意ばかりされていた。こんな風に誉められたことはなかったので、むず痒くなって頭をかいた。

「翔太君のために頑張りましょう」

「は、はい」

 本庄先生はやる気になったようだ。それに対して大崎先生は不安なのか、また目を左右に揺らしていた。


 ◇


 佐川刑事は赤木竜二と緑川由美の戸籍や経歴などを調べていた。2人は翔太君を車に乗せていったことが駅の防犯カメラからわかっており、しかも元夫婦であったことから容疑者のリストに上った。佐川は目撃した由美の姿から犯人とは思えなかったが、この事件のキーを握るのは確かだとは感じていた。


 由美の部屋の家宅捜索は密かに行われた。古いアパートの2階のこじんまりとした1室だった。中は飾り気がなくて地味で質素だが、きちんと片付いていた。佐川刑事は部屋に入った時、机の上に飾られている赤ん坊の写真が目に入った。

(そういえば竜二と由美の間には楓太という子供がいた。しかし生後2か月の11月に死んでいた。その写真を飾っているのか。生きていれば11歳、担任しているクラスの生徒と同じ年だ・・・)

 だが佐川刑事は違和感が覚えていた。亡くなった人の写真の前には花なり水なりが供えられているのが普通だが、そこにはそんなものはなかった。ただ家族のスナップ写真のように置かれている。

(もしかして子供の死を受け入れていないのか・・・)

 もう11年になろうとしているが、母親の気持ちではそうなのかもしれないと佐川刑事は思った。

 他には日吉大社の神札が置かれていた。何か願い事でもしていたのだろうか・・・佐川刑事はその札を手に取って、また元の位置に戻した。

 その部屋には誘拐を示すようなものは出てこなかった。また貯金通帳などもそのまま残されており、衣類を持ち出した様子もない。どこか遠くに行こうとする意図は感じられなかった。

 アルバムが出てきたが、その赤ん坊の写真のみで竜二の写真はなかった。過去も現在も。そして部屋を調べて見ても由美が最近、竜二とつながっている形跡は見つからなかった。

(衝動的な犯行か・それとも・・・)

 佐川刑事はまだ由美が誘拐犯とは完全に信じられなかった。

「ここでは何も出ませんね。」

 梅原刑事が残念そうにつぶやいていた。

「由美の行方を調べるなら彼女の過去を調べる必要があるな。それで立ち回り先がわかるかもしれない。まずはそれより・・・」

 佐川刑事はそう言ってその部屋を出て行った。明日は身代金の受け渡しが行われる。捜査員が一丸になってそれに対処する。もちろん佐川刑事もそれに加わる予定だ。

(そこがまず勝負になる。うまくいけば事件は一興に解決する)

 だが佐川刑事は嫌な予感を覚えていた。

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