第16話 消える

 水野巡査は本庄先生と大崎先生、そして森野を湖上署にある湖国に案内した。湖国は老朽化した先代の「うみのこ」を改造して警察船にしたものである。現在の「うみのこ」より一回り小さいとはいえ、その内部は警察署の機能が詰め込まれていた。4人は狭い階段を下りていき、会議室に入った。長テーブルに椅子が並べてある。そこには連絡を受けた荒木警部と佐川刑事、梅原刑事が待っていた。

「こちらにどうぞ」

「どうもすいません」

 本庄先生たちは恐縮しながら長テーブルの前に来た。

「私は湖上署捜査課の荒木です。それに佐川と梅原です。どうぞおかけください」

「すいません。私は神水学園の5年生学年主任の本庄です」

「5年1組副担任の大崎です」

「私は水上家の使用人の森野です」

 荒木警部は3人をじっと見た。神水学園の教師が2人、5年生の学年主任と5年1組の副担任だ。フローティングスクールとして「うみのこ」に乗船していた。もう1人は初老の背広姿の上品な男で誠実そうに見えた。いなくなった水上翔太の家の使用人だという。その生徒の家は裕福な家に違いない。その生徒が「うみのこ」で狙われ、そして今、消えたとなると・・・。

「詳しくお話しいただけませんか?」

「はい。いなくなった水上翔太君は5年1組の生徒です。『うみのこ』には乗船したらしいのです。しかし体調不良ということで担任の緑川先生と下船したようです」

 本庄先生の話は「伝聞」のように聞こえた。

「『ようです』とは、あなたが見たわけではないのですか?」

「はい。大崎先生から聞きました」

 荒木警部は大崎先生に目を向けた。

「その時の様子を詳しくお話しいただけませんか?」

「は、はい。緑川先生と翔太君とタラップの前で会いました。翔太君が急に具合が悪くなったから下船するということでした。そのことを多目的室に戻って本庄先生に伝えました」

「2人の様子はどうでしたか? 変わった様子とか?」

「い、いえ、何も・・・」

「その後は緑川先生から連絡はないのですね?」

「え、ええ・・・」

 大崎先生は後ろめたい思いもあってびくびくしていた。

「私もうっかりしていました。翔太君の確認もせず。ええ、あんな事件がありましたから・・・。森野さんに聞かれてはっと思い出したのです。申し訳ないと思っています」

 本庄先生はため息をついた。

「緑川先生に連絡してみたのですね?」

「ええ。でもつながらないのです。電波の届かないところにいるのか、電源を切っているのか・・・」

「学校や家の方に緑川先生から連絡は来ていませんか?」

「いえ、確かめましたが、そのような連絡はないようでした」

「他に連絡をとる方法はないのですか? メールとか」

「いえ。私は他に知りません。他の先生方なら知っているかもしれませんが・・・」

 本庄先生は大崎先生を見た。彼は「何も知らない」とばかりに何度も首を横に振っていた。

「もしかしてスマホを船内に忘れていったのかも・・・。彼女は確か、モミジのストラップのついたピンクゴールドのスマホを持っていたと思います」

「『うみのこ』に問い合わせてみます。そのようなスマホの忘れ物がないかと」

 そばにいた水野巡査がそう言って電話をかけに行った。次に荒木警部は森野に尋ねてみた。

「家の方にも緑川先生から連絡が来ていないようですが。かかりつけの病院とか他の場所の心当たりはありませんか?」

「いえ、翔太様はお元気でしたので・・・。あれから思いつく限りの場所に電話をかけて確かめたのですが・・・」

「ご家族の方はこのことを知っておられますか?」

「実はまだ申し上げていないのです」

 森野は言いにくそうにしていた。何か事情があるようだった。荒木警部はそこに引っかかるものを感じて尋ねてみた。

「ご両親はどうされているのですか?」

「実はお父様の雅雄様は神水学園の理事長なのです。今回の『うみのこ』の事件の対応と保護者への説明に学園の方に缶詰め状態と聞いています。非常なご多忙な状況で、不確かなことをご報告するのはどうかと思いまして・・・」

「奥さんの方は?」

「昨日から高島の別荘にお出かけになられています。静養されていますので、このことをお伝えした方がいいか・・・」

 森野は奥歯に物が挟まったような言い方をした。横で聞いていた佐川刑事には違和感を覚えていた。

(「うみのこ」の事件を聞けば親ならすぐに迎えに来るだろう。それなのに両親のどちらも来ずに使用人を迎えに寄こすとは・・・。しかも子供がいなくなった。それなのにこの森野は両親にまだ伝えていないとは・・・)

 それは荒木警部も感じていた。何かの深い事情があるのかもしれないが、それよりもいなくなった水上翔太と緑川先生を探すのが優先だと思っていた。 

「では森野さんはご家族に連絡してください。捜索願を出ししていただくかもしれません」

「一体、翔太様はどうなったのでしょうか?」

 森野は心配でたまらないという風だった。

「今のところ何とも言えません。ただし事件や事故の可能性を完全に否定できないため、こちらでも調べます。もし緑川先生からの連絡があればこちらに知らせてください」

 荒木警部はそう言って3人を帰そうとした。すると横に座っていた佐川刑事が口を開いて3人に尋ねた。

「一つ、聞かせてください。緑川先生はどんな方ですか? 勤務態度とか生徒に接する態度とか。翔太君についてはどうでしたか?」

 佐川刑事は今朝の「うみのこ」を降りて行く2人の様子が気になっていた。それでこんな質問をしたのだ。

「緑川先生はまじめで熱心です。生徒たちにも人気があります。そういえば水上君には特別、目をかけていたような・・・そんな気がします」

 本庄先生はそう答えた。大崎先生はうなずいた。

「ええ、僕もそう思います」

「緑川先生は翔太様によくしてくださっています。まじめでお優しい方だと思います。あれは・・・」

 森野の話は長々と続いた。

 

 しばらく話を聞いた後、荒木警部は3人に言った。

「わかりました。では何かありましたらこちらにご連絡ください」

「よろしくお願いします」

 森野は特に頭を深く下げていた。彼は心配でたまらないようだった。

 水野巡査とともに3人が部屋を出た後、荒木警部が佐川刑事に尋ねた。

「佐川。どう思う?」

「状況からすると事件に巻き込まれたように思います」

「やはりそう思うか」

 荒木警部は大きくうなずいた。

「事故や事件に巻き込まれていないかを各所轄に問い合わせてくれ。それにこの近辺の病院や医院を当たれ。生徒の体調が悪かったというから受診しているかもしれない。あとは神水学園関係、教師の誰かに連絡が行っていないか、それに緑川先生の家と交友関係もだ」

「はい!」

 佐川刑事と梅原刑事は早速、捜索を始めることになった。

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