第2章 誘拐事件
第14話 2人の関係
紺色のセダンが比叡山ドライブウェイを軽快に飛ばしていた。この観光シーズンの大津市内の道はかなり渋滞して進めなかったが、ここに来てやっと車の流れがスムーズになった。窓からは鮮やかに紅葉した木々が見えた。そして右手には日の光をキラキラと反射した琵琶湖が木々の間から顔をのぞかせていた。
運転席の竜二はルームミラーで後部座席の2人をちらっと見た。緑川先生も翔太もずっと不安そうな顔をして寄り添っていた。
「『うみのこ』を占拠した犯人グループは操舵室を乗っ取っている模様です・・・」
車内では先ほどからラジオで「うみのこ」シージャックのニュースが流れていた。
「あいつら、お前に先を越されたようだな」
竜二は後席の緑川先生に話しかけた。
「なんのことよ」
「とぼけるなよ。取引の場所までまだ遠い。渋滞でかなり時間を食っちまった。エヴァに連絡を入れとかないとな。ここいらで休憩するか・・・」
竜二は道からそれて夢見が丘の駐車場に車を入れた。ここにはカフェテラスやバーベキューコーナーの他、スーパースライダーやサイクルモノレールなどの施設がある。そしてそこの展望台からは格別で、琵琶湖や大津市内の景色が望める。
「ここで休んでいろ。自動販売機で飲み物を買ってくる」
竜二はそう言って車のキーを抜いて外に出て行った。
翔太はそこでやっと口を開いた。
「先生・・・」
「ごめんね。いきなりこんなことになって・・・。でも先生はずっと翔太君の味方だからね」
緑川先生は優しくそう言った。
「僕、大丈夫です」
「翔太君は強いのね。あのおじさんは先生の昔の知り合いなの。怖い人ではないわ」
すると竜二がペットボトルの飲料を抱えて戻ってきたのが見えた。緑川先生はドアを開けて車の外に出た。
「どうしたんだ? 由美」
竜二がペットボトル1本を渡した。
「話があるの。向こうで話すわ」
そう言いながらペットボトルを受け取った。
「わかった。その前に・・・」
竜二は回り込んで後席のドアを開けた。
「翔太君。もう少しドライブするからね。のどが渇いただろう。これでも飲んでくれよ」
竜二は翔太にもペットボトルを差し出した。
「あ、ありがとう・・・」
彼は蚊の鳴くような声でお礼を言いながら恐る恐るそれを受け取った。
「いい子だ!」
竜二は翔太の頭をさっとなでた。緑川先生はそんな彼を押しのけて翔太に言った。
「ちょっと話をしてくるから。ここで一人で待っていてね」
「はい。先生」
緑川先生はドアを閉めて少し歩いた。その後に竜二がついてきた。彼女は黙ったまま展望台に立って景色を眺めた。湖の周りの山々は赤や黄に鮮やかに色を変えている。彼女はしばらくしてまた口を開いた。
「聞きたいことがあるの」
「分け前のことか?」
「違うわ。どうしても翔太君を連れていくの?」
緑川先生は竜二の顔をじっと見た。竜二は怪訝な顔をした。
「当り前じゃないか! どうしてそんなことを聞く?」
「翔太君がどうなるか気になってね」
「これはビジネスだ。俺はただ送り届けるだけ。後のことは知らん。いや、知らない方がいいだろう。俺にはかかわりないことだからな。おまえもそうだろう。ふふん」
竜二は鼻で笑った。それを聞いて緑川先生はため息をついた。
「あなた。変わったのね」
「ああ、あんなことがあってからおまえはおかしくなる。それが嫌になってお前とは別れた。それから俺の仕事もうまくいかなくなって会社がつぶれた。今は日々を食いつないでいるだけだ。だがこんなうまいもうけ話があるんだ。絶対、この金で一山当ててやる!」
竜二の目はぎらついていた。かつての優しさなどそこに見出すことはできない・・・緑川先生は振り返って比叡山の紅葉に目をやった。
「今年も色づいたわね。真っ赤だわ」
「そうだな」
「この季節になったら思い出すのよ」
するとあからさまに竜二は嫌な顔をした。
「またあのことか! いつまで引きずっているんだ!」
「でもあなた・・・」
「もうたくさんだ! あのガキを見てそんな気にでもなったのか! もう聞きたくもない!」
竜二は吐き捨てるように言った。その時、緑川先生のポケットのスマホが鳴った。「大崎」と表示されている。このスマホは大崎先生の仕事用のもので、彼女が「うみのこ」に自分のスマホを忘れたので借りたものだった。
「はい。緑川です。大崎先生ですね」
緑川先生は竜二から少し離れて電話に出た。
「緑川先生。こっちは大変なことになっていました!」
「ニュースで聞いたわ。今はどうなっているの?」
「犯人は警察がつかまえました。今、大津港に向かっています」
「そう。それはよかった・・・」
緑川先生はほっとして息をついた。
「それより気になることが・・・。犯人と遭遇したのですが水上翔太君を連れ去ろうとしたのです!」
「やっぱり・・・」
緑川先生はそう声を漏らした。
「やっぱり? 先生は何か知っているんですか? 急に翔太君と船を降りたりして・・・」
電話の向こうで大崎先生は自分に不信感を持っている・・・緑川先生はそう感じた。だがここは信じてもらうしかない。
「大崎先生。頼みがあります。翔太君の命にかかわることなんです」
「えっ? それはどういうことでしょう?」
大崎先生の戸惑った声が聞こえた。
「翔太君は命を狙われています。だからこのまま私が預かります。だからこのあなたのスマホのことや私と話したことは秘密にしてください。警察にもです」
「しかしそれは・・・」
「私を信じてください。これはあなたにしか頼めない。お願いです!」
緑川先生にそう言われて大崎先生も嫌とは言いにくかった。
「その代わりにあなたから借りたスマホで連絡が常につくようにします。翔太君が元気な証拠に写真を定期的に送りますから・・・」
「それでは・・・しばらく黙っています。でもできるだけ早く翔太君と戻って来てください」
「ありがとう。大崎先生。感謝します。それでは私のスマホの電源はすぐに落としてください。あなたが怪しまれますから。でもその前にそこに来ているメールの内容を教えてください。パスワードは・・・」
大崎先生はポケットにしまった緑川先生のスマホのメールを開いた。だが新しいメールはなかった。それですぐにそれの電源を落とした。
「なにも来ていません」
「ありがとう。あと、すいませんが5年1組のみんなをお願いします」
そこで電話を切った。彼女はまたため息をついた。やはり恐れていた事態が起こっていたのだ。想定した以上の・・・。彼女が考え事をしていると不意に持っていたスマホが取り上げられた。
「今のは誰だ? 大崎先生とか言ったな」
竜二がこっそりそばに来て、電話の会話を聞いていたのだ。彼は取り上げたスマホを操作して中を見ている。
「返して! それは借りものなのよ!」
「そうかい。お前にも仲間がいるんだな。大崎とかいう・・・」
「返してよ!」
緑川先生は竜二からスマホを奪い返した。
「怒るなよ! お前の仲間のことも知っておかなければな」
竜二はいやらしい笑い方をした。大崎先生を緑川先生の愛人と見たのかもしれなかった。
「とにかく『うみのこ』の事件は終わったようだ。俺たちは取引の場所に行って引き渡せばそれで終わりだ。行くか!」
竜二はペットボトルを手に持って車に戻ろうとした。緑川先生はその後をすぐに追いかけた。
「ちょっと待って!」
「どうした?」
「私が運転するわ。あなただけなら疲れるでしょ。まだ遠いから」
「そうか。それはすまんな」
竜二は緑川先生にキーを渡した。緑川先生はそれを受け取ると、手に持っていたペットボトルを落とした。それはころころと転がっていく。
「あっ! ペットボトルが!」
「仕方ないな!」
竜二がペットボトルを取りに行った。その瞬間、緑川先生は車の方に走り出した。そしてドアを開けて飛び乗るとアクセルを踏んで車を急発進させた。
「おい! 待て!」
竜二は追いかけたがもう間に合わない。車は道に戻って走り始めた。
「なんとかなった・・・」
緑川先生は額の汗を拭いた。後ろの席では翔太はまだ緊張した顔で固まっていた。
「もう大丈夫よ」
緑川先生はルームミラー越しに笑顔を向けた。
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