第10話 侵入開始

 いよいよ侵入部隊が湖国の後部ドアから出発した。先頭は中野警部補、そして泊巡査部長、渡辺巡査、佐川刑事、梅原刑事、藤井巡査長の順である。各自が小型の水中スクーターを手にしている。そのハンドルを両手で持って湖の中を進んで行く。


 佐川刑事は訓練を思い出していた。湖上署だから水上や水中で活動する機会が多くなる。それに備えて警護課だけでなく捜査課からも佐川刑事や梅原刑事が選ばれて訓練を受けることになった。2人が泳ぎが少し得意だったという理由で・・・。ちょうど海上保安庁の特殊警備隊にも籍を置いたことのある中野警部補が着任したこともあり、その訓練は対テロ対策にも及ぶことになった。

(あれはこたえた・・・)

 10日ほどだったが連日激しい訓練が続いた。訓練を主導した中野警部補にとってはほんのだけだったらしいが・・・。若い梅原刑事は泳ぎが堪能で難なくこなしていたが、佐川刑事は慣れない水中の行動にはかなり苦しめられた。

 だが水中スクーターで湖の中を進んでいくのは好きだった。まるで空を飛んでいるような・・・そんな錯覚に襲われるほど快適である。

 今はその訓練を生かしての実戦である。「うみのこ」を襲撃した犯人から人質を、そして子供たちを救わねばならない。その重圧が肩にのしかかる。日が差して明るい水中を進みながら、これが任務でなければどれほどいいだろうか・・・佐川刑事は思っていた。


 しばらくして「うみのこ」の近くに来た。先頭の中野警部補が右手で合図して浮上していく。そして足ヒレで静かに泳いで「うみのこ」の船体に取り付いた。

「こちら中野。船体に取り付きました。」

「犯人は2人ともまだ操舵室だ。こちらの動きに気づいていないようだ」

 荒木警部からの通信を受けて中野警部補は「うみのこ」の柵に鉤縄をかけてするすると上って行った。その後を泊巡査部長、渡辺巡査、そして佐川刑事と梅原刑事がお尻を押されて何とか上り切った。最後に藤井巡査長が上って、いよいよ突入である。水中ゴーグルを外し、アクアラングを下ろし、足ヒレを外す。犯人は拳銃を所持しているから、それぞれが拳銃を携帯してホルスターを吊っている。

「いいわね。行動開始!」

 2組に分かれて犯人に近づく。中野警部補と警護課の4人が突入班として操舵室に、佐川刑事と梅原刑事は子供たちを保護するために多目的室に向かった。



 湖国のブリッジからは荒木警部が双眼鏡を使って「うみのこ」の様子を見ていた。ドローンからの映像でも犯人に動きはなかった。

「今のところ、犯人に動きをつかまれていない。後は侵入部隊に任せるしかない」

 荒木警部はそう呟いた。彼は中野警部補たちが人質を無事に解放して犯人を逮捕してくれると信じていた。

「ボートが近づいてきています」

 航行課の署員が報告した。確かに反対方向からモーターボートが近づいてきている。荒木警部が双眼鏡を向けると、乗っている人の姿が見えた。制服姿と背広姿の警察官が6名ほど・・・それは見覚えのある顔だった。荒木警部が船長席に座る大橋署長に言った。

「捜査1課の山上管理官と久保課長のようです」

「やはり来たか。少々、厄介なことになるかもしれんな」

 山上管理官の命令に反して侵入部隊を送っている。大問題になるかもしれないが、人質や子供たちの無事が優先される。犯人を刺激している以上、彼らが過激な行動をとる前に取り押さえる必要がある・・・大橋署長はそう判断していた。


 ◇


 多目的室の中は不穏な空気に包まれていた。係員から船内電話で緊急事態と聞かされて、その指示通り、中からカギをかけて多目的室に生徒とともに籠っていた。だが先生たちは「うみのこ」がシージャックされていることは知らされていなかった。


 しばらくしてドアがトントントンとノックされた。本庄先生がドア越しに尋ねた。

「どなたですか?」

「私はこの船の船員で勝田といいます。重要なことをお伝えに参りました。ここを開けてください」

 それは若い男の穏やかな声だった。

「それはどうも・・・」

 本庄先生がドアを開けると一人の作業着を着た若い男が飛び込んできた。彼はまず多目的室全体を見渡した。

「ここに生徒全員が集まっていますね」

 彼は児童が無事なのを確認したのかもしれない。

「はい。みんなここにいます。それより何があったのですか? 係員の方からは緊急事態としか聞いていませんが・・・」

 本庄先生が尋ねた。すると勝田は声を潜めて言った。

「大変なことが起きました。内密にお話があります。先生方はちょっと外に・・・」

 勝田は多目的室の外に出ると集まった先生たちに話し始めた。

「驚かないでください。この船がシージャックされました」

「シージャック!」

 本庄先生は驚いて思わず大きな声を漏らした。

「静かに! 子供達には知られない方がいいと思いますから」

「確かにそうね。ごめんなさい。それでどうしたらいいのですか?」

「ここから避難しましょう。下船するのです。私が案内します。一組ずつ移動した方がいいでしょう。まずは神水学園、5年1組からお願いします」

「生徒達には何と言いましょうか?」

「船の避難訓練ということなら動揺は少ないはずです」

「わかりました。生徒にそう言います」

「では急いでお願いします」

 先生たちは多目的室に戻っていった。さすがに普段通りにはいかず緊張感は隠せなかった。生徒たちは敏感にそれに気づいて騒ぎ始めた。

「静かに! 静かに! これから重要なことを言います。守れない人はこの船から降りてもらいます!」

 本庄先生が机をバンバンたたきながら大声を出した。それで生徒たちの私語は収まった。

「これから避難訓練をします。荷物はそのままで先生たちの後について行きます。しゃべってはいけません。組ごとに速やかに移動します! まずは5年1組から」


 大崎先生は5年1組の生徒を連れて多目的室から出た。そこには勝田が待っていて手招きしていた。大崎先生は頭を下げて彼について行った。

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