第9話 ゴーサイン

 侵入作戦は準備ができ次第、すぐに・・・という状況だった。荒木警部はドローンからの映像と窓から見える『うみのこ』をじっと見ていた。だがそこに横やりが入った。ブリッジに外部から通信が入ったのだ。

「署長、県警の山上管理官からです」

「わかった。つないでくれ」

 県警捜査1課の山上管理官は権威主義の塊のような人物だった。所轄署よりも県警の捜査を優先し、手柄をすべて持って行ってしまうということで評判がよくはなかった。大橋署長は山上管理官という名前を聞いて眉をひそめた。

(こんな時に何を言ってくるのか?)

 嫌な予感はした。大きな事件なので大橋署長が県警本部にさっき報告をしたばかりだ。それが耳に入ったようだが、あまりにも動きが速すぎる。まるでこちらの動きを監視していたように思えるほど・・・。

「県警の山上です。『うみのこ』で事件が起きたと聞きました。犯人が操舵室を占拠しているとか・・・」

 山上管理官の冷たい声が聞こえてきた。すでにそんな情報までが回っていた。

「署長の大橋です。『うみのこ』がシージャックされました。こちらの捜査課と警護課が対処しています」

 大橋署長はそう答えた。

「状況を説明していただきたい」

 山上管理官がそう言ってきたので荒木警部が無線機のマイクを持った。

「湖上署捜査課の荒木です。私の方から説明させていただきます。拳銃を持った2人組の男が船長をはじめ4名を人質にして操舵室にいます。ドローンで『うみのこ』を監視しています。今のところ死傷者はいません」

「犯人からの要求は? これからどうするのだ?」

「犯人からの要求はありません。ドローンで見る限り、動きはないようです。犯人に対しては直接、船に乗り込んで対処しようと考えています」

 荒木警部はそう答えた。すると舌打ちするような音が聞こえ、山上管理官が怒ったように話し出した。

「それはいかん! 人質がいるというじゃないか! それに多くの児童が乗っている。軽率に動いてはいかん!」

「しかし時間をかければ事態は悪くなります。操舵室から犯人は動いていません。こちらの捜査員が『うみのこ』の乗り移り、包囲して隙を見て取り押さえます」

 荒木警部は無線機で説明した。だが山上管理官は聞く耳を持っていなかった。

「とにかく動くな! この事件は県警捜査1課の担当としてこちらの捜査員が事件に当たる。もう準備ができている班もある。私がそこに行って指揮は執る。いいな!」

 それで無線は切れてしまった。荒木警部は唇をかみしめた。そのやり取りを聞いていた大橋署長は言った。

「このままではいたずらに事件を長引かせるだけだ」

「私もそう思います」

 すると湖の上が騒がしくなった。荒木警部は何があったかとすぐに窓際に向かった。すると赤色灯を回してサイレンを響かせて3隻の警備艇が向かってきていた。

「どうして警備艇が・・・ 署長。警備艇が向かってきています」

「こちらからは出動要請はしていない。警備艇に通信して聞くんだ」

 大橋署長は通信係の署員に命じた。警備艇はいつもは湖上署の命令系統に入っており、勝手に出てくることはないはずだった。大橋署長も窓際まで来て、荒木警部とともに騒がしくなった湖を見た。

 やがて警備艇と通信していた署員が大橋署長に報告した。

「警備艇からです。シージャックのため一時的に捜査1課の指揮に入ったとのことです。『うみのこ』を包囲するように命じられているようです」

「そんなことを!」

 荒木警部は思わず大きな声が出た。

「そんなことをしなくても『うみのこ』は停船していますし、ドローンで十分観察できます。あれは警察が動いていることが犯人に教えてやったようなものです。それに警備艇で取り囲むなどしたら犯人を刺激してしまって、奴らが何かするかもしれません」

「確かにそうだ。状況が悪くなるかもしれない。捜査1課につなげ」

 大橋署長は通信係の署員に命じたが、山上管理官はこちらに向かっているとのことで連絡が取れない。そのうち3艇の警備艇がまるで威嚇するかのように「うみのこ」の周囲を回り始めた。

 するとドローンの映像に動きが見えた。犯人の2人の男がそれにひどく驚いたようだ。操舵室中をイライラしながら歩き回っている。荒木警部は人質の身に危険が及ぶ気がした。

「署長!」

「わかっている。山上管理官がここに来るまでは暫定的に湖上署に捜査権がある。今すぐ決行だ! それに警備艇も追い払え! 全責任は私が持つ」

「はい。艇庫の中野警部補に連絡します」

 荒木警部は船内電話に手を伸ばした。

「中野警部補。署長からゴーサインが出た。侵入部隊はすぐに出発! ただし警備艇が動いたから犯人たちは警戒している。十分注意してくれ!」

「わかりました」

 艇庫で命令を受けた中野警部補はゆっくりと受話器を置いた。彼女は冷静で顔色一つ変えない。すでに佐川刑事や梅原刑事、そして警護課の泊巡査部長、藤井巡査長、渡辺巡査が準備を完了していた。ウエットスーツにアクアラングを背負い、足ヒレを履き、水中ゴーグルのみが頭に載っている。

「命令が出ました。すぐに出発します」

「はい!」

 中野警部補の指示で侵入部隊が動き出した。各自が荷物を背負って後部ドアの方に向かう。

 その後部ドアはすでに少し開かれていた。そこから水中スクーターで出て行って犯人に気付かれないように水中から「うみのこ」に接近する。佐川刑事は緊張で息遣いが荒くなっているのを感じていた。

(いつもと勝手が違う・・・しかし訓練通りすればうまくいくはず・・・)

 彼は不安を抑えながら、これから潜る湖面をじっと見ていた。

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