第5話 出会った男

 「うみのこ」を降りたのは5年1組の担任の緑川由美先生と生徒の水上翔太だった。この2人の姿を知らない人が見ると、ただの母子にも見えるかもしれない。彼女はしっかりと翔太の手を引いていた。いや、少し引っ張っているようにも見えるかもしれない。彼女は急いでどこかに向かおうとしている・・・。

 翔太の顔は少し青ざめていたが、特に体調が悪いようでもなかった。しっかりした足取りで歩いている。2人が向かおうとしているのは浜大津駅の方だった。そこには近江鉄道もあるし、タクシーも止まっている。


 だが急ぐ2人の前に紺色のセダンの車が停まった。緑川先生はおびえるようにしてその車を見た。するとドアが開いて運転席から一人の男が下りてきた。年は40前に見え、髪は白髪交じりでぼさぼさに乱れ、服装は薄汚れたシャツとズボン姿で全体的にだらしなく見えた。その男が薄笑いを浮かべながら緑川先生に声をかけた。

「由美! 久しぶりだな!」

「あ! あなた・・・」

 緑川先生はひどく驚いていた。会いたくない昔の知人にでも会ったかのように・・・。彼は赤木竜二だった。彼女は関わるまいと彼から顔を背けて先に進もうとした。だが竜二はその前に回り込んだ。

「無下にするなよ。わかっているんだぜ。異世界旅行だろ?」

 竜二は意味ありげに言った。緑川先生は何も答えない。ただ黙ってうつむいていた。その隣で翔太はおびえて緑川先生の後ろに隠れた。竜二は翔太を怖がらせないように笑いかけながら言った。

「君が翔太君だね。そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。おじさんはこの先生の知り合いなんだ。君を車に乗せてドライブに連れて行ってやろう。こっちにおいで」

 だが翔太は黙ったままそこを動かない。竜二は作り笑いをしながら翔太のそばに行って抱き上げようとした。するとその時、なぜか竜二には懐かしい感情が湧きあがってきた。

「やめて!」

 すぐに緑川先生が竜二から翔太を引き離した。翔太はまた緑川先生の後ろに隠れた。

「まあ、いいさ。どうせ連れて行くのだろう。乗れよ!」

 竜二は否応もなく・・・という雰囲気だった。緑川先生はため息をついた。

(こんな時にこのひとに出くわすとは・・・)

 辺りは人通りが多く、不審そうに見ている人もいた。これ以上、やり取りをしていたら騒ぎになりそうだった。

「わかったわ」

 緑川先生はあきらめたようにそう言うと、竜二は後ろのドアを開いた。ここに乗れということだった。翔太はどうしたらいいかもわからず、不安そうに緑川先生を見た。

「大丈夫よ」

 緑川先生は翔太に「安心するように」とうなずいた。

 竜二は緑川先生と翔太を車に乗せた。

「じゃあ、行くぜ!」

 その車は山の方に向かっていた。


 ◇


 生徒たちは3階の多目的室に集められていた。そこでオリエンテーションを受けた後、班分けをして活動を開始するわけである。

 神水学園の生徒の点呼を取った時、学年主任の本庄先生は5年1組の担任の緑川先生と生徒の水上翔太がいないことに気付いた。

「どこに行ったのかしら? 緑川先生まで。水上君が気分でも悪くなって保健室に連れて行ったのかしら」

 そこに副担任の大崎先生が慌てて駆けつけてきた。

「本庄先生。水上君が急に気分が悪くなったと言うので緑川先生と下船しました。病院に連れて行くと言っておられました」

「えっ! 聞いていないわよ!」

 年配の本庄先生は嫌な顔をした。生徒全員の責任を負っている以上、すぐに耳に入れて欲しかったと言いたげだった。下船するほど悪いようなら特に・・・。

「すいません。もう出発間際だったので・・・。僕に本庄先生への報告とあとを任せると言って、すぐに・・・」

 まだ若い大崎先生は困って頭をかいた。彼は倍ほど年が違う本庄先生には日頃、注意されることが多かった。だからまた小言を言われると思ってびくびくしていた。

「仕方がないわね。じゃあ、頼むわ。緑川先生の代わりに担当の班への指導を頼むわ」

 本庄先生はそれだけ言って行ってしまった。大崎先生はほっとして机の上に残されていたピンクゴールドのスマホをポケットにしまった。

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