第1章 シージャック

第3話 水上家の朝

 琵琶湖を望む丘に建つ、ひときわ大きな洋館が水上邸だった。ここの先代が建ててから50年以上が経過し、そのレンガ造りで仕上げた重厚な外観が周囲を圧倒する威容を誇っていた。そして庭には多くの木々が植えられていた。その中でも楓はこの時期にその葉は赤く染めて、色褪せた洋館に彩りを添えていた。


 その洋館に今朝もダイニングに元気な男の子の声が響いた。

「おはよう!」

 彼はこの家の子供の翔太だった。彼の明るさがこの家を明るくする。

「おはようございます。翔太様。今日はいつもよりお元気ですね。なにかおありになるのですか?」

 マグカップに牛乳を注いでいた初老の男が笑顔で迎えた。彼は古くからこの家に仕えている家令の森野市蔵である。いつも留守がちな旦那様と奥様の代わりに家政婦とともに翔太の面倒を見ていた。

「そうだよ。今日は『うみのこ』だからだよ!」

 翔太はうれしそうに目を輝かして言った。

「ははは。実はこの森野にもわかっておりました。ずっと楽しみにしておられましたから」

「お父様とお母様は?」

「旦那様は朝早くお出かけです。奥様は和雄様を連れて昨夜から高島の別荘にお出かけになりました」

「そうなの・・・。『うみのこ』に行くことを言おうと思ったのに・・・」

 翔太は残念そうに言った。その様子を見て森野はかわいそうになった。彼には旦那様と奥様が翔太様に冷たいように思えるのだ。確かに和雄様が生まれて愛情がそちらに移ったにしても・・・翔太様は翔太様なりにご両親、特に継母とは仲良くしていきたいと思っておられるのに・・・。森野はそっとため息をついた。彼は翔太の心を明るくするため、話題を「うみのこ」の方に向けた。

「『うみのこ』ではどんなことをされるのですか?」

「琵琶湖のことをいろいろと学習するんだ。あちこちに行くんだよ。今日は船に泊まるんだ・・・」

 翔太は無邪気に話し続けた。

「はい・・・はい・・・それは楽しみでございますね」

 森野は相槌を打ちながら聞いていた。考えてみれば「うみのこ」に乗るのは小学5年生である。

(大きくなられた。亡き奥様も天国で喜んでおられるに違いない)

 森野は感慨深かった。赤ん坊のころから翔太を見てきた森野にとって孫のようでもある。仕えてきた前の奥様から翔太様のことを託されてもう11年近くなる。

「さあ、朝食を召し上がりになってください。時間に遅れますよ」

 森野はいつまでも話し続ける翔太を促した。テーブルには森野が焼いたパンと家政婦の作った料理が並べてある。

「いただきます!」

 翔太はおいしそうに食べていた。森野はそんな翔太を優しく見ていた。


 その光景を窓の外から見ている、もうひとりの初老の男がいた。彼は奥山平治という、この家で旦那様の仕事を手伝う事務員だった。元々は学園の事務員だったが定年退職となり、書類仕事ができてパソコンが使えるということで5年前からこの家の仕事に就いたのだ。

 奥山は翔太をじっと見ていた。その目付きはなぜか鋭かった。

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