十八話

「別れてくれませんか」

 眼鏡の女の子にそう言われたのは、新年に入ってから一月ひとつきくらい経ったあと。休日のデート帰りの夕方だった。

「理由を聞いてもいいかな」

 信じられないというほどではなかったものの、意外ではあった。切り離すとすれば、きっと俺からになるんだろうな、みたいな漠然と思いこんでいたから。女の子は悲し気な目で、本気で言ってますか、と逆に尋ね返してきた。

「先輩の胸に聞いてみてくれれば、自ずと答えは出てくると思いますけど」

「参ったな」

 心当たり自体はあり過ぎるくらいある。問題は、どれかということだったけど、残念ながら見当がつかない。

 眼鏡の女の子はため息を吐いたあと、

「そういうところです」

 なんて言うものだから、ますますわからなくなる。

「断わっておくと、私にとってこの数か月は夢みたいな時間でした。そういう時間を与えてもらえたのには、いくら感謝しても足りません」

 ですけど。言葉を区切った、今別れようとしている彼女の目。そこには小さくない怒りが籠っているみたいに見えた。

「先輩は、私と同じ熱量を持ってくれていませんでしたよね」

 ああ、それか。腑に落ちる。二つ前の元カノも遅まきながら察していた辺り、気付く人間がいてもおかしくはなかった。そして、周りの人間の反応から、ごくごく親しい仲において嫌がられる振舞いだというのを、

「私の行きたいところに付き合ってくれて、好きな映画も一緒に見てくれるし、ちょっと洒落た喫茶店にも連れて行ってくれます。それに私が慣れないオシャレをすれば誉めてくれるし、して欲しい時にキスも返してくれます。ですけど、そこに先輩の心はありませんよね」

 断言する眼鏡の女の子。

 人の心を勝手に決めないで欲しい。俺は俺なりに君のことを愛している。わかってもらえなかったのは残念だけれど、これからは伝わるように努力するから。いや、こういう態度が行けなかったのか。俺らはもっと話し合わなくちゃいけないのかもしれないな。

 引き止めるための言葉はいくらでも浮かんできたし、死力を尽くせば付き合いを続けるのは不可能ではないだろう。けれど、残念な(或いは幸福なのかもしれない)ことにそこまでの執着を今の彼女に抱けてはいなかった。

「そうかもしれないね」

 ただ一言。途端に眼鏡の女の子は歯を噛み締め、両の拳を握りこむ。

「私一人だけが本気なのは辛いです。だから、もう少しだけでも私に心を向けてくれれば。今も、そう思っています」

 ここが分岐点だろう。ちらりと向けられた上目遣いに込められた小さくない期待。求められているものを察しつつも、目蓋を閉じる。

「ごめんね」

 俺はきっと変われない。言外に込めた思いは、十分に伝わったんだろう。キッとこっちを睨んだ眼鏡の女の子は、ご丁寧に深くお辞儀をしてみせると、

「今までありがとうございました。さようなら」

 そう告げて走り出した。足取りはどこかノロノロとしていたけど、黙って見送った。

 別れを切り出されて、そのまま別れたのは初めてだった。そこに新鮮さはなくはなかったけど、好き好んで体験したいようなことでもないなと感じつつ、帰路につく。

 きっと、これからも同じように生きていくんだろう。一つの終わりを迎えたあと、ふと、前の前の彼女だった少女の姿が頭に浮かんだ。もしかしたら今日も家にいるかもしれないあの娘を、遠ざけるための口実を失ってしまったのに気が付く。

 まあ、いいか。今は誰とも付き合っていないし。いるものは気にするだけ無駄だしね。

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