十七話

 早朝。ファミレスで軽く食事を済ませてから、眼鏡の女の子を家の近くまで送ったあと、思いきり欠伸をする。

 とにかく疲れていたので、さっさと帰って寝たかった。けど、たぶん、残っているはずのケーキくらいは食べてからにしてもいいかもしれない。密やかな楽しみを頭に浮かべつつ帰路。


 やはり、というか半ば予想通り、玄関前には少女が寄りかかっていた。向こうも向こうで眠たげな目をしている。無視しようかとも考えたけど、扉が塞がれているため、どいてもらう必要がある。

 ため息を吐いたあと、

「どいて欲しいんだけど」

 渋々話しかける。少女は顔を反らしたあと何も言わずにじっとしていた。いつも通りに何もないのかとその視線の先を追ってみれば、小ぶりのクリスマスツリーがある。例年通りであれば、雰囲気作りのために室内に飾られてるものだ。

 なんで、外にあるんだろう。そう思ったところで、おずおずと少女の顔がこっちに向く。

「めりー、くりすます」

 どこか片言じみたそれには、独特のおかしさがあった。それからすぐ、扉の横に避けた。少女もまた俺から距離をとるみたいに駆け出す。

 まさか、それだけを言いに、ここに立っていたんだろうか。まさかね、と思いつつ少女を避けるようにして、ノブに手をかける。鍵はかかっていないみたいだった。

 後ろから足音が聞こえる。振り向けば、ちょこんとクリスマスツリーを抱えた少女の姿。たしかに、放っておいて野ざらしにするには少々もったいないものだしな、と納得させながら、この娘は今日も俺の家で過ごすつもりだろうか、とほんの少し呆れていると、少女が鼻をひくつかせた。

「におい」

 無機質な声は、それでいてどことなく不機嫌そうに聞こえる。シャワーもしっかりと浴びたし、それからそれなりに時間は経っているはずだったけど、意外にわかるものなのか。関心半分恐れ半分みたいな心地のまま、俺は無視を決めこむ。少女もまた、黙って後ろについて来る。やっぱり、今日もこの家で過ごすみたいだった。


「昨日は寂しいから泊まってもらったの」

 薄情な息子の代わりにね。ブッシュドノエルを切ってくれる母は、どことなく恨めし気に言った。

「その件に関しては、電話で謝ったでしょ」

「そうなんだけどね、理性と感情は別みたい」

 皿に乗った大ぶりのココアクリームに包まれたロールケーキの甘い匂い。大元のケーキはといえば、昨日の夜も食べられたからか大分、短くなっていた。そこに更に包丁が入る。おそらく、昨日も食べたであろう少女に配られたに違いない。父は休日の常からか、ぐっすりと寝ているらしくこの場にはいない。

「昨日は、唐突に予定を入れてしまってごめんなさい」

 一度、謝ったとはいえ、結果として約束を破ってしまったのはたしかであり、あらためて頭を下げる。母は、冗談だって、と少女にケーキを切り分けたあと、

「なんにしても、元気そうで良かった」

 優しくそう告げた。どうにも調子が狂ってしまいそうなのを、いただきます、と手を合わせてごまかす。隣でも似たような気配がした辺り、少女も同じようにしているんだろう。

「そっちは楽しめたの」

「うん」

 まあまあかな。首尾よく終ったデートに対する内心の本音は、表向きにするべきではないなと飲みこむ。

「そっか。こっちだけ楽しんでたらどうしようって思ってて」

 ほっとしたように微笑む母。思うに、例年のクリスマスイブの俺の位置に、少女がいたのだろう。ここで兄弟姉妹でもいればそちらだけでも充分だったのかもしれないけど、幸か不幸か俺は一人息子で。その点、少女がいてくれて良かったのかもしれない。

「お母さんたちはいつも通りだったの」

「あんたがいないのを除けばね」

 これは意地悪だったね、ごめんごめん。気楽に謝る母を見るに、やっぱりいた方が良かったかもしれない、と後悔する。おそらく、俺個人としてもそっちの方が楽しかった気がしないでもない。とはいえ、そうなると泊まりこんだ少女と多かれ少なかれ触れ合わなければならなくなった気がしないでもないけど、どっちにしろ今日までは残っていたのだから、長いか短いかくらいの違いしかないのかもしれない。

 不意に肩を叩かれる。相手はわかっていたので無視しようとしたけど、少女を可愛がっている母の手前では、どうにも気まずい。仕方なしに振り向けば、少女は小さな黄土色の紙袋を手にしたまま、上目遣いでこっちを見ている。

「プレゼントかなにかかな」

 肯定だと言いたいのか、押し付けるみたいにして差しだされた。受けとらないわけにもいかず、小声で、ありがとう、と口にしてから受けとり、口のテープを剥がして丁寧に開ける。

 中から出てきたのは、黒い猫のキーホルダーだった。

「喜びなさいよ。この娘が何時間もかけて選んだんだから」

 どうやら、グルだったらしい母の言とともに、手前の小皿の上に半分ほど残っていたブッシュドノエルを崩す作業に戻る少女。俺はぼんやりとキーホルダーの猫の黄色く煌々とした目と視線を合わせる。可愛らしいというよりも、リアルっぽい造形の猫の眼差しにはどことなく既視感と気まずさをおぼえた。とにもかくにも渡されたからには、仮は返さなくてはならないと、ほんの少しだけ気が重くなりもする。

 

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る