十六話

 クリスマスイブ。眼鏡の女の子とのデートを控えた朝。

 食卓では、スクランブルエッグを乗せたトーストを齧る少女の姿がある。ため息を吐きつつ、パンを焼きに台所に向かう。トースターにパンを入れたあと、俺のすぐ後ろで洗い物をしている母親を見た。

「母さん」

「なに」

「俺とあの娘は」

「もう付き合ってない、でしょ」

 わかってるよ。優しく応じる母親に、だったら、と言葉を重ねようとして、

「けど、私もあの人も、あの娘のことは気に入ってるからね」

 やんわりと遮られる。

「仮にあんたとの付き合いが終わっていたとしても、私とあの人とあの娘の付き合いは続いているから。そこは許してもらえない」

「許すもなにも」

 心情的な問題を考えないのであれば、俺には止める権利はない。いや、息子としてのわがままというかたちであれば、もしかしたら受けいれてもらえる可能性もあったかもしれないけど、そこまでするのは本意じゃない。

「それはそれとして、母さんに頼むがあるんだけど」

 耳打ちすると、あの娘と絶交しろって以外だったなんでも、と小声で安請け合いされる。

「だったら、なんだけど」


 できるかぎり引き止めておいて欲しい。猫のように忙しないあの少女相手にどこまで有効かはわからなかったが、少なくとも家を出る時点で付いてくることはなかった。

 ひとまずほっとしつつ、待ち合わせ場所の最寄り駅前に向かえば、落ち着きなく眼鏡を傾けては戻す彼女をみつけた。

「やあ」

 声をかければ、眼鏡の女の子はそわそわした様子のまま、頭を下げる。

「本日はよろしくお願いします」

 そんなに畏まらないでいいのにと思う一方で、こういう初々しい反応をする女の子を相手するのも久々だなと感じる。一つ前に付き合っていたのが、いまいち何を考えているのかわからなかった分、尚更。

「いっぱい、楽しもう」

 ごくごく教科書的な台詞を口にすれば、気合の入った、はい、の返事。同じ熱量ではないのをほんの少しだけ申し訳なく思いながらも、こっちも楽しい気分になれればな、と願った。


 ☆


 そこからはまあ、多くを語ることもない。ごくごく普通のデートだ。

 イタリアンが美味しいと評判のカフェで昼食をとってから、前もって予約をしていたハリウッド制作の少ししゃれた恋愛映画を見たあと、例のごとくボロボロに泣く彼女を喫茶店で落ち着かせてから、ショッピングモールで服屋を中心に見て回って時々小物を買ったりした。そして、夜は景色のいい少し高めのレストランでテンパる彼女に俄か知識のマナーを教えたり普段とは違う味付けの高そうな味の肉やら魚、意識の高そうなデザートに舌鼓を打ったあと、プレゼントを交換したりする。

 ごくごくありがちなデートプランを繋いだそれを、眼鏡の女の子は好意的に受けとめてくれたようで異常なくらいはしゃいでいた。どちらかといえば、内向的な彼女がそうなっているのはクリスマスという特別さの魔力か、あるいは別の要因か。とにもかくにも、楽しんでくれたようでなによりだ、と思いつつ別れの時間が来た。

「じゃあ、また。今度は初詣かな」

「そう、ですね」

 名残惜し気な様子の彼女はどことなくもじもじとしている。この時点で、言わんとしているところは感じとっていたが、敢えて気づかないフリを決めこんだ。

「今日はすごく楽しかったよ」

「はい」

「それじゃあ。良いお年を」

「あのっ」

 叫びに近い声。来たか、と思う。

「なにかな」

「先輩。この後の予定って」

「そうだな。家族と一緒にケーキでも食べるくらいかな」

「だったら」

 言葉を飲みこむ眼鏡の女の子は、顔を伏せている。俺は急かすことなく、ただただ続きを待つ。

「これからの時間。私にいただけませんか」

 やっぱりな。そう思いながら、ゆっくりと頷く。

「いいよ」

 

 その晩、俺は家に帰らなかった。

 懸命にこちらを誘う女の子を優しく抱きとめたり、唇を合わせたり、それ以上のことをしたりしながらも、心はどことなく義務的なままだった。

 きっと、必要な手続きなんだろう。

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