四話

「あーん」

 棒読みじみた言葉のまま差し出されるまんまるとした手作りらしいおにぎり。好天の下、どうしていいかわからない俺の前で、少女はより近くに米のかたまりを押し付けてくる。

「あーん」

 寸分違わぬトーンで発せられる声。何を求められているかわかっていたが、その通りに振る舞っていいのか、どうにも迷ってしまう。

 なんでこんなことになっているんだろう。


 /


 始まりは休日の朝。起き抜けの眠気まなこを擦りながらリヴィングに下りると、うちの両親に挟まれた少女が猫飯ねこまんまをかきこんでいた。

「おはよ」

 すぐにこっちに気付いたらしい少女が俺を見上げた。にこりともしていない顔に、おはよう、と応えてから、

「今日はなにしに来たの」

 間髪入れず聞き返す。

「お前、彼女にその態度はないんじゃないか」

 さっきまで無駄ににこやかだった父さんが食ってかかってくる。始めて付き合っている相手を家に連れてきたせいか、あるいは少女本人の人柄に惹かれたのか。少女に対してえらく好意的になっているらしい父親に、反論しようと口を開き

「そうだよ。こんなに可愛い彼女なんだから優しくしてあげないと」

 かけたところで、母さんもまた、少女の味方だと知って、すぐさま白旗を上げることに決め、両手を上げる。

「はいはい、俺が悪かったよ。けど、本当に何しに来たのかわからなくてさ」

 少なくとも約束はしてない。いや、少女との間の約束事なんてそれこそ付き合う付き合わないの話くらいしか心当たりがないし、この娘が唐突にやってくるのなんて今更ではあるけど。

 辛うじて家に関しては一緒に帰った時に教えた覚えがある。だからといっていきなり両親と朝ご飯を食べてるなんて想像してなかったし、そもそも訪ねてくるとすら思っていなかった。そんな少女の目的なんてわかるはずもない。

 少女は残っていた猫飯を一気に流し込んだあと、大きく息を吐いてから、

「あそぼ」

 何の感情も窺わせない上目遣いとともにそう告げてから、残っていた卵焼きをかじった。


 この誘いは、両親があからさまに嬉しそうにしていることによって作り出された空気的にも断りづらく、こっちとしても特にこれといった予定もなかったため、少女の、あそぼ、という言葉に早々と乗っかった。

 手早く朝食を済ませたあと、珍しく大げさな身振りをしる父さんと母さんに見送られながら、二人で家を出た。六月になり徐々に夏が近付いてたから、いっそ室内でもいいんじゃないかとも主張したけど、

「外がいい」

 少女のこの一言ではっきりと拒まれた。

 よくよく考えれば、両親が在宅中とはいえ、名目上付き合いはじめたばかりの彼女にする提案ではなかったかもしれない、と後悔した。俺の気持ちを知ってか知らずか、少女は軽やかな足どりで先をゆく。

 どうやら、はっきりとした目的地があるみたいだ、と察して行く先は任せることにした。そもそも、少女の方から、あそぼ、と誘ったところからしても、本人なりにやりたいことがあるんだろうし。

 ……そんな軽はずみな気持ちを嘲笑うみたいに、少女の足は様々なところへと向いた。

 俺んの一番近くの公園を横切ったかと思えば、青信号の横断歩道の手前で立ち止まり例のなにもないところを眺める仕草を二十分ほど(この間、いつも通り何を見ているのか聞いてみたけど、答えは返ってこなくて、仕方なく同じところを見て何もないのを確認)した後、急にスーパーへと走り込み試食コーナーウィンナーを三つほど平らげたり(少女自身はそれ以上食べたがっていたけど、さすがにこれ以上は迷惑になりそうだと無理やり引きずっていった)、そのスーパー裏の自販機で買ったミルクティーをちろちろ舐めながら、青空の下でひなたぼっこをおおよそ一時間ほどしたかと思えば、一転して走り出したので後を追えば、よく知らないビルの非常階段を登りはじめたので息を切らしながら登る羽目になった。

 ぶらぶら気ままに、などといえばそれらしくはあるけど、実際のところは行き当たりばったりな少女の振る舞いに戸惑ってばかりいた。

 そもそも、これが少女の言うところの、遊び、なのかというところにも自信が持てない。事実だけ並べれば遊ばれてるとは言えなくもないけど、不思議とそんな感じはしない。

 そして、たどり着いたビルの屋上で、

「お弁当」

 今日一番目的はっきりとした少女の言の葉とともに、爆弾じみた大きさの米のかたまりが差し出された。弁当箱が見覚えのあるものなところからして、たぶん、今日の朝作られたと察せられた。


 /


 初デートで彼女がお弁当を作ってくれていた。事実関係だけ並べるのならばそういうことになるのだけど、

「あーん」

 棒読みで差し出されるおにぎりに、小さくない恐れをおぼえていた。もっと言えば、得体の知れなさを。

 まだどういう人間なのかわからないという興味から半ばお試し感覚で付き合っているにしても、今の俺の気持ちは仮にも彼女に対して抱くものではないだろう。けど、口に入れるものをよくわからない相手が持っていて食べさせてくれようとしている、という状況が、どうにも耐え難い。

 有り体に言って、俺はこの少女を信用できていない。

 それもこれまで二三週間の付き合いからすれば、妥当としか言いようがなかった。

 これ以上、付き合うのは無理。そんな判断を下しつつあった。

 少女はしばらく同じ動作を繰り返していたが、不意に手を引っ込めた。

 別れ話にはうってつけのタイミング。この手のことは慣れっこだったので、口を開こうとしたところで、少女が手にしていたおにぎりを齧りとる。あきらめて自分で食べることにしたのかと思った矢先、柔らかい掌が俺の両肩に添えられた。何事かと混乱しかけてすぐ、経験がある事象だと脳が判断する。その予測に違わず、リスみたいに頬が膨らんだ少女の顔が大きくなっていき……


「おいしかった?」

 米とその中に入っていた卵焼き、それとちょっとだけ残っていたミルクティーの味が口の中に広がっていく間、既に元の距離に戻った無表情の少女に聞かれて、ただただ頷くしかない。

「そう」

 その、そう、はどういった意味だったのだろうか。また、おにぎりが差し出される。

「あーん」 

 今度は素直に受け入れる。もう恐怖はなくなっていた代わりに、唇に残った感触にぼんやりとした。

 あれはただの口移しだったのかそれとも。聞いても答えは返ってこないだろうな、確信しつつも、意外と美味いおにぎりに舌鼓を打った。

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