10 真相への接近

朝日が昇り始めた頃、エリーナは魔法省の周辺を慎重に調査していた。


街路には早朝の静けさが漂い、時折警備兵の足音だけが響いていた。エリーナの体内では、黒い霧の影響がさらに広がっていたが、彼女自身はまだその深刻さに気づいていなかった。


(ここから魔力の異常な流れを感じるわ⋯⋯)


魔法省の裏手にある小さな倉庫に近づいた。彼女の指先から漏れ出る黒い霧が、周囲の魔力と共鳴するように揺らめいている。


朝露に濡れた石畳が、彼女の足音を僅かに反射させていた。


(この扉、魔法で封じられているみたい)


彼女は慎重に手を伸ばし、扉に触れた。すると突然、強烈な魔力の波動が彼女の体を貫いた。


「きゃっ!」


エリーナは思わず声を上げそうになったが、咄嗟に口を押さえた。彼女の体が一瞬青白く光り、そして黒い霧に包まれた。周囲の空気が一瞬凍りついたかのように感じられた。


「何が⋯⋯起こったの?」


彼女は自分の手を見つめた。指先から漏れ出る黒い霧が、以前より濃くなっているように見えた。しかし、エリーナはその変化に、むしろ新たな力が湧いてきたように感じていた。彼女の体内で、魔力が渦巻くような感覚があった。


「不思議⋯⋯力が溢れてくるような感覚がするわ⋯⋯」


エリーナは再び扉に手を当てた。今度は、封じられた魔法が簡単に解けていくのを感じた。まるで、複雑な魔法の糸が、彼女の意思だけで解けていくかのようだった。


「何なの⋯⋯」


戸惑いながらも、エリーナは慎重に倉庫の中に入った。


薄暗い内部には、奇妙な形をした機械と、不思議な光を放つ結晶が並んでいた。壁には複雑な魔法陣が描かれ、かすかに光を放っている。


「これは⋯⋯」


エリーナが結晶に近づこうとしたとき、突然後ろから声がした。


「そこまでだ!」


振り返ると、魔法省の警備兵が数人、彼女を取り囲んでいた。彼らの手には魔法の杖が握られ、エリーナに向けられていた。エリーナは一瞬パニックに陥りそうになったが、すぐに冷静さを取り戻した。


「私は⋯⋯」


言い訳を考えようとしたが、その前に体が勝手に動き出した。エリーナの指先から黒い霧が溢れ出し、警備兵たちを包み込んでいく。霧は生き物のように蠢き、警備兵たちの周りを取り巻いた。


「な、何だこれは!」


警備兵たちが驚きの声を上げる中、エリーナは自分の力に驚きながらも、なんとか状況をコントロールしようとしていた。彼女の心臓が激しく鼓動し、体中を魔力が駆け巡るのを感じた。


「私を見なかったことにして」


彼女の言葉に、警備兵たちの目が一瞬曇り、そして彼らはまるで何もなかったかのように立ち去っていった。


「今の⋯⋯私がやったの?」


エリーナは自分の手を見つめ、戸惑いと興奮が入り混じった表情を浮かべた。力の高揚感と共に、かすかな不安も感じていた。


その時、リュシアンからの通信が入った。彼の声には緊迫感が漂っていた。


「エリーナ、今どこだ? 重要な情報を掴んだぞ」


「リュシアン、私も怪しいものを見つけたわ。すぐに戻る」


エリーナは急いで倉庫を後にした。街を走りながら、彼女は自分の体の変化について考えていた。街路を駆け抜ける彼女の姿は、まるで影のように素早く、以前とは明らかに違っていた。


隠れ家に戻ると、リュシアンとクラウドが真剣な表情で待っていた。部屋の空気は緊張感に満ちていた。


「エリーナ、無事だったか」


リュシアンの声には安堵と同時に、心配の色が混じっている。


「ええ、大丈夫よ。それで、何を見つけたの?」


クラウドが資料を広げながら説明を始めた。彼の手には、複雑な図面と数式が書かれた紙が握られていた。


「アズマリア帝国が開発した特殊な魔力結晶についての情報だ。この結晶は、通常の魔法を増幅し、制御することができるらしい」


「それって⋯⋯」


エリーナは倉庫で見た結晶のことを思い出していた。その光景が、鮮明に脳裏に浮かんだ。


「私、その結晶を見たわ。魔法省の裏手の倉庫に」


リュシアンが驚いた表情で尋ねた。彼の声には、明らかな動揺が感じられた。


「本当か? 危険なところに行ったんじゃないのか?」


「大丈夫よ。それに⋯⋯」


エリーナは躊躇いながらも、自分の体に起こった変化について話し始めた。黒い霧のこと、突然強くなった力のこと。話を聞きながら、リュシアンとクラウドの表情が次第に深刻になっていった。部屋の空気が、重く沈んでいくのを感じた。


「エリーナ、それは危険かもしれない。アズマリア帝国の技術は、人の魔力を操作し、増幅することができる。でも、それは大きなリスクが伴うんだ」


「リスク?」


「ああ、使用者の精神を蝕むんだ。そして、不安定になったところを操る」


リュシアンの言葉に、エリーナは不安を感じたが、同時に、この新たな力への興味も湧いていた。彼女の中で、相反する感情が渦巻いていた。


「でも、この力を使えば、もっと多くのことができるかもしれない。この国を、みんなを守れるかも」


「エリーナ、危険だ。もっと慎重に行こう」


リュシアンの忠告に、エリーナは少し不満そうな表情を浮かべた。


「分かってるわ。でも、この力を無駄にしたくない」


三人は、これからの行動について話し合い、エリーナの体の変化を注意深く観察しながら、アズマリア帝国の計画を阻止する方法を探ることになった。けれど、彼女の瞳の奥に、かすかに黒い霧が渦巻いているのを、誰も気づいていなかった。


夜が更けていく中、エリーナは窓の外を見つめていた。街の灯りが、彼女の複雑な心情を映し出しているかのようだった。月明かりが彼女の顔を照らし、その表情には不安が揺らいでいた。


「私は⋯⋯正しいことをしているのよね」


彼女のつぶやきが、静寂の中に消えていった。エリーナの体内では、黒い霧がさらに広がり、彼女の意識を少しずつ蝕んでいく。


翌日、エリーナたちは更なる調査を開始した。街の中を歩きながら、エリーナは自分の体の変化を強く感じていた。周囲の魔力が、以前よりもはっきりと感じられるようになっていた。


「リュシアン、街の魔力の流れが変わってきているわ」


「どういうことだ?」


「うまく説明できないけど⋯⋯まるで、全ての魔力が一点に集まっていくみたい」


リュシアンは眉をひそめた。エリーナの感覚が、通常とは明らかに異なっていることを感じ取っていた。


「エリーナ、無理はするな。少しでも異常を感じたら⋯⋯」


「大丈夫よ、リュシアン。私なら⋯⋯」


エリーナの言葉が途切れた瞬間、突然街の中心部で大きな爆発音が響いた。人々の悲鳴が街中に広がり、パニックが起こり始めた。


「あっちよ!」


エリーナは躊躇なく爆発音のした方向に走り出した。リュシアンは彼女を止めようとしたが、エリーナの動きは驚くほど素早かった。


現場に到着すると、そこには信じられない光景が広がっていた。巨大な魔法陣が空中に浮かび、その中心から黒い霧が溢れ出していた。霧に触れた建物や人々が、徐々に歪んでいく。


「これは⋯⋯」


エリーナの体が、その黒い霧に反応するように震えた。彼女の中の力が、制御不能なほどに膨れ上がっていくのを感じた。


「エリーナ、下がれ! 危険だ!」


リュシアンの叫び声が聞こえたが、エリーナの意識は既に霧に吸い込まれそうになっていた。彼女の瞳が完全に黒く染まり、体から強烈な魔力が溢れ出し始めた。


「私が⋯⋯みんなを守る⋯⋯!」


エリーナの叫び声と共に、彼女の周りに強烈な光が広がった。その光は黒い霧を押し返し、魔法陣を打ち砕いていった。

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