5 静かな夜の時間

ノーヴァリアの夜空に、無数の星が瞬いていた。エリーナは宿の窓辺に立ち、遠くに見える魔法制御塔の淡い光を眺めていた。彼女の青い瞳には、深い思索の色が宿っていた。


「リュシアン、この星空とあの光を見てると、なんだか懐かしい気持ちになるわ」


机で資料をまとめていたリュシアンが顔を上げた。


「懐かしい?」


エリーナは小さく笑い、リュシアンの方に向き直った。彼女の染められた髪が、月の光に照らされて輝いて見えた。


「ええ。遠い昔、星空の下で、大切な人と過ごした時間の記憶」


エリーナの声には、どこか儚さが混じっている。彼女の前世の記憶が、今の彼女の心に影響を与えていた。


「へえ⋯⋯興味深い、な。その大切な人って⋯⋯どんな人物なんだ?」


リュシアンの声には、わずかな嫉妬の色が混じっていた。エリーナはそんな彼の反応を楽しむように、いたずらな笑みを浮かべる。


「ふふっ どうかしら。もしかしたら、あなたよりずっと素敵な人だったかも」


「おいおい、そりゃないだろう」


リュシアンが苦笑いを浮かべると、エリーナはくすくすと笑った。彼女は、リュシアンの反応を見るのが好きだった。


「冗談よ。あなたの方が断然素敵よ」


彼女はリュシアンの隣に座り、その腕にもたれかかった。二人の体温が混ざり合い、心地よい温もりが広がる。


「ねえ、リュシアン。この国の人たちって、本当に魔法なしで幸せなのかしら」


リュシアンは少し考え込むような表情を見せた。


「難しいな。表面上は平和に見えるが、クラウドの話を聞く限り、不満も抱えているようだ」


「そうね。でも、魔法がないからこそ発展した技術もあるわ。あの蒸気機関を見てびっくりしたもの」


エリーナは突然立ち上がり、部屋の中央で両手を広げた。彼女の目には、いたずらっぽい光が宿っていた。


「ほら、見て!」


彼女の指先から小さな光の粒が漏れ出し、空中で美しい模様を描き始めた。それは、まるで星座が部屋の中に降りてきたかのようだった。


「エリーナ! 危ないぞ!」


リュシアンが慌てて立ち上がったが、エリーナは楽しそうに笑った。


「大丈夫よ、この部屋、魔法制御塔に気づかれないように結界を張ってあるの。ね、綺麗でしょう?」


リュシアンは呆れたような、でも少し感心したような表情を浮かべた。


「相変わらず予想外なことをするな。だが、確かに綺麗だな」


エリーナは満足げに微笑み、光の粒を消した。そして、再びリュシアンの隣に座った。


「ごめんなさい。ちょっと、魔法が使えないストレスが溜まってたの」


「分かるよ。だが、くれぐれも注意してくれ。ここは敵地なんだからな」


「はいはい、分かってますって」


エリーナはぷくっと頬を膨らましたが、すぐに柔らかな表情に戻った。


「ねえ、リュシアン。この国の魔法使いたちのことが気になるわ。きっと、隠れて魔法を使っている人たちもいるはず。でも、それってとてもリスクが高いわよね」


「そうだな。見つかれば、厳しい罰を受けることになるだろう」


「行方不明になった調査員たちのことも気になるわ。彼らはどうなってしまったのかしら」


「彼らは何か重要なことを発見して、必要に迫られて姿を消したのかもしれないな。そうじゃなかった場合、もしかしたら⋯⋯」


リュシアンは言葉を濁した。エリーナは彼の思考を察したように頷いた。


「そうね⋯⋯。あと、捕まってしまったりって、可能性もあるわね。私たちも気をつけなきゃ」


「ああ、くれぐれも慎重に行動しよう。だが、ある程度のリスクは避けられないかもしれないな」


「分かってるわ。でも、私たちなら大丈夫。二人で力を合わせれば、どんな困難だって乗り越えられるはずなんだから」


わざとらしくも明るく前向きに断言したエリーナにリュシアンは優しく微笑んだ。


「その通りだ。君の言う通りにきっと上手くいく」


「ねえ、ところで⋯⋯私たち、本当に夫婦のふり、出来てるかしら?」


リュシアンは一瞬戸惑ったような表情をした。


「夫婦、か。まあ、一応、出来てる⋯⋯か?」


「私はまだまだだと思ってる。もっと夫婦らしいことしないと!」


そう言ってエリーナは、リュシアンの唇に軽くキスをした。リュシアンは少し驚いたが、すぐにエリーナを抱き寄せ、深いキスを返した。

しばらくして唇を離すと、エリーナは頬を赤らめながら微笑んだ。


「リュシアン、あなたといられて本当に幸せよ」


「俺もだ、エリーナ。君が一緒に来てくれて、本当に感謝している」


二人は寄り添いながら、窓の外の夜景を眺めた。魔法制御塔の光が、二人を優しく包み込んでいるようだった。


「ねえ、リュシアン。この任務が終わったら、どうする?」


「そうだな⋯⋯そろそろ君と一緒に、新しい人生を始めてもいい頃合いだな」


リュシアンの言葉に、エリーナは嬉しそうに頷いた。彼女の心の中で、幸せな未来への希望が膨らんでいる。


「私もそう思ってた。でも、その前にこの国をなんとかしないとね」


「ああ、そうだな。この国の人々のためにも、俺たちにできることをしよう」


エリーナは再びリュシアンにキスをし、そっと囁いた。


「愛してるわ、リュシアン」


「俺も愛してる、エリーナ」


そして、二人は抱き合ったまま、静かな夜の時間を過ごした。

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