2 入国

朝日が昇る前、エリーナとリュシアンは王都の東門を静かに出発した。エリーナの銀髪は茶色に染められ、簡素な旅装で身を包んでいる。リュシアンも同様に、目立たない服装で身を隠していた。


「さあ、冒険の始まりね」


エリーナの声には、抑えきれない期待が込められていた。


「ああ。だが、気を引き締めていこう」


二人は馬車に乗り、ノーヴァリア王国との国境に向かって進んでいった。道中、エリーナは窓から見える景色を楽しんでいた。緑豊かな平原が、次第に起伏のある丘陵地帯へと変わっていく。


「ねえ、リュシアン。あの山々を見て。だんだん高くなってきているわ」


「ノーヴァリアに近づいているからな。あの国は山に囲まれているんだ」


エリーナは頷きながら、遠くの山々を見つめた。険しい岩肌が空に向かってそびえ立ち、その頂は雲に覆われている。


「閉鎖的な国になるわけだわ」


馬車は揺れながら進み、周囲の景色は徐々に変化していった。平原の緑は薄れ、代わりに岩がちな地形が目立つようになる。時折、切り立った崖の縁を通ることもあり、エリーナの心臓が高鳴る場面もあった。


数日の旅の末、二人はついにノーヴァリアとの国境に到着した。高い城壁と厳重な警備に囲まれた国境検問所が、威圧的な姿で彼らを出迎えた。


「お二人の訪問の目的は?」


厳しい目つきの国境警備兵が尋ねた。その眼差しは鋭く、エリーナとリュシアンを疑わしげに見つめている。

エリーナは優雅に微笑み、準備していた偽の身分証明書を差し出した。


「観光です。ノーヴァリアの美しい山々と豊かな文化を楽しみに来ました」


「二人だけで旅行ですか?」


「はい、身軽に旅したかったので共はいません」


警備兵は二人の書類を細かくチェックした。その目は鋭く、一つ一つの文字を丹念に確認している。緊張の瞬間が流れ、エリーナは自然を装いながらも、内心では心臓の鼓動が早くなるのを感じていた。

やがて、警備兵は頷いた。


「不審な点はないですね、お通りください」


エリーナとリュシアンは安堵の表情を交わし、ノーヴァリアの地に足を踏み入れた。国境を越えた瞬間、空気が変わったように感じる。より冷涼で、何か神秘的な雰囲気が漂っているような気がした。


首都へ向かう道中、エリーナは馬車の中から周囲の様子を細かく観察した。険しい山々が連なり、その間を縫うように道が続いている。深い森が広がり、時折見かける小さな村々は、まるで時間が止まったかのような静けさに包まれていた。全てが新鮮で、エリーナの目は好奇心に満ちて輝いていた。


「リュシアン、見て! あそこに魔法の痕跡があるわ」


エリーナは小声で興奮気味に言った。道端の岩に刻まれた不思議な文様が、かすかに光を放っている。


「本当だな。ノーヴァリアの魔法は独特のようだ」


リュシアンも興味深そうに見ていた。

二人は何度か村を通過した。素朴な石造りの家々、伝統的な衣装を身にまとった村人たち。エリーナは、彼らの暮らしぶりや文化に深い関心を示した。


「リュシアン、この国の人々の生活って、私たちの国とはずいぶん違うわね」


「ああ、閉鎖的な国だからこそ、独自の文化が根付いているんだろう」


二人は時折馬車を降り、村人たちと言葉を交わした。エリーナの明るい性格と好奇心は、警戒心の強い村人たちの心をも少しずつ開いていった。


夕暮れ時、二人はついに首都の門に到着した。高い城壁に囲まれた都市は、荘厳な雰囲気を醸し出していた。城壁の上には、ノーヴァリアの紋章が刻まれた旗がはためいている。


「いよいよね」


エリーナが小さく呟いた。その声には、期待と緊張が混ざっていた。リュシアンは、周囲の警備の配置を素早く確認している。


都市に入ると、二人は事前に予約していた宿へと向かった。石畳の街路を歩きながら、エリーナは周囲の建物や人々を興味深そうに観察した。ノーヴァリアの建築様式は、彼女の国とは異なり、より重厚で荘厳な印象を与える。


宿に到着すると、主人が丁重に出迎えた。彼は、貴族らしき二人を見て深々と頭を下げた。


「お待ちしておりました、ルミエール様」


あらかじめ設定していた偽名で呼ばれ、エリーナは貴族らしく優雅に頷いた。


「ええ、お世話になるわね」


「お荷物の方を馬車からお部屋の方へお運び致しますか?」


「いや、いい。今回は気軽な二人旅だからあまり持って来ていない。部屋に案内してくれ」


エリーナはリュシアンが受け答えする様子を自分の中での貴族像で、優雅に微笑んで見つめていた。


部屋に案内された後、二人は窓から首都の夜景を眺めた。街灯の光が、石造りの建物に柔らかな影を落としている。遠くには、王宮らしき巨大な建造物のシルエットが見える。


「美しい都市ね⋯⋯!」


エリーナが感嘆の声を上げた。


「ああ。だが、この美しさの裏に何があるのか、それを探るのが俺たちの仕事だ」


リュシアンの言葉に、エリーナは真剣に頷いた。


「そうね。明日から本格的に調査を始めましょう」


「ああ。だが、くれぐれも慎重にな。俺たちは、敵の領域にいるんだ」


「わかってるわよ。それと、私の名前も忘れないでね。今日からエリー・ルミエールよ。ルシオン?」


「ああ、わかっているよ、エリー。ところで⋯⋯ふっ」


リュシアンは言葉を濁すと、思い出したように笑い出した。


「さっきの笑顔は大分わざとらしかったぞ? 笑いを堪えるのに苦労した」


「ひどい! 貴族らしく微笑んでたのに!」


エリーナは拗ねるように答えるが、リュシアンの笑いに釣られるように笑い出した。

暫く笑いあった二人は互いに見つめあい、静かに微笑み合った。部屋の中に、穏やかな空気が流れる。


しかし、その瞬間、突然外から騒がしい声が聞こえてきた。エリーナとリュシアンは素早く窓に近づき、外の様子を窺った。


街路では、数人の兵士が一人の男を取り押さえようとしていた。男は必死に抵抗し、その手から青い光が漏れている。


「魔法使いみたいね。何があったのかしら」


「ここからだと詳細がわからないな。陛下が魔法に関して何かがあるとおっしゃっていたが、それに関連することだろうか?」


リュシアンは眉をひそめながら答えた。

この光景を目にし、二人は改めて自分たちの置かれた状況の危険性を実感した。エリーナの魔法は、この国ではどのように作用するのだろうかまだわからなかった。


「気をつけないとね」


「ああ」


二人は再び部屋の中心に戻り、明日からの行動計画を練り始めた。地図を広げ、情報収集の優先順位を決めていく。


夜が更けていく中、エリーナはリュシアンの存在に安心感を覚えながら、明日に思いを馳せた。

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