3日目⑤

「いやー、どうもどうも」


 勝利した燈が観客に応える。全身に切り傷はあるが、後に残るようなものはなさそうでほっとする。もちろん、燈は肉体の回復能力すら常軌を逸しているので、相当な深手でも負わない限りは杞憂で終わるのだが。


「よっしゃー! 賭け金3.5倍の三万五OOOゴルド獲得じゃ!」


 エキドナがしてやったりとガッツポーズしている。身売りは免れたことが相当嬉しいのだろう。

 次はこいつの目の届くところに金は置かないようにしないとな。

 司会者が新チャンピオンへのインタビューのために近づいていくが、燈は構わずこちらに向けて走り出す。そのまま高く跳躍し、観客席にいた俺たちのところに帰ってくる。


「どう? かっこよかったでしょ」


 切り傷からは血が滲み、汗で塗れているが、その美しさに翳りはない。さながら、戦乙女の美しさだ。


「ああ、やっぱり俺の幼馴染は最高だ。うっかり惚れ直すかと思ったぜ」

「へへっ、そう来なくっちゃね」


 燈が満足そうに鼻下を擦る。


「やっぱお主ら好い仲じゃな? 好い仲に決まっとる」

「ほう、そうなのですか」

 

 エキドナとマリオは何が楽しいか知らないが、にやにやと笑っていた。

 賭け金三万五OOOゴルドに加え燈のファイトマネーが入る。これで、金の問題は解決。このまま留まっていれば、燈を中心として人がどんどん集まってきてしまう。さっさと金をもらって退散すべきだろう。

 不意に、空が暗くなった。雲が太陽を遮ったとか、そういう話では決してない。


「何あれ……?」


 燈ですら茫然としている。空に黒い穴が出現していた。


「あれも転移の魔法じゃ。儂のそれより数段洗練されておるわ」

 

 そう分析するエキドナは悔し気にしていた。

 その穴はだんだん大きさを増していき、空を占めていく。その中心から、二つの人影が降りてくる。


 一人は、黒のスーツに身を包んだ、色白かつ痩せぎすの男。見た目の年齢的には俺の二倍は生きてそうな感じだが、素直に見た目通りとは限らない。エキドナと同様に、頭から角が生えている。ということは、魔族に属する存在だ。

 そして、そんなことがどうでも良くなるくらいの存在感とともに現れたのは、俺と燈のよく知る人物だった。

 燈と同じ亜麻色の髪は、ウルフボブにまとまっている。深々とした漆黒の瞳がこちらの内面まで見透かしてくるようで、呑み込まれてしまいそうな錯覚さえ覚える。美という概念がそのまま結実したかのような端正な顔は、魔性とも言える魅力を備えている。

 俺たちは観客席の塀を越え、地に降り立った二人に近づいていく。


「竜胆!」


 我が幼馴染である秋吉竜胆その人だった。呼びかけると、竜胆はこちらに気づき、相好を崩す。


「君たちもこの世界に来るとは、これも一つの運命の導きというものなのかな?」

「ちょ、ちょっと、何そのかっこいい登場演出!? 私もそういうのやってみたいんだけど」


 燈は関係ないところで興奮していた。確かにかっこいいけれども。


「あ、あの角の男、魔族か?」

「いや、それよりあの女、もしかしてアキヨシ・リンドウじゃ……」

「終末の魔女と呼ばれる、あの……?」


 観客たちが、虚空から現れた二人組を目の当たりにしてざわめき出す。そして、悲鳴じみた声を上げながら、皆して蜘蛛の子を散らしたように逃げていってしまった。竜胆の悪名はハウゼン王国でも広まっているようだ。

 その様を見て、竜胆は目を丸くしていた。 


「そんなに怖がることはないだろうに。不思議なものだ」

「俺たちはお前を止めてほしいってエクセリアから頼まれてるんだよ。聖リンドウ帝国なんてアホ丸出しの国は解体して、大人しく戻ってこい」

「ふぅん、少し認識の相違があるね。私が自分の名前を冠した帝国を作るような変人に見えるのかい?」

「うるせーな。愛読書がドグラマグラのやつが変人じゃないわけないだろ」


 良くも悪くも、何をしでかすかわからないというのが秋吉竜胆という人間なのだ。


「でもそれって変じゃない? お姉ちゃんが下手人じゃなければ、いったい誰がそんなことするのさ」

「私じゃなくて、ヴィガルドが勝手にやったことさ」


 竜胆の言葉に対し、傍に控える魔族が恭しく一礼した。


「ヴィガルド……! 貴様、よくもおめおめと儂の前に姿を現すことができたものよな」


 エキドナがヴィガルドと呼ばれた魔族に向けて、敵意を露にする。


「魔王様……いや、元魔王様ともあろうお方が、異なことをおっしゃりますね。優れた者が王になる。それが、我ら魔族のしきたりでしょう?」

「ぐぬぬぬぬ……うるさいうるさいうるさーい! 黙れぃ!」


 子供のように駄々をこねるエキドナは少々見苦しいが、それだけ悔しいということなのだろう。非常に残念なことに、その姿がよく似合う。これほど三下ムーヴがしっくりするやつも珍しい。


「あいつも魔族らしいけど、知り合いか?」

「知り合いも何も、あのヴィガルドは儂の側近だった男じゃ。優秀だからと重用してやったというに、魔王軍を扇動してアキヨシ・リンドウに寝返った空前絶後の裏切り者よ。飼い犬に手を噛まれるとはこのことじゃ」

「そうか。どうでもいいけど、その上から目線が裏切りの原因の一つだと思うんだが、どう思う?」


 聞いてみると、エキドナは首を傾げた。本気で心当たりがないらしい。


「お前が発端じゃないとしても、いろんな人が迷惑してるらしいから、さっさと馬鹿はやめとけ」

「生憎と、そのつもりはないよ。今の環境は私にとって決して悪いものではないからね。私に付き従う者たちが面倒事を丸ごと引き受けてくれるから、とても助かってる」

「おいおい、そんなことやってたらおばさんも怒るぞ」

「ここにいない人のことを考えても仕方ないだろう?」


 竜胆と言えども、母親には頭が上がらないが、今は歯止めにならない。


「この世界は面白いよね。別に、向こうの世界が退屈だったとか、つまらないことを言う気はないけど、心躍る自分が確かにいる。祝福という特別な力を与えられて、投げ出された新天地。これで大人しくしていろという方が無理がある」

「う~ん、それはまあ、そうかもだけど」


 同意する燈の気持ちは俺にもわかる。確かに異世界という未知に、胸の高鳴りを感じていなかったと言えば嘘になる。


「でも、人様に迷惑かけるのは違うじゃん。いきなりやってきたよそ者が、我が物顔で好き勝手やってたら、現地の人だって良い顔はしないでしょ」

「そうだろうね。まあ、私が気にすることじゃないというだけの話だよ」

「相変わらず、お姉ちゃんはゴーイングマイウェイだねぇ」

「燈ほどではないと自分では思ってるんだけどね」


 姉妹の意見が真っ向から食い違う。二人とも我が強いので、一度こうと決めたらなかなか折れない。


「じゃあ、家族としては馬鹿やってる姉を止めなきゃね。手加減とかしないから、怪我しても文句言わないでよ」

「それこそ、余計な心配さ。今日は、燈と悠馬がどれほどのものか試しに来たのだから」

「私たちを? そりゃまた何で」

「イグニスとマリナを回収したときに、二人の話を聞いてね。この世界は面白いけど、まだ私に並び立つ存在とは出会えてないんだ。特別すぎるというのも寂しいものなのさ。特に、燈には期待しているよ」


 俺もそこそこ期待されてるのかもしれないが、今のところ収納術程度しか役になってない俺は多分ご期待には添えないだろう。


「そういえば、何で俺たちがここにいることを知ってるんだ?」

「エキドナちゃんの転移は、痕跡がくっきり残ってるからね。それを追ってきただけだよ」

「儂の腕が未熟というのか貴様! 不敬者がー!」


 エキドナがぷりぷりと怒っている。別に竜胆は馬鹿にしているわけではないのだろうが、現実というものは残酷だ。


「二人は離れててね。お姉ちゃんが相手じゃ、私も他のことに気を回してられないから」


 燈の忠告に従い、素直に下がる。この姉妹喧嘩に巻き込まれては、俺などひとたまりもない。

 ヴィガルドとかいう魔族も、竜胆の合図に従い、背後に下がる。小細工なしの一対一だ。


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