2日目⑤

 リーダーであるイグニスが敗北したことで、配下のオークたちも見るからに動揺している。数では向こうが圧倒的に有利だが、燈ならばどうとでもするだろう。

 一方、俺の横にいる魔王様はガッツポーズしていた。「ざまぁ見ろなのじゃ!」と見事な三下の台詞を吐いている。


「くっ……流石だ。俺の奥義すら真っ向から打ち破るとはな。リンドウ様の妹と言うだけのことはある。俺ごときの手に負える相手ではなかったか」


 地に伏せたままのイグニスが燈を賞賛する。


「いやー、そっちも大したもんだよ。私が七O点付ける相手なんてそうそうはいないからね。あそこの悠馬なんて二O点くらいだし」

「おい燈。それはちょっと俺の評価低すぎないか?」

「ちなみに内訳は、幼馴染ポイントが一九点ね」


 実質一点じゃねえか、ふざけんな。

 肌に冷たいものを感じる。どうやら雨が降ってきたようだ。先ほどまで快晴だったのに。雨はどんどん強くなってくる。


「この魔力は……!」


 エキドナの顔には焦燥。


「水牢!」


 女性の声。次の瞬間、燈の全身が水に包まれた。水は球体上になり、もがく燈を逃がさない。


「迂闊に動くな! 我等も捕まることになるぞ」


 燈に駆け寄ろうとする俺を、エキドナが引き留める。水の中で呼吸できない燈のことが心配だが、そう言われては迂闊に動くわけにもいかない。幸いにも、燈は無呼吸でも余裕で一O分は耐えられるだろう。

 俺は先ほどの声のした方を見る。ウェーブのかかった青髪を持つ、包容力のありそうな女性が、杖をこちらに構えていた。推察するに、燈を捕らえている水の魔法はあの女性によるものだろう。


「どんな強者であっても、自力での脱出は不可能。これで詰みね」


 青髪の女性は水流の上に乗り、文字通り流れるようにイグニスの側に移動していた。


「イグニス……あなたほどの男が後れを取るなんてね」

「すまねえな」


 女性が手を差し伸べると、イグニスはそれを掴んで立ち上がった。


「マリナ……不意打ちとは卑怯な!」

「知ってるのか、エキドナ?」


 エキドナは乱入者の素性を知っているようだったので、聞いてみる。


「あやつはマリナ・レキシジェンス。儂を討伐するため、リンドウの旅に随伴していたはずじゃ。エクセリアの誇る、水を操る大魔導士で、この雨もあやつの仕業じゃぞ」

「要は味方ってことか。なら、なんでイグニスの味方してるんだ?」

「答えは愛よ」


 マリナ本人から答えが返ってきた。


「あ、愛?」


 予想外の答えに、エキドナが困惑している。俺も同じ気持ちだった。


「ええ、私とイグニスは人間と魔物。決して交わることのない者同士だった。だけど、人も魔物も関係なく、リンドウ様に心酔する者たちで聖リンドウ帝国を作り上げたことで、そこにつながりができた」


 長い話になりそうだったので、俺は燈にアイコンタクトを送る。ちゃんと意図は伝わったようで、燈は両手で丸を作る。結構余裕がありそうで一安心だ。


「当然、最初は反目もしたわ。魔物と仲良しこよしなんて無理だってね。特に、このイグニスと私は種族だけじゃなく性格まで正反対。同じ空間にいるのもつらかったわ」


 炎と水だしな。散々に言われているイグニスは何とも言えない表情をしている。


「だけど、こんな無骨なのに意外と優しかったり、知れば知るほど私はイグニスに惹かれている自分に気づいた……そして、私は見つけたの、真実の愛を」

「へへへ、よせやい」


 照れくさそうに鼻下をこするイグニス。その頬に口づけをするマリナ。

 俺たちはいったい何を見せられてるんだろう。


「ところで、竜胆がこっちに来て一週間ちょいくらいとして、あんたたちがいっしょになった期間なんて数日程度だと思うんですが」

「愛に時間は関係ないのよ」


 俺の言葉はばっさりと切って捨てられた。なんか面倒くさくなってきたな。


「いくらリンドウ様のご家族だろうと、リンドウ様、そして私たちの愛を引き裂こうとするならば、放ってはおけないわ」

「黙れ! 祖国に牙を剥くなど、人として恥ずかしくないのか!?」


 魔王としてその発言はどうかと思うが、エキドナはもっともなことを言っていた。こいつ、常識があるのかないのかよくわからん。


「愛の前では小さなことよ」


 そんなエキドナをマリナは小馬鹿にするように笑っていた。


「ぐぎぎぎぎ……!」

「やめとけエキドナ。いろんな意味であいつら無敵だ。勝てる気がしない」


 悔しさに歯ぎしりするエキドナをたしなめる。

 しかし、状況は非常によろしくない。こちらの最大戦力である燈に頼れないとなると、いくらエキドナが魔王とはいえ、強敵二人とオークの集団を相手にするのは難しいだろう。

 情けないことだが、この場を打開するにはやはり燈の力が必要なのだ。

 燈の方をもう一度見る。燈は、眼を閉じたまま動かない。一瞬気を失ったのかと思い焦るが、すぐにそうではないことに気づく。水中にある燈の体が光を纏い、徐々にその光が強くなっていく。それに呼応するように、大地が揺れているのを感じる。


「な、何? この感じは……?」


 マリナも異変を感じ取ったらしい。警戒の眼差しを燈に向ける。

 風が吹き抜けた。そう思った刹那、燈を覆う水球が弾ける。水の檻から脱出した燈は、大きく息を吸う。


「このまま息止めの世界記録に挑戦しても良かったんだけどね」

「な、ななな……!」


 マリナはありえないものを見るように慌てふためいている。


「私の水牢は、自力では脱出不可能なはずよ、どうやって——」

「秋吉流奥義、秋吉拳……全身の気を練り高めることで、己の戦闘力を当社比数倍に高めることができる。体に負担かかるし、できれば使いたくなかったんだけど」


 またしても燈のトンデモ技だった。要は、力ずくで脱出したらしい。

 依然として強敵二人と大量の魔物に囲まれているという状況は変わらないが、燈が戦えるようになったというのはでかい。


「ぐおっ!?」

「ふっふっふ、でかしたぞアカリ!」


 急な圧迫感に襲われた俺は、エキドナに襟元を引っ張られていることに気づく。俺を強引に引き連れたまま、エキドナは燈の近くへと疾走する。さすがは魔王様、走る速度も大変速く、俺への負荷も尋常ではない。


「ちょ、ちょっと止まって、無理マジで」

「儂が黙って大人しくしているとでも思うたか? 甘い甘い! 甘すぎて吐き気がするわガハハハハ!」


 俺の嘆願などどこ吹く風、エキドナは高笑いしていた。どうでもいいが、胸やけするレベルとは相当だ。

 燈の側まで来たところで、エキドナが俺を解放し、右手を地面に着ける。すると、俺たちを中心として、魔法陣が展開された。ふと、この世界に来たときのことが、頭の中でフラッシュバックする。


「まずい! 逃げられるわ!」

「もう遅いぞ、間抜け。すでに式は完成しておるわ!」


 叫ぶマリナに、エキドナがあっかんべーで返す。


「転移!」


 エキドナが唱えると同時に、俺たちは光に包まれた。

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