2日目①

 朧気だった意識が覚醒していく。視界は暗く、夜はいまだ深いようだ。

 違和感を覚え、体を動かそうとすると、全く動かない。まるで全身を雁字搦めにされているようだ。


「金縛りか……!?」


 突然訪れた危機を前に、俺は燈の身を案じ、ベッドの方に首だけ動かして視線を移す。そして、気づいてしまった。

 目の前に燈の顔がある。金縛りかと思っていた現象は、シンプルに燈が俺に抱き着いてがっちりとホールドしていることによるものだった。

 通りで動けないはずだ。脱出の可能性は、マンボウの赤ちゃんが無事に生き残る確率より低い。


 燈は寝相がびっくりするほど悪いのは理解していた。幼い頃にも、似たような状況で眠っている燈に捕まり、抜け出せなくなったことがあったからだ。それでも、ベッドに落ちても起きないレベルとは思いもしなかった。

 心臓がドキドキしてきた。鍛え抜かれつつも女性特有の柔らかい体が密着しているからではない。単純に命の危機だからである。


 異世界に来たことで、ただでさえ超人的な燈の身体能力は飛躍的に上昇している。そんな状態の燈がうっかりこのまま力を込めれば、俺は異世界でその短い生涯を終える可能性があるのだ。


「燈、すまんが起き——」


 起こそうとして、直感が俺の言葉を遮った。

 今燈が起きて、目の前に俺がいることに気づいたとしよう。中途半端に覚醒した意識が、それを夜這いと判断した場合、パニックに陥った燈がどのような行動を取るかは俺にも読めない。


「おお、神よ。どうか、この哀れな子羊に朝日を拝ませてください」

 己の力ではどうしようもない危機を前に、俺はただ祈ることしかできなかった。




 そして、朝が来る。結局、緊張で一睡も眠れなかった。

 密着する燈の体に動き。陽の光に顔を照らされ、燈が目を覚ましたようだ。


「……おはようございます」

「悠馬? おはよ——」


 顔を横にした俺と、燈の視線がぶつかり合う。沈黙。次の瞬間、燈が視認できない速度で飛び退いた。


「な、ななな……!」


 顔を真っ赤にした燈がきょろきょろと部屋中を見回し、俄かに小さく息を吐いた。


「理解した。迷惑かけたみたいだね」


 寝起きの頭でも、自分の置かれていた状況を瞬時に理解したらしい。ここらへんはさすが秋吉家の人間だ。


「ははは、昨日はあんなに熱く求められて、俺も困っちゃったよ。あれほど盛り上がった夜は久しぶりだね」


 ほとんど睡眠がとれなかった疲労と命の危機から逃れた安堵で、自分でもよくわからないことを言っていた。


「悠馬にそんな度胸あったっけ?」

「手厳しい」


 カウンターを喰らった。


「だぁ~、油断した! ……敵意や殺気があれば気づくんだけど」

「なんで寝てるときにそんなもの向けられる機会があるんだ?」

「向こうじゃ、闇討ちしてくる相手も珍しくはなかったんだよ。どんな形でも私を倒したって名誉が欲しかったんだろうね」

「現実で闇討ちとかいうワードが出てくることにびっくりしてるよ。修羅の国の住人か、お前は」


 この幼馴染はいつだって新鮮な驚きを提供してくれる。

 燈は伸びをして、「よし」と力強く声を発した。


「太陽の位置からして、まだ六時くらいかな? もう少ししたら出発しようか」


 燈の提案に、俺は首を横に振る。


「やだやだやだ。もうちょっと寝る」

「急に駄々こねてどうしたのさ?」

「燈。ワニに噛まれた状態で眠れる生物はいないんだ。次の瞬間にデスロールがはじまる恐怖が付きまとってるからな」

「なんで急にワニの話を……?」 


 燈は怪訝気にしていた。それだけの恐怖だったと伝えたかったのだが、いまいち伝わっていないようだ。

 しょうがないと言わんばかりに燈は嘆息した。


「悠馬の寝不足の原因は私だし、文句は言えないね。この燈様のダイナマイトボディを前にしてゆっくり眠れる方がおかしいからね」

「確かに破壊力的な意味ではダイナマイトだろうが」

「若干ニュアンスが違う気がするのは気のせいでしょーか」


 いかん。少し煽りすぎたせいか、燈の纏う雰囲気が変わった。幼馴染センサーがこれ以上の口撃は危険とアラームを鳴らした。


「外出て体動かしてくるから、もう少し寝てていいよ。まさか危険はないだろうけど、なんかあったら大声で呼んでね」

「助かる」

 燈は毎日の鍛錬を欠かさない。才能に恵まれてるのはもちろんだが、継続を力なりを地で行く人間でもあるのだ。そういったところは、燈の美点だと思う。


「せっかくだしベッドの方使ったら? 美少女の残り香もあってお得だよ?」

「すまん。いくらお前の顔が良いからといって、その発言はちょっとキモい」

「悪かったね。私もそう思うよ」

 自覚はあったようだ。

 俺は睡眠不足を解消すべく、再び眠りに落ちることにした。

 

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