第60話 逮捕だッ!

 学園の中庭は全学年の共有スペースとなっており、中学生や高校生──中等部や高等部の生徒も多く利用する。そんな人混みの中にあっても桜のかわいらしさは一際目立っており、おかげで見失うこともなかった。

 中庭に着いた桜はきょろきょろと辺りを見回して、あまり人気ひとけのない端の方へ向かった。ベンチに腰掛けると、肩を落としてため息をつく。

 独り言を口走り始めたようだが、距離があって聞こえないので唇を読む。


『また逃げちゃった……でもでもっ、わたし出会って間もないのにあんなことしちゃってっ! 恥ずかしくて聖くんの顔見れないよぉ〜』


 赤くなった頬を手で挟んで頭をぶんぶんと振る桜。人が近くにいないと口に出るタイプかぁ。かわいいかよ。

 見つからないよう距離を保ったまま背後に回り込む。


「はぁ……お弁当食べよ」


 桜が膝の上でお弁当の包みを解く。

 お弁当箱の蓋はロックできるタイプだな。ちょうどいい。

 蓋を外される前に近づき、ちいさな両肩に手を乗せる。


「捕まえた」

「うひゃあ!?」

「おおっと!」


 思った以上に驚かれた。

 跳ねた手からお弁当箱が投げ出される。反射に身を任せてキャッチ。蓋のロックのおかげで中身が散らばったりはしなかった。


「ごめんね、驚かせて」


 お弁当箱を桜の膝に戻す。

 身を乗り出す形で手を伸ばしたので、桜の背後から抱きしめる格好になった。


「あうぅ……聖くん、ちかい、近いよぅ」

「だって桜が逃げるから」

「うぅ」


 桜が後ろめたそうに視線を逸らす。

 俺は名前と同じ色に染まった頬を一撫でしてから腕をほどき、ベンチの正面に回った。

 背もたれに手をつき、愛らしい顔を正面から覗き込む。桜は少女漫画が好きなようなので、ありそうなシチュエーションをやってみた。整った顔に産んでくれた親に感謝感謝だ。


「わあっ」


 頬を赤くしながらも目を輝かせる桜。この感嘆符、驚きじゃなくて感動だな……。

 ふと見れば、桜の髪に小枝が絡まっていた。さっき逃げ回る時にでも引っかけたのだろうか。


「桜、髪に──」

「えっ芋けんぴついてる!?」

「芋けんぴはついてねえよ?」


 唐突すぎてちょっと地金出ちゃったじゃねえか。

 ふわふわと柔らかい髪を傷つけないように小枝を取る。

 次の瞬間、俺は全力で己の目端の利きを恨んだ。桜の表情に滲み出る期待を読み取ってしまったのだ。

 『もしかしたらやってくれたりしないかなぁ』程度のかわいらしい願望だが、子供の期待を裏切るのも座りが悪いし、心象を良くする意味でもやっておきたい。

 しかしなぁ……それやるの? 本当に? 桜がかわいいからやるけどさ……。

 俺はたっぷり宇宙刑事の蒸着が完了するほどの時間をかけて逡巡を完了し、即座に行動を起こした。


「小枝、髪についてたよ(カリッ)」


 口の中に広がるチョコの味。甘いけど苦ぁい。

 桜は赤らんだ顔を隠すように口元を押さえた。


「う、わ────」


 出てる出てる声に出てる。

 これそんな顔赤らめたりしちゃうようなやつかなあ? うわーじゃないんだようわーじゃ。

 癪だったので小枝の残骸を口に放り込み、少女漫画に魂を飛ばす桜の無防備な唇を奪う。


「んむ────っ!?」


 レモン味ならぬチョコ味のキスである。バレンタインじゃないんだぞ。

 だ液を繰り返し交換し、口の中からチョコの味がなくなった頃、ゆっくりと顔を離す。桜の顔はすっかり蕩けていた。目がハートだ。ちょっとやりすぎたかな。会話可能な状態にまで戻さないと。

 まずは軽く啄むようなキスで刺激を与える。唇は高性能なセンサーだ。ここに触れることで意識の覚醒を促す。


「ふぁ……ぁ……」


 概ね寝起きくらいの手触りにはなった。次に頬や首筋を指先で撫でる。


「あ……んっ」


 くすぐるくらいのフェザータッチで肌の感覚を開かせたら、その手を下に移動させつつ、体全体を押し付けるようにしてもう一度キス。今度は強く吸う。


「んんーーーーっ!?」


 目をまんまるに見開いて体を硬直させる桜。

 短いキスを終えて体を離すと、柔らかな肢体がくたりと脱力した。

 頬に手を添えて顔を覗き込む。表情は緩んでいるものの、目にはちゃんと意思の光が宿っていた。

 よし、成功。


「も……もうっ……聖くんの……えっちぃ……」


 息も絶え絶えに文句を言ってくる桜。


「だって逃げられて哀しかったんだもの」


 顔に添えた手を動かして頬を撫でると、桜は恥ずかしさと気まずさをない混ぜにして顔を逸らそうとした。もう片方の頬にも手を添えて正面を向かせる。

 うーん、もちもちしてる。


「桜、どうして逃げたの?」


 さっき独り言を聞いているけどここはすっとぼけ。息がかかるほどの距離で囁く。


「あぅ、そっそれは、だってぇ……」


 桜の顔がどんどん赤くなる。このままだとりんごになってしまいそうだ。桜のりんごはさぞかし蜜が詰まって甘いだろう。

 目を合わせるのはここまででいいか。これ以上は桜がオーバーヒートしちゃいそうだ。特攻が下がるだけならいいけど、気絶されたらサイドを取られちゃう。桜のかわいさは特上エクストラだ。

 子供らしい弾力のある頬から手を離す。桜はキュッと俯き、頬の熱を冷ますように手を当てた。


「恥ずかしくって……」

「キスしたこと?」

「そ……それもだけどっ、それもだけど、触手に襲われたときのっ。わたし脱がされて全部見られちゃったし、そのままハダカでバトルしてたし!」


 あの時は下着姿だったはずだが、桜のルール貞操観念上、下着姿は裸としても扱うらしい。海かな。まあ字にすれば半裸なので間違ってはいない。


「なのに聖くんは抱きしめてくるしで、思い出したらわたしもう恥ずかしくて!」

「それで俺の顔を見てくれなかったのか。……よかった」


 肩の力を抜く。安堵の言葉は頭に少し溜めを作るのがポイントだ。


「?」


 桜が上目遣いの視線で言葉の意図を問いかけてくる。俺は桜の隣に腰を下ろした。


「だってそれ、俺を意識してくれてるってことだろう?」

「え!? そ、そう……なのかなぁ!?」

「嬉しいなあ。両想いだね」

「りょ────っ!?」


 ──あたし、ご主人様の本当の意味での運命ってバエルなんじゃないかって気がしてきた。

 ──ふふ、光栄だ。

 ──褒めてないわよ!


 …………なんかステディエルとバエルが騒いでいる。

 仲がいいのはいいんだけど、人の頭の中で痴話喧嘩はやめてほしいな?


 ──痴話喧嘩じゃないし仲良いわけでもない! というかご主人様の話よ!?


 それについてはそもそもこの世界における運命の条件がよくわかってないからノーコメントで。


 ──変なところだけ真面目だなあ、もう!


 俺はいつだって大真面目のつもりなんだけどなあ。


「ん?」


 視界の端に見覚えのあるシルエットが掠めたので視線を向けずに意識だけ向ければ、中庭にかかる渡り廊下の中央で石動が立ち尽くしていた。足元には購買で買ったらしきデザートが無残に散らばっている。食べ物を粗末にするんじゃないよ勿体無い。

 中庭の光景はうちの教室からも見える。どのくらい前からいたのか知らないけど、窓から一人でベンチに座る桜を見つけ、喜び勇んで駆けつけたってとこか。どうしてあいつは自分の脳破壊に余念がないんだ。話しかけてくれればよかったのに。

 初日の放課後のように危害を加えてくるなら別だが、俺は別に級友クラスメイトを無碍に扱うような趣味があるわけじゃない。

 というか、そうだ。モアイダー。あいつから白属性の話聞き出さなきゃ。


「……りくん? 聞いてる? 聖くんってば!」


 至近距離からの声で意識が目の前に戻る。しまった、聞いてなかった。ここは桜の眉間辺りに視線を合わせて、


「……かわいい」

「知ってる」

「……あぁ、ごめん。見惚れてた」

「もー! いくらわたしがかわいくても、人の話はちゃんと聞かないとだめだよ!」


 もちもちの頬が餅みたいに膨れている。聞いてなかったことについては誤魔化せた、か……? いや、誤魔化せてるかこれ?

 桜は小学生にしては大きい胸の前でもじもじと指をこねる。


「それで、その……もー! 恥ずかしいよ! なんでさっき聞いてなかったの!?」


 ポカポカと拳を落とされるが全然痛くない。


「桜がかわいすぎるのが悪いんだよ」

「それはごめんねだけどぉ! ああもう、わたしがかわいいばっかりにぃ」

「まったくだよ。桜は悪い女の子だ。だからしっかり捕まえておかないとね。……絶対に逃さないから」

「あっ……ひゃい……」


 体を寄せて顎を指で持ち上げると、再び起動する桜の乙女モード。

 表情がうっとりと蕩けている。上手いこと少女漫画のシチュでも引き当てたか。

 肩を抱き寄せてキスをする。体の側面から抱いたのに胸の上で横乳が潰れた。大きいとは思っていたけど、よもやそこま、ガッ!


「キャッ」


 脳天に衝撃。その勢いで桜の胸に頭を突っ込んでしまう。髪と同じでふわふわだ。やわこい。


「あっしまった」


 ベンチの正面側から焦る声。

 吹き抜ける風のように心地いいこの声──聞くのは先週のオリエンテーリング以来だ。

 風凪みどり先輩こと、みどりちゃん。握り締めた拳から煙が上がっているところを見るに、どうやら俺は拳骨を落とされたらしい。


「みどり先輩! お久しぶりです!」

「あ、うん。久しぶり、巫ちゃん。……よくその体勢で普通に喋れるわね……?」

「?」


 桜がキョトンと首を傾げたのが気配でわかった。

 まあ胸に顔突っ込まれたまま平然と会話を始められたら驚くよな。


「えっと……天使く」

「聖です」

「聞こえてんじゃないの! 早く巫ちゃんから離れなさい!」


 肩を掴まれ、桜の胸から引き剥がされる。


「あっ」


 残念そうな声を上げたのは俺ではない。桜だ。


「巫ちゃん……? よもやそこまで……」


 そこ被ることある?

 桜の反応に戦慄するみどりちゃん。

 とりあえず頭を下げる。


「お久しぶりです」

「こっちもこっちで平気な顔してるし」


 綺麗な顔が引きつっておられる。


「というかきみ、エクセリアさんは? 浮気?」

「────浮気!?」


 直上からリア襲来。膝にキそうなスーパーヒーロー着地で土煙が巻き起こる。フットワークが軽い。


「リア。こっちおいで」

「うんっ」


 俺の隣、桜の反対側を叩いて示すと、リアはぴょんと跳んでそこに収まった。腕を絡め、肩に頭を預けてくる。


「むぅ」


 桜が少し不機嫌になって、こちらも腕を絡めてきた。腕で胸が寄って生まれた谷間に二の腕が飲み込まれる。


「ぐぬっ」


 対抗心を燃やしたのか胸を押し付けてくるリア。


「わたしのターンだよ!」

瞬間詠唱フラッシュキャストで出れるから関係ないもんね!」


 みどりちゃんのこめかみに青筋が浮かぶ。


「そろそろ話いいかな?」

「は、はいっ!」


 背筋を正す桜。リアは少し眉を顰めて、顔だけみどりちゃんに向けた。


「ッ!」


 天使の放つ重圧プレッシャーに、みどりちゃんが腰を引く。


「リア」


 俺はリアのスカートをめくってふとももを揉んだ。


「やんっ。もー、せーくんったらー」


 すりすりと頭を擦り付けてくるリア。辺りに満ちた重圧が霧散する。


「……びっくりした。やっぱり原生オリジンユニットは違うわね……存在の圧というか」


 顎に垂れた汗を拭うみどりちゃん。

 オリジンとやらは気になるけど、ひとまずさておくことにする。


「それで、話ってなんですか? 中庭でいちゃつくのはまずかったとか? そういう人たち他にもいますけど」

「いちゃ……」


 照れる桜。

 中庭には男女のペアが少なからず見受けられる。世界は違えど、どこの学校も、こういうところは変わらない。


「それ自体が悪いってわけじゃないけど、あなたたちは一際……というか。いえ、違うの。そういうことを言いにきたんじゃなくて」


 みどりちゃんは表情を変え、辺りを見回して近くに人がいないか確認した。口元に手を立てて顔を寄せる。


「教務部から伝言よ。あの日のこと、正式に事件と認定して調査するって。もちろん他言無用よ。それから、天使あまつかくんは『天使てんし』使いよね? 放課後、委員会に来てほしいんだって」


 呼び出し? なんだろう。

 とりあえず顔が近かったので頬にキスをした。左右から頬をつねられた。

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