新たなる邂逅
第59話 神は月曜日に世界を創ったというから、たぶんここからが本当の始まり
足を肩幅分開き、両手を頭の後ろに当てる。で、肘と逆の膝をくっつけるように……うわ思いの外腹筋にくる!
東の空が白み始める頃、俺は天使パワーに師事し、エクササイズを行っていた。
ユニットが実在するということの意味を再認識したからだ。
それに、またオヴザーブのような侵略者と出くわす可能性もある。
いざという時のためにせめて体は鍛えておかなければ。
「パワー!」
全身が温まったところで、天使パワーは終了を告げた。
「え、もう終わり? まだいけるよ」
「ヤーッ!」
「そうなの?」
「パワー!」
「わかった。今のを毎日続ければいいんだね」
「パワー! ハッ(笑顔)」
最後に熱いエールをくれたパワーは、仕事の達成感に満ちた笑顔を浮かべてカードに戻っていった。
「はい、聖。食べたら汗流してらっしゃい」
意外と汗が滲んだ額を拭っていると、ルナエルがプロテインバーを持ってきてくれた。パワー曰く、運動の後は三十分以内にタンパク質を摂ったほうがいいらしいので、昨日の内に用意してもらったのだ。
脱衣所のドアを開けると、服を脱いでいるリアと鉢合わせた。
「あ、せーくん。おはよー」
「おはよ」
ちょうどいいので一緒にシャワーを浴びる。
今日は月曜日だ。今日からまた一週間が始まる。といっても俺の主観では、世界が変容してから初めて訪れる週明けなのだが。
学園の妙に複雑な制服に袖を通すのも三度目だ。……この世界に来てからまだそれだけしか経ってないの? 嘘でしょ……。
思わず栄光の日曜日に意識が回帰したものの、学生の本分は勉強だ。せっかく学べる環境にいるのだから、貪欲に知識を食らっていく所存である。
俺たちが通う学園があるのは、マギ・ソーサリスという異界だ。
マギ・ソーサリス。TCG『sorcery-ソーサリー-』の舞台にして、カードに描かれたキャラクターである、ユニットたちの生まれ故郷。
そこに建てられた学園が俺たちの通う教育機関だ。固有の名前はなく、単に「学園」とだけ呼ばれている。マギ・ソーサリス唯一の学園であるため、他の呼び名は必要ないのだ。
山の麓に開いた黒い渦を通って転移すると、水面に張った油膜のような玉虫色の空が現れる。登校のために軽率に世界を行き来するのは、魔法使いの卵である俺たちくらいのものだろう。
『sorcery-ソーサリー-』は魔法だ。この世界においては字義通りに。魔法使いはソーサリーカードを通して魔法を使うことができ、公式用語で対戦のことを指していた『決闘戦』は、カードのキャラクターや効果が実体化するバトルフィールドを用いた、歴とした魔法儀式として扱われていた。
学園では通常の義務教育に加え、カリキュラムに魔法が含まれている。即ち『sorcery-ソーサリー-』だ。学校で大っぴらにどころか授業でカードができるなんて、有り難くて涙が出てくるね。
「「おはようございまーす」」
今日も『彼氏欲しい。結婚したい』という内心が微表情に出ている、多分生徒指導の先生に挨拶し、初等部校舎へ向かう。
学園は小中高一貫型だ。敷地内にはそれぞれの校舎や共有の施設が聳え立っている。まさしく学びの園といったところか。
「おはよう」
「おっはよー!」
教室のドアをくぐると色とりどりの髪が俺とリアを出迎えた。見た限りではどうやら魔法が使える人間は髪がカラフルになる傾向があるようだ。この学園に通っているのは魔法使いの卵なので、みんな鮮やかな髪をしていた。かく言う俺もこの世界では金髪だ。リアの色である黄に染まっている。
教室は階段状になった聴講席であり、場所は特に決まっていないため、リアと隣り合って適当に座る。
「よっ」
「……おう」
近くにいた石動に軽く声をかける。リアも鞄を下ろしながらパンダ娘こと大熊 猫にちょっかいをかけていた。
「にゃんにゃんおはよー」
「娘々言うな」
そうだそうだ。そう呼ぶにしては大きくも豊かでもない。小学生なので仕方ないが。
……そういえば猫はこの中にあって珍しい黒髪だな。
「猫、ちょっと触るぞ」
「ど、堂々となにをっ!」
光沢のある髪を一房手に取ってみる。髪染めによるダメージは見受けられない。でも魔法がある世界だしなぁ……髪にダメージを与えず染める方法がないとは断言できないのが厄介だ。
あるいは……────猫のデッキは『四柱推命』。魔法というより占術だ。そういうタイプは髪色が反映されないとか?
いかんせんサンプルが少なすぎる。このクラス、他に占術系のデッキを使う人いるかな。
思索の海に沈んでいると、意識の外から鋭い声が飛んできた。
「ちょっと天使くん! 大熊さん嫌がってるでしょう! やめなさい!」
「ん?」
「……ッ! …………ッ、……!」
見れば無意識に首すじや耳を撫でていたようで、猫は真っ赤になりながら声を押し殺していた。座っていたから逃げられなかったんだな。
声をかけてきたのは茶髪の利発そうな少女。この世界の俺の記憶によると、クラス委員長であるようだ。
か弱い猫が無体を働かれているのを見過ごせなかったんだな。真面目ないい子だ。
えーと、猫が弱いのは喉と耳たぶ、っと。
「ひわぁああああ!?」
大きく震えた猫の体からくたりと力が抜ける。
…………。
しまった、また無意識に。
とりあえず猫のあごをつかまえて委員長に表情を見せる。
「これが嫌がってる顔に見える?」
薄い本みたいな言い回しだな。言ってるの俺だけど。なんでこの言い回しを選んだんだ俺は。
「悪い大人の常套句じゃないですか!」
真っ赤な顔で叫ぶ委員長。それはそうなんだけど、正確には成年向けの創作に出てくるタイプの常套句なんだよな。普通の小学生が知ってていい語句ではない。どうして知っている? 妙だな。
まあそれはそれとして。
「悪い猫。またちょっとぼーっとしてた」
「ぼーっとであんなことされて、たまるかっ」
「それが本当なんだよな、困ったことに」
「ぐぬ、うぅ」
苦笑する俺から嘘を感じ取れなかったのか、歯噛みしながら引き下がる猫。
「そ、そんなあっさり! いいんですか、大熊さん!?」
「天使、嘘は言ってないから。それに認めたくないけど、ワタシの体、とっくに染められてる……」
「よしてくれないか、人聞きの悪い言い方をするのは」
己の体をかき抱く猫に、委員長の顔がまた沸騰する。そのままこちらに突っかかってきそうだったので、眼前で指を鳴らして猫騙しの要領で機先を制した。
「当人同士が納得した話し合いに横から口を挟むのは行儀が悪いよ」
「納得はしてない」
猫が足を蹴ってくる。
「でも話は収まっただろ?」
「そうだけど」
「ちょ、調教が済んでる……!」
流石にその語彙は言い逃れできないだろ。猫を見てみろ。「ちょ……?」って首傾げてるぞ。
こういうなにも知らない相手に悪いことを教え込むのがいいというヤツもいるが、俺から言わせてもらうと三流だ。
徳を知った上で背くからこそ背徳。なにも知らない相手を利用するだけなら自分で自分を慰めているのと何も変わらない。
俺は、大切なのは相手の意識だと思っている。自分がしていることの意味を正しく理解していないのであれば、そこに意思は宿らない。背徳感というのは、正しいことに背を向けているという自覚があるからこそ生まれ得るものだ。違うか?
だいたい大人には子供を正しく導く責任があるだろう。同年代ならともかく、大人が何も知らない子供を悪の道に引き摺り込むとか本当にありえない。吐き気を催す邪悪の所業である。大人側が無知の場合? それはちゃんと学んでこなかった方が悪い。お前も中身は大人だろって? 体が子供だから世間的には子供だよ。
予鈴が鳴って少しした頃、慌ただしい足音と共に目を惹かれる桜色が教室に飛び込んできた。
「桜。今日は遅かったね」
「ひゃっ!?」
声をかけると桜は素っ頓狂な声を上げた。
「ひ、聖くん。お、おはよ。あはは……」
赤い顔で視線を逸らしながら俺の前を通り過ぎる。どうやら土日を開けて冷静になったらしい。自分のしたことを理解したようだ。
荷物を置いて席に着く桜。頬が赤い。目線がチラチラとこちらを向くが、目が合うとすぐに逸らしてしまう。
そして授業後、休憩時間になると桜は爆速で教室から逃走した。
「なんだ、もう嫌われたのか?」
嬉しさを隠しきれていない石動。こいつは桜が好きだからな。しかし仮に俺が嫌われたのだとしても桜が石動のところに来るわけじゃあないとわかっているのだろうか。待ってるだけじゃ高嶺の花は落ちてこない。
しかし桜は休憩のたびに逃走し、結局その調子で昼休憩になった。
お弁当の包みをつかんで教室を飛び出す桜。昼食に誘おうとした石動が半端に手を伸ばしたまま固まっている。そこで追いかけられないのがなぁ。そういうとこだぞ。
学園の昼時間は一時間。この時間内に休憩と食事を行う。敷地内に食堂があることもあり、給食は存在しない。生徒は学食を利用するか弁当などを持ってくることになる。
教室の内装とかもそうなんだけど、時間割が固定なのを除くと全体的に質感がキャンパスなんだよな。
「というわけで行ってくるね」
「むー」
むくれながらひらひらと手を振ってくれるリア。ごめんね。
鉄は熱いうちに打て。桜が俺を意識している今は、これ以上ない好機なのだ。
桜のデッキは『天翔陽竜ドラグ・アマテラス』を投入した赤の神道系。
ここから発展し、ドラグ・アマテラスで殴り切ることに特化させた構築こそ、俺が元いた時間軸の環境トップ『アマテラス』だ。
アマテラスは順当に行けばそのまま世界を獲っていたデッキだ。俺が阻んだためそうはならなかったが。当然使い手も多かった。
しかし個人とデッキが運命という要素によって概ね紐付けされたこの世界では、アマテラス使いは非常に貴重だ。逃す手はない。強い対戦相手というのは得難いものだ。必ず手中に収めなくてはならない。
桜を追って廊下に出る。距離を取って落ち着いたのか、桜はぽてぽてという擬音を立てて歩いていた。かわいい。
「さーくらっ」
「ひゃあう!?」
声をかけると桜は大仰に驚いた。全身が跳ねた弾みにお弁当の包みが宙を舞う。前方に飛んだそれを桜は飛びつくようにキャッチして、その勢いのまま駆け出した。すかさず追走する。
「こら! 廊下を走るんじゃない!」
と『子供のくせにいちゃつきやがって羨ましい。私も一緒にああいうことできる彼氏欲しい』というおよそ聖職者らしからぬ思考をあからさまに顔に浮かべた生徒指導の先生に注意されつつ──おい何考えてるんだ教師。
朝のトレーニングのおかげか足が軽い。まだまだ走れそうだ。コーナーで差を縮めていく。
「なんで追いかけてくるの〜っ!?」
そりゃあ桜が逃げるからだ。
逃げるものを追いかけるのは本能としてインプットされた行動らしい。人間の本能だったかどうかは忘れたけど。
しかしこうして走っているとうっかりデュエルを始めそうになるからできれば早く止まってほしい。
五分ほど追いかけっこを続けたが、桜の足はまるで鈍る気配がない。冗談みたいな体力してるな。仕方がない。子供の体力は無尽蔵でも時間は有限だ。観念的な話ではない。昼休みの残り時間の話だ。
わずかに速度を落とし、徐々に距離を開けていく。あえて逃げ切らせて安心させ、足を止めたところを捕まえるのだ。
目論見は成功し、桜はちょっぴりこちらを気にしながらも、俺を振り切るため角を曲がった。
すばやく壁際に向かい、手鏡で角の先を伺う。どうやら桜は中庭に向かったようだ。
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