第55話 渋谷といえばこれよ(誤解を招く表現)

 ルナエルのターン!

 彼女が真っ先に向かったのは渋谷109マルキューだった。

 俺も来たことはあるけど、イベントでちょっと入った程度なので、中を詳しく知っているわけじゃない。


「どこか行きたいお店あるの?」

「特に「ここ!」っていうところはないわ。でも渋谷といえばまずはここでしょう?」

「ランドマークだよね」


 個人的にはTSUTAYAやPARCOの方が馴染み深いのだけど、今日の主賓はルナエルだ。


 こういうショッピングセンターは、特に目的がないなら上から順番に見ていくのが動線的にスムーズだと以前聞いた。なのでとりあえずルナエルをエスコートしてエレベーターで最上階に上がる。

 ここはざっくりエスカレーターを囲むように店が配置されているから、フロアを一周して次の階へ下りる動きも取りやすい。


 そうやってある程度見て回ったのだけど、その、なんだ。服系のテナント多すぎない? 絶対、需要食い合ってるでしょ。


 気になる商品を見つけたのか、店名が読めない外国語の店にうきうきと入っていくルナエル。

 いろんな服を前にして、やはり女の子だな。とても楽しそうだ。

 一方アズは相変わらず茫洋とした目で、はしゃぐ美女を眺めている。


疑問なぜおなじものをこんなにも?

「同じではないかな……デザイン違うでしょ」

無為きれればおなじだろう

「それ女子の……他の女子の前では絶対言うなよ。本当に」


 少し言い淀んだのは、アズの体が少女型であることを思い出したからだ。アズの立ち居振る舞いは無性別と言った方がしっくりくる。


 もし年頃の色気付いた乙女たちの前でそのような発言をすれば最後、男であれば嵐の如き顰蹙とブーイングを受け、女であれば揉みくちゃの着せ替え人形にされるだろう。特にアズは俺と同じ顔をしたとびきりの美形であるから、間違いなく格好の餌食だ。


 しかし人に釘を刺しておいてなんだが、俺も正直ファッションはわからない。雑誌に載ってたコーディネートを特に考えずに組み合わせているだけ。「助けておかあさん」と発音すれば人間に殺されないと学習した人喰いの魔物みたいなものだ。


 などと考えているうちに、何着か見繕ったルナエルが、足と胸を弾ませながら試着室に引っ込んだ。


「聖、アズちゃん、ちょっと待っててね」

「はーい。ごゆっくり」


 カーテンが閉められ、中から衣擦れの音が聞こえてくる。


雑談ちなみになんじはどのようなふくがいいのか

「自分で着るならあったかくて洗濯が楽なやつ。着せるなら隙間があって防御力低めのひらひらしたやつ」

意味不明カン⭐︎コーン

「隙間から手を入れれるやつが好き。というか効果音を口で言うなよ。ん?」


 肩をトントンとつつかれて振り向くと、カーテンの合わせ目からルナエルが顔を出していた。


「背中のファスナーが上がらなくて。聖、悪いんだけど手伝って?」

「もちろん」


 靴を脱いで試着室に入る。布地を胸元で押さえたルナエルは、俺に背を向けて髪をかき上げた。月の光を浴びたような真っ白い背中に目が眩む。

 ファスナーをつまむと、なるほど、背中の中腹で止まって動かない。噛んでるわけではなさそうだし、これルナエルの胸が大きくて入らないだけでは?


「サイズ大きいやつに変えた方がいいんじゃない?」

「いやよ。それだと太って見えちゃう」

「でも無理に閉めたら壊れるよこれ」

「……やっぱり?」


 しょぼんと眉を落とすルナエル。胸のサイズに合わせると胴が太く見えてしまうが、細身の服だと胸が入らないのだ。


「胸を潰せば入るかしら」

「それ脱げなくなるやつ」


 小さくてサイズの合わない服は、着る時よりも脱ぐ時の方が大変なのだ。あと生地が伸びたら売り物にならなくなる。


「これサイズいくつ? M? じゃあアズにLL持ってきてもらおう」

「ふたつも大きいじゃない! そこはLでいいでしょう!?」


 いやその……ファスナーが上がらなくなった位置を考えると、今のサイズが下乳の時点でもう入らないってことだから、あの、うん。


「ワンサイズ上じゃあ多分トップ手前で詰まる」

「むぅ〜〜〜〜」


 涙目で頬を膨らませる母親役。ルナエルだからいいけど、本物の母親だったらなんというかこう、子供としては目の前でしてほしくないタイプの表情である。ルナエルだからいいけど。


「とりあえず一回脱いでしまおう」

「……はぁ。仕方ないわねぇ」


 ルナエルは渋々服を肩から落として脚から抜いた。


「アズ、ちょっといい? ……アズ?」


 外にいるだろうアズへカーテン越しに声をかけるも反応がない。更衣室から顔を出すと、誰もいなかった。

 慌てて集中し、念話を試みる。


 ──アズ、どこ行った?

連行みしらぬおんながわたしをむすめだとしゅちょうしながらうでをひいている


 ……………………。

 誘拐じゃねえか! ちょっと目を話した隙に! 一人にするべきじゃなかった!


「聖、落ち着いて。急いては事を仕損じる、よ。焦っちゃだめ」


 頬を柔らかい手で挟まれた。運命の繋がりによってルナエルも今のやりとりを共有している。


「大丈夫。ユニットアタシたちは人より強いから」

「そう……なのかもしれないけど!」


 そういう問題ではないのではないかな!?

 というか誰だか知らないがカーテン越しに親いるのによく連れ去ろうと思ったな!? 脳みそ腐ってんのか!


「お口が悪いわよ〜」

驚愕なかなかのばせいがきこえた


 顔を知っている相手が、手の届く距離で連れ去られたのだ。そりゃあ口汚くもなる。

 ルナエルが服を着たので更衣室から出て商品を戻し、店を出る。

 アズ、とりあえず立ち止まって!


『承諾』

 今どこ!

昇降機エレベーター 

 どした!

運搬もちあげられた

 最悪!

 一応エレベーターの表示を確認したが、すでに地下まで降りていた。ちょっと歩けば改札がある。電車乗られたら終わりだぞ! 抵抗して! 抵抗!

誰何いいのか

 いいよ! そういう時は自分の身の安全を第一に……。

脱出ふりほどいた

 早いなおい!

児戯あかごをころすよりらくなさぎょうよ

 わー物騒。

「ね、言ったでしょ? アタシたち強いんだから」

「そうやって油断してると痛い目見ることになるんだよ」


 環境外のデッキ相手でも舐めてかかると返り討ちに遭うことがままある。俺は何度かやらかしたし、国内大会では権利戦で意図的に隙を見せることで本戦での心理的ガードを無意識に下げさせたりもした。油断大敵とはまさに至言である。


 正面口でアズと合流。特に怪我などもしていないようだ。よかった。


「どうやって逃げてきたの?」

黄泉ちのそこはしのりょういき


 死の領域とはまた物騒な響きだが、かつて世界に神の力が満ちていた時代、死後の国は現世と地続きだったという。そして多くの神話で、それらは地の底にあると語られていた。であればなるほど、たしかに地下は死の領域と言えるかもしれない。

 ……え? 召した?


封緘いっときたましいをふうじた 死告われはしのかんりしゃゆえに


 心なしかやや食い気味に付け足された。

 びっくりした。てっきりあの世に連れて行ったのかと。


否定あれはここでしぬさだめではない


 神様のような言い回しで、アズはそれが可能だと肯定した。


 しかしこんな駅前の店で誘拐未遂が起きるとは。

 人の流れが集まる場所には悪いものが溜まりやすい。魔術的な意味でも、現実としてもだ。

 大きな街は前の世界と比べて全体的に治安が悪くなっているとリアが言っていた。駅前でこれなら、奥の方は前の世界の比じゃないくらい悪化してそうだ。あまり行かない方がいいかもしれない。

 この分だと新宿もえらいことになってそうだな。仮にも明治神宮のすぐ隣、神様のお膝元だってのに、この荒れようはなんなんだ。


坩堝こんとんのるつぼ

「まさしくだね。できるだけ人が多いところを歩こう」

「ええ……」


 街に憧れを持っていたルナエルは少し複雑そうだ。

 大通りこそ明るい雰囲気だが、ひとつ脇道に逸れると途端に光が届かなくなる。このきな臭い空気感、覚えがあるぞ。世界大会のついでに観光したアジアの街が、いくつかこんな感じだった。

 渋谷は前の世界でも若者の街だったが……こちらの世界では、悪い意味で、という枕がつきそうだ。


 信号を渡ってひとまず駅前に戻ると横から手が伸びてきた。


「無料配布でーす。どうぞー」


 腕があからさまに胸に当たる軌道で突き出されたので、ルナエルは顔を顰めて後ろに下がる。


「カード?」


 突き出された手にはカードが握られていた。配っていた男は俺の声を耳聡く拾い、作り物の笑顔を向けてくる。


「おっ、興味ある? 実は今キャンペーンでみんなにカードを配ってるんだ。君もどう?」

「キャンペーン?」


 周囲を見れば、たしかにカードを配っている人間が他にもいる。しかしそれにしては全員、普通の格好だ。

 キャンペーンってやつは一種の宣伝だから、企画元が目立たないと行けない。

 しかし彼らの服装は、おしゃれではある(多分)けど、それは通行人も同じ。むしろ目立ちたくないように見える。


 差し出されたカードを見る。キラカードだ。光の反射のせいで紙面がよく見えない。

 テキストだけでも確認してみようか。そう思って手を伸ばす。


 静電気を十万倍にしたような爆音が上がり、カードから手が弾かれた。


「「なっ!?」」


 俺と男の声が重なる。男は俺が弾かれたことに対して。俺は──カードのフィルムが剥がれて露わになったカードテキストへの、驚愕。


「『カードは拾った』……!?」


 そこにあったのは見知ったカードだった。

 僅か2コストで、トラッシュからコスト6以下のユニットカードを特に対象の制限なく回収できる、無色の、つまりどんな色のデッキにも入れられるマジックカードだ。

 だがこのカードの最大の特徴は、自分のユニットが破壊された時、手札に戻すことができる点にある。回収カードであるにも関わらず、自身すら「拾って」これるのだ。


「────ダメよ、ご主人様。そのカードに手を出したら、メッだわ」


 翻る薄紫の三つ編み。パステルカラーのナース服。

 『天使キュリール』。

 俺の手からカードを弾いたのは、注射器を構えた癒しの天使だった。


「キュリールちゃん!?」

「ルナエルちゃん、だめよ? ちゃんと見ていないと、ご主人様はすぐ危ないことに手を出すもの……ジェラシーはわかるけど、エクセリアを置いてくるべきじゃなかったわぁ」

「危ないことと知って手を出そうとしたわけじゃないんだけどな?」

「そういうのを見極めるのも保護者の役目よ〜」


 キュリールはのんびりと話しながら、男に注射器を突きつけている。


「よくないカードを無作為にばら撒くなんて、悪い人だわぁ」


 よくないカード? まあ、よくないカードか。

 『カードは拾った』は、前の世界で数多くのループ中毒者を生み出した、紛うことなきドラッグカードである。

 自身を回収する効果から、一枚制限でも意味がないと判断されて一発禁止にされた。


 禁止カード……そう、禁止カードだ。

 危険な力を持つユニットは封印指定されると駒込氏は言った。それがこの世界における禁止制限なのだと俺は考えていた。

 だが『カードは拾った』は。ユニットではない。しかもすでに不特定多数の手に渡っている。

 この場合はどうなる? どうすればいい?

 逃げる、いや警察に届ける? でも対応してもらえるのか? そもそも司法が対応すべきものなのか?

 わからない。取るべき対応の指針がない。教えてくれ五飛。俺はどうすればいいんだ。

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