第54話 バブみ
そういえば結局改築後の渋谷駅を見ることは叶わなかったな。駅の工事は俺が元いた時代に至っても依然終わっていなかった。
俺が渋谷に訪れるようになったのは、改築工事が始まった後のことだ。小学六年生のこの時期に渋谷に来たことはなかった。
改築の手が入っていない駅を見るのはこれが初めてだな。見知った場所の知らない景色というのは、なかなかどうして趣深い。
後の時間軸では見た記憶のない、つまりこれから解体される運命にある駅ビルを見上げる。その足元には工事中でもその存在感を欠片も損なわなかった渋谷モヤイ像が──あっ違う!?
機銃の腕に無骨なキャタピラ、リーゼントみたいに伸びた頭部キャノンにバックパック。モヤイじゃねえ! あれモアイダーじゃねえか! 一昨日石動が駆ってたやつ! ご丁寧にモヤイと同じウェーブの長い髪までかかってる。
「あそこの像って、あんなだったかしら……?」
ルナエルも首を捻っている。
学園の山での出来事は記憶に新しい。石動が喋るベルトをつけて操縦していたのもよく覚えている。
そうだ、モアイダー。前の世界には存在しなかった『白』属性のカード。これについても調べておかないとだった。昨日駒込氏に聞いておけばよかったな。
しかし今更悔いても後の祭り。それはまた今度の機会にするとしよう。
火器を装備していることもあって危険物の扱いなのか、モアイダーの周囲は火気厳禁になっていた。にしてはなんか地面に不自然な焦げ跡が見受けられるんだけど、なんだあれ。
と思ったら、不意にこの世界の記憶を思い出した。
状況証拠から考えるに、俺の身に起こったのは世界線の推移であると思われる。言うなればマルチシナリオのゲームで、プレイ中のルートから異なるセーブデータに移動したようなものだ。
切り替えた先のセーブデータにも当然そのチャプターに至るまでの
その
事故と言っても、モアイダーの側で一服しようとした自己愛の強い無配慮者が、ライターの火に引火した爆発で吹き飛んだという、取るに足らない話だ。
記憶の中の記録には、ルールを守れない自分本位の蛆虫が一匹しめやかに爆発四散した以外、周囲の人々に被害はなかったとある。それどころか、爆発の瞬間にはそいつの行いに顔を顰めていた人々から拍手喝采が上がったとか。発展途上国かな?
ちなみにモアイダーはその当時……どころか設置された当初からずっと火気厳禁だったらしい。だからこの件で悪いのは議論の余地なく火をつけた側である。
前の世界であれば、警告文があるにも関わらず危険行為をした加害者が自身の立場も弁えず文句を垂れ、
しかしカードゲームである『sorcery-ソーサリー-』が社会の根底に根付いている影響か、この世界では、ルール違反の責任は犯した者にのみ所在するという価値観が根付いていた。
この場合であれば「火器を搭載したモアイダーの近くで火気を起こしたやつが悪い」だ。
……普通のことだと思うんだけどなあ。なんで前の世界では違ったんだろうなあ。過失の責任を他人におっかぶせる方がおかしいだろうに。
ジャッジキルに文句を言うようなやつは、イカサマ師か卑怯者、あるいは景品を転売するため他の参加者に危害を加えてでも高位入賞しようとする薄汚い
そのため幸いと言うべきか、いや事故が起こっている時点で幸いではないのだが、この件に関しては死人に口なしということで難癖をつけられることもなく、モアイダーは今もここに鎮座している。
よく目立つから目印に最適なのだろう。待ち合わせだろうか、スマホに目を落としつつも時折顔を上げて辺りを見回す人がちらほらといた。特に垢抜けた格好でそわそわと落ち着かない様子の女の子には、モアイダーも彫りを深くして微笑んでいる。
その顔立ちを眺めていて、ふと思いついた。
「そうだ、碑文」
前の世界にあった渋谷モヤイ像は、平成より以前の時代に寄贈されたものだった。
その存在がモアイダーに置き換わっているということは、こいつが属する白のカードも、そんな昔からこの世界に存在していたということになる。
モヤイ像には「モヤイ」という言葉を説明する碑文が添えられていた。モアイダーにもそういうのがあれば、ルーツの手掛かりが掴めるかもしれない。
『
「でかした!」
アズが指した石碑には、アクリルの板ごと石に埋め込まれたモアイダーのカードがあった。それしかなかった。
結局カードか。
これじゃあなんもわからん。
ルナエルが頬に手を当てて首を傾げた。
「白? そんな色なかったわよね?」
「こっちの世界特有の色みたい。……あれ? 俺がモアイダーのカードを見たのは今日が初めてじゃないよ? 運命の繋がりで知ってるんじゃ」
モアイダーと邂逅したのは一昨日だ。その時にカードを目視している。
ルナエルは首を振った。
「いいえ。だって常時繋がってるわけじゃないもの。意識すれば声を伝えたりできるけど、それ以外の時はあなたの状態がぼんやりわかる程度ね。思考共有も、その時考えてることしかわからないし、なんとなくこんなこと思ってるなーくらいで、詳しく言語化した内容が伝わってくるわけじゃないわ。遠くにいると特にね」
首を振る動きに追随して胸が波打つ。ちょっとした身じろぎだけで揺れる媚肉は、さながら天が遣わした欲望の果実か。
「今えっちなことを考えたのはわかったわよ。お母さんをそんな目で見るなんて、いけない子ね」
『
「人間の場合、近親者同士は
禁忌といえば『禁后』ってカードがあったな。紫の『都市伝説』に属するオブジェクトカードだ。配置時で下にカードを仕込み、相手がそのカードと同じコストのユニットカードを手札からプレイした時提示すると、効果を無効にしてトラッシュ送りにできる。
都市伝説サイクルはいいぞ。伝説の内容に準えた変な動きができる。相手スケープの色を上書きする『きさらぎ駅』だとか、トラッシュに送られたユニットカードを吸い込ませ、相手に送りつけることで対象コスト以下のユニットを全滅させる『コトリバコ』とか、お互いのバトルフェイズ開始時にトラッシュから召喚できる『寺生まれのTさん』なんてのもある。
例によって後年の主な採用カードはまだ存在していない時期のはずだけど、天使たちやアマテラスの例もあるし、きっとどこかには……あれ? それってマズいのでは?
遭遇しなきゃいいだけの話か。
カードのこと考えてたらデッキ触りたくなってきたな。本命デッキが天使であるのは不動の事実だが、それ以外にも好きなテーマは沢山ある。
「もう、すぐに『sorcery-ソーサリー-』のことを考えるんだから。本当に好きね」
「大好きだよ」
今の俺を構成する大部分は『sorcery-ソーサリー-』だ。高校生のあの日、リアと出会ったから今の俺がある。
「大好き」の中にはルナエルも含まれているんだぞ、と視線で告げると、ルナエルは柔和な顔を綻ばせた。
「アタシもよ」
大きな胸に抱きしめられる。身長差で胸に頭が埋まった。あまりにも柔らかい。密度の高い綿菓子の海に飲み込まれたみたいだ。これは埋もれて死にたくなるのもわかる。
「せっかくだからアズちゃんも」
『
すばやく間合いの外に退避したアズだったが、体格差によってあっけなく捕捉され、俺と共に胸に埋もれた。
***
ところでモヤイ像(現モアイダー)といえば非常にわかりやすい渋谷のランドマークであることは論を俟たない(個人調べ)が、渋谷にはもう一つ、モヤイと双璧を成す像がある。
そう、忠犬ハチ公だ。
亡くなった主人の帰りを十年待ち続けた忠犬だ。
知名度であれば日本トップクラスだと思われる彼は、こちらも待ち合わせの目印として非常に勝手がいい。
「……待たせたな、黒澤」
「来たな、阿藤白星。……貴様との因縁も今日で終わりだ」
「終わらねえよ。終わらせねえ。……一々フルネームで呼ぶなよ。何回も言ってるだろ」
「……そうだな。貴様がこの戦いで勝ったら考えてやるよ」
「えっ?」
「雑談は終わりだ。行くぞ! 『アウェイクニング────』!」
「ッ! 『────アセンション』!」
だからって宿命の対決の待ち合わせ場所にするなって話だが。
こちらの歴史のハチ公は、亡くなった主人が帰ってくる場所を守るために、星空から落ちてきた敵と戦ったそうだ。最期は膝に敵の矢を受け、俺の知る歴史と同じ場所で力付き、息を引き取ったという。
その功績を讃えて造られたハチ公像はいつしか力を持ち、挑戦する者に試練を与える像となったそうな。そして見事試練を乗り越えた者にはカードが与えられる。今調べた。
星空から来た敵──『sorcery-ソーサリー-』の背景ストーリーに当てはめるなら『侵略者』ユニットのことだろう。試練を解いてカードの現物を確認してみたが、おそらく間違いない。『侵略者』が主軸とする戦法に対してメタを取れる効果を持ったカードだった。
んー。
昨日のラビエルやフィギュエルみたいに運命化(でいいのか?)したりはしないか。よかった。何でもかんでも運命になるわけじゃないようだ。
「あ、ごめんね。時間取らせちゃった」
試練と聞いてついうっかり参戦してしまった。今はルナエル(とアズ)との親子デート中だというのに何してんだ俺は。
「いいのよ。時間ならまだまだたっぷりあるんだから」
ちょっと自己嫌悪が入った俺の頭を、ルナエルは優しく撫でてくれた。ママァ……。
『
「違うが?」
あれは赤の他人に対して『汝は母』する文法だ。どこで覚えたそんな言葉。
『
「マジかよ碌でもないな人類」
やっぱ美しく舗装した方がいいんじゃないか?
『
「えっなんの話……あっ試練のこと言ってる? …………呼吸は運動に入らないだろう……?」
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