第52話 名状し難きなんとやら
『理解 承諾』
枯れ木の指に挟まれたカードから色が抜け落ちて白紙に戻る。
「ごめんね。せっかく──」
『代替』
こちらが謝る間もなく、アズライールは自らの顔面に手を突っ込んだ。節くれ立った腕がずぶずぶと闇に飲まれていく。
やがて映像が巻き戻るように腕が引き抜かれると、その手には黒金の……そう、ちょうど彼が被る襤褸の色調を明るくしたような、
異形の顔から引き摺り出されたのは毛髪の束だった。粘ついた液体に濡れてぬらぬらと光を乱反射している。
髪の根本には肌色の皮がくっ付いていた。髪と同じように粘液に塗れている。重力に引かれた皮の塊は、床で潰れて湿った音を立てた。
皮は一部が複雑な形をしていて、つい目で追ってしまった。そこには爪があった。皮は人間の形をしていた。
人皮が中身を得て立ち上がる。あっという間だった。
ではそのプロセスをもう一度見てみよう。
皺だらけの長袖に腕を通すみたいに、皮が伸びて隆起する。内側に骨が生まれているのだ。たわんだ皮が骨に振り回されて粘液が飛び散った。
全身の骨格が出来上がると、皮は自分の足で立ち上がった。
文字通りに骨と皮だけの体がまた内側から膨らんでいく。天使パワーの体でよく見る形……筋肉ができているのだ。次いで輪郭が丸みを帯びていく。
この段になると、人皮が少女の形をしているのはもはや明白だった。
胴体に厚みが生まれ、喉が太さを増し、皺の寄った唇がピンと張る。落ち窪んだ眼窩が押し上げられ、青褪めた顔に生気が宿った。
どこか見覚えのある顔立ち。でもどこで見たんだったか。見覚えがある以上、ある程度頻繁に見かける顔だと思うのだけど。
リアがポツリと呟く。
「せーくんを女の子にしたみたいな顔だね」
「あぁ」
そうか、自分か。気付けないはずだ──なにしてくれてんの!?
俺に似た少女とアズライールから同時に
『
「っ……なんてもんを……」
駒込氏が青褪める。
少女はアズライールの手から白紙のカードを受け取り、当然のように俺へと差し出した。紙面が染まっていく。
「おい待──」
『
アズライールはその巨体を傾けて、俺がカードを受け取るのを止めようとした駒込氏を威圧した。
「……ッ!」
ただでさえ人相の悪い眉間に険しい皺が刻まれる。
俺はカードを手に取ってテキストを読んだ。……うん。
「駒込さん、多分大丈夫だと思います。効果がまるで違う」
カード名も異なっている。『弔天使アズ=ラ・イール』。それが少女の名前のようだった。
相手のバトルフェイズ開始時に相手ユニット1体を指定でき、指定されたユニットはそのターンのエンドフェイズにトラッシュに置かれる。
先程一度だけ見た『死告天使アズライール』のテキストは、あまりにも……あまりにも無体が過ぎた。あれと比べれば雲泥の差だ。
それはそれとしてこの書き方だと破壊耐性貫通できるね。
テキストを確認した駒込氏は唸る。
「分霊だけあって効果が小さくなってる、のか。カードにはユニットの力が反映される。名前も違うなら、封印指定対象とは言えない、か……?」
その反応にアズライールは、氏がある程度の納得を得たと見たらしい。戦乙女に守られた氏へ体ごと振り向くと、現れた時と同じようにフ……ッと唐突に消失した。
「あっ!? 待て、何処に」
『
俺に似せた顔で宇宙人みたいな笑い方しないでほしいな?
「……裏の封印を見てくる。ちっと待ってろ」
駒込氏は戦乙女を連れてバックヤードに引っ込んだ。
散々に破砕された店舗に残ったのは、俺と二人の天使だけ。
とりあえずリアのふとももに飛び散った粘液をウェットティッシュで拭き取る。
「んっ……もぉ、せーくんったら」
鼻にかかった声を出しながらスカートを握りしめるリア。
アズライールが吐いた(でいいのか?)粘液は、卵の白身のような質感だった。というかまあ、実際に羊水的ななにかなのではないだろうか。
まだまだ細い小学生ふとももをさっとひと撫でして拭き残しがないか確認し、顔を埋めて心を落ち着けた。
姿勢を正し、鏡越しの俺のような少女に向き合う。
「ええと、アズライール……でいいのかな?」
『
「わかった、アズ。俺は天使 聖。こっちは『煌めきの天使エクセリア』。よろしくね」
「エクセリアだよ。せーくんの奥さんだよ。よろしく」
『
しれっとリアが事実を捻じ曲げていたが、アズは気にする様子もなく首肯した。
頭に響く音は短い単語であるはずなのに、言いたいことが理解できる。不思議な感覚だ。
「アズはどうして俺と同じ顔なの?」
『
「えっ」
『
こいつ見かけによらずファンキーだな。
『
「さっきの姿は違うの?」
『
「見る人によって形が変わるんだって。すごいねえ」
リアが目を丸くしている。
前の世界には、全身に目や口、舌をもつ恐ろしい姿をした、アズラーイールという天使の伝承があった。十中八九、並行同位体──並行世界の同一存在だろう。あれも、誰かから見た彼の姿のひとつだったのだろうか。
そういえば、そちらのアズラーイールは生者の名を記した書物を持っているらしい。こっちのアズライールも持っているのかな? それらしきものは見受けられないけど。
『
アズはひょいと片腕を上げた。手首にディスプレイの付いたリストバンドが巻かれている。というかスマートウォッチですね?
『
そんな洒落た言い方するやつ初めてだよ。
『
文明の波がマギ・ソーサリスにまで……!
「失礼」
アズと交流していると、バックヤードからヴァルキューレ、たしかヒルデと呼ばれていた戦乙女がバスタオルを持ってきた。
戦乙女はタオルを広げてアズの頭にかける。アズライールの顔から吐き出された時から粘液まみれだったので、アズは当然今もって全身てらてら輝いていた。
『
「いつまでもそんな格好でいるわけにはいかないでしょう。ひとまず粘液だけでも落としなさい」
言いながら、アズの髪に付いた粘液を丁寧に拭き取っていくヴァルキューレ。
「あの、駒込さんは?」
「まだ封印のチェック中です。ひとまず危険は無さそうだったので私だけ先に。表がこの有様ですから」
アズライールとのすれ違いによって壊れてしまった店内を見回す銀の瞳は、どこか悲しげだ。
「……すみません」
「ごめんなさぁい」
「いえ、直接的に貴方たちのせいというわけではないので」
「図々しいのは承知の上で、何か着るものもお借りしたいのですが」
「当然です。
ですがこの状態では服を着ることもできないでしょう。まずは拭きなさい。他はそれからです。本当ならシャワーでもさせたいところですが、このテナントにはそんな気の利いたものなどありませんので。
それと少年たち。手空きなら片付けを手伝ってもらってもよろしいでしょうか」
それくらいならやぶさかではない。俺とリアは早速手近な瓦礫を拾い上げた。
「あっ、待って。破片は危ないのでこちらで処理します。あなたたちには、箒がけや、その粘液の片付けをお願いしたい」
じゃあひとまずモップかな。いやワイパーの方がいいか。アズの皮と一緒に引き摺り出された粘液は、現在進行形で店の床を侵している。
メタトロンたちも喚んだらどうかと思ったけど、魔力はまだ使わない方がいいと言われたのでやむを得ずリアと二人でかかった。
ゴミ袋の口を三回ほど閉じた頃、ようやく駒込氏が奥から顔を出した。
「封印が解かれた形跡はなかった」
その言葉に戦乙女がギョッと俺を見る。氏も苦々しげな目をしている。表情を読んでみたけど、言語化できるような感情ではないようだった。
「封印には何も問題はなかった。ただお前とアズライールの波長が合いすぎたんだ。お前との感応が封印を上回った。結果、アズライールは封印の中にいながらこちらに現界した……」
よほど訳がわからないよと言いたげな顔をしていたのだろう。駒込氏は声に名状し難い感情を載せたまま説明してくれた。
「運命が複数いるって時点でもう前代未聞だってのに、あんな生死を分つ境界線そのものみたいなやつと近しい波長まで持っている。お前のことがますますわからなくなったぜ」
「俺はただの小学生ですよ」
「本当か? 実は高校生がクスリで小さくなってたりしねえだろうな」
惜しい。元はギリ成人である。当たらずとも遠からじ、だ。
「一つ聞いてもいいですか?」
「んだよ」
「アズライールは、その。ええと。……封印されたユニットって、どうなるんですか」
「随分言葉を選んだな、
駒込氏はレジ裏から五つ折りのパンフレットを取り出した。
「
パンフレットに書かれたキャッチコピーは「高級の殿堂」。「
閉じ込められたりする訳じゃなくてよかった。いや、実質軟禁ではあるのだろうけど、暗いところで身動きが取れないまま永久に放置されるとかじゃなくて本当によかった。
それから、俺たちは黙々と散らかった店内の片付けを終わらせた。
その頃にはアズも体を吹き終わっていたので、ヴァルキューレのヒルデさんが、おそらくご自身のであろう着替えを持ってきてくれた。
「下着はどうしようもないので、隙が少ない服を選びました」
という言葉通り、スカートではなくパンツスタイルだ。でもサイズが合っていなくてぶかぶかだ。特にシャツ。
ヴァルキューレのお姉さんは大層なものをお持ちなので、その私服ともなれば胸元がゆったりするのも必然。そんなものを小学生に着せれば、隙間から色々見えてしまうのも仕方ないだろう。隙が少ないとは言っていたが、あくまで可能な限り少ないだけである。
まあ風が吹いただけで色々と終わるスカート履きよりは遥かにマシか。
しかしそれはそれとして、ユニセックスな格好をされるとマジで俺がもう一人いるみたいで変な気分になる。髪の長さは違うけど。
「たまに
という駒込氏の声を背に、俺たちは店を後にした。
……休日なのにどっと疲れた。
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