第51話 禁則事項です
「アズライール!? テメェなんでッ!」
突如現れた異形に、駒込氏が目を剥いた。俺の体を腕だけで投げ飛ばし、異形と俺を隔てるように立ちはだかる。
俺は、カードから出現途中だったために引っ張られたリア諸共、絡み合うように店の床へ倒れ込んだ。
「んっ……せーくん、またおしりつかんでる」
「乳繰り合ってねぇで早く立て!」
駒込氏が険しい顔で叫ぶ。
「こいつは『死告天使アズライール』! マギ・ソーサリスで死を運ぶ怪物と恐れられたユニットだ!」
……聞いたことがない名前だ。『大輪の花妖精フヨウ』と同じく、前の世界ではカードとして存在していなかったユニットか。
「なんでそんなのがここに……」
「言っただろう、俺はカードクエスターだ! マギ・ソーサリスの力をカードに固着させて人間界に持ち帰るのが仕事だ。だが危険なユニットは力の転写ではなくカードに直接封印することがある。こいつはそうやって封印し、店の裏で保管していたやつの一体だ!」
発汗。瞳孔の拡大。わずかに上擦った声。極度の緊張状態。
封印。封印か。オヴザーブを思い出す。あれはカードに吸収されていた。この巨漢の異形もそのようにして封印されていたのだろうか?
『最悪、こいつらだけでも逃さねえと』。俺たちを背に隠し、駒込氏はジリジリと後退する。
しかし……俺には、静かに佇むこの異形が、さほど悪いものだとは思えなかった。襤褸のくらやみの奥から俺を見やる幾つもの目に、指先が床を引っ掻くほど長い枯れ枝のような腕。足元は巨体が落とす影に覆われて見えないが、あるいは闇そのものかもしれない。生物的な拒否反応を起こしても仕方がないほど悍ましいのに、どうしても嫌悪感を抱けない。
彼──『彼』という形容が適切かどうかはわからないが、便宜的にそう呼ばせてもらう──は、一知性体というよりも、無数のナニカが蠢く暗黒の空間と繋がった次元の穴……そんな印象を受けた。
善とか悪とかではない、ただそこに在るだけの、現象のような存在なのではないか。たとえばそう、世界の表層に時折浮かび上がる不気味な泡沫のような。
襤褸の内側から節足動物の群れが枯葉の上を這い回るような乾いた音がする。
数え切れないほどの視線を感じる。アズライールの幾つもの目が、じっ……と俺を見つめていた。
「おい、なにやって……お前、目を! 合わせたな!? クソ、魅入られたか!」
「あ……?」
ふと意識が戻る。駒込氏がその体で俺の視界を塞いでいた。
「気が付いたか? 気が付いたな!? そしたら振り向かずにさっさと逃げ──」
三白眼が真横に吹き飛ぶ。アズライールは駒込氏を無造作に手で押し退けた。
服の上からでもわかる筋肉質な体がショーケース棚をぶち破って壁に叩きつけられる。
「ガッ──……ッあ……!」
アクリルと木が砕ける爆音。壁が砕けて土埃が舞う。耳の奥で血の気の引く音がした。あんな勢いで叩きつけられて、人は無事でいられるのか。全身が総毛立つ。
しかし、それでも、やっぱり、アズライールを畏れる気持ちはちっとも湧いてこない。これはさすがにおかしいと頭の冷静な部分が囁くが、気だるさの抜けない体で何ができるわけでもない。
アズライールは天井に擦った頭を下げ、腰だと思われるところを折って、店の床に座り込む俺の顔を覗き込んだ。その頭上には天使の光輪が輝いている。先程までは天井を貫通していて見えなかったのだ。
枯れ枝のような手が顔に伸びてくる。
俺の上に乗っていたリアがもぞもぞと体を擦り付けながら隣に避けた。
「大丈夫だよ、せーくん。アズライールも天使だから」
「…………リア? それは」
「……そりゃどういう意味だ、嬢ちゃん」
声と共に白い槍の穂先が、俺とアズライールを遮るように飛んできた。柄を握るのはヴァルキューレ。先程のバトルで召喚された『ヴァルキューレ・ロタ』とはまた違う、銀の髪を靡かせる妙齢の美女だ。
土煙の向こうから、血塗れの駒込氏が立ち上がる。よかった、無事だった。
「運良く死ななかっただけだ。それより天使の嬢ちゃん、今の言葉……最初からこいつが目的か」
駒込氏は苦み走った顔でリアを睨みつける。
リアは俺に頬擦りしながら、悪い顔で笑った。
「だって、運命と出会ったユニットが望むなら、人間側はそれを阻んじゃいけない決まりでしょー? 力尽くで阻めるとも思えないけど」
「……『アズライールも天使』か。最初からこうなることが分かっていやがったな」
「そりゃー、私も天使ですし?」
頬に指を当てて笑うリアに、駒込氏は盛大に舌打ちをする。
『草結』
突然頭の中に声が響いた。
声……なのだろうか。意味を持たない音の連なりだったような気もする。あるいはただの風の音だった気さえする。
しかし目の前に座す異形の天使がそう言ったのだと、なぜだか理解できていた。
目の前の襤褸から枯れ枝のような腕が次々と伸びてくる。
「ッ! ヒルデ!」
「はい!」
氏の声を受けた戦乙女が大槍を持って押し返そうとするが、いかんせん数が多い。振り払おうにも狭い屋内だ。長物は優位を発揮できない。
アズライールの視線の一部が初めて俺から外れた。それは、氏が彼にとっての障害と認識されたことを意味している。
氏は両手を肩の上にあげ、血の気の引いた顔に脂汗を滲ませながら口を開く。
「聞け。聞いてくれアズライール。このガ、少年と運命で繋がったのはわかった。だがお前は政府から直々に封印指定されている。解き放つわけにはいかねえ」
「封印指定?」
あと今ガキって言いかけたな?
「天使の嬢ちゃんが言った通り、運命と出会ったユニットを人類は阻めない。だがあくまで原則はだ。
人間が手にするには過ぎた力を持つユニットは、国によってその存在を秘匿され、人類の手が届かないところへ隔離される。このアズライールもそうだ。こいつの力はヒトの手には余る」
「それって人間の都合だよねー?」
リアが不愉快さを隠さず目を細めた。
「……そうだ。だが必要なことだ。人を超えた力は人を狂わせる。お前らはそいつの人生を滅茶苦茶にしたいのか」
「せーくんはそんなことにはならないよ」
リアはそう言ってくれたが、俺には氏の言いたいことが
「……リア、俺も人間だよ。力に狂うことはある」
天使デッキを研究する中で、俺は一時、ループデッキを使用していたことがある。
『sorcery-ソーサリー-』において、ループに繋がる効果は慎重に制限されているものの、頑張れば割とできなくはない。手札以外をリソースにしやすい黄と紫は特にそうだ。
一度でもループに触れると、すべてのカード効果を、ループに使えるかどうかで考えてしまう。システムを完成させれば一時的に欲求は満たされるが、すぐに新しいループを考え始めてしまう。気付けば本来の意図を忘れてループデッキばかり握ってしまっていた。
あれは良くない。この魂に一生残る傷になる。あの時の俺は力に憑かれ、「天使デッキの可能性の模索」という初志を忘れていた。
力というのは癖になるものだ。そして頂点を極めたいと思うようになる。しかしその結末は決まって蟹の胃袋の中だ。
だがリアの考え方は根本から俺と違った。
「大丈夫。たとえどんなせーくんでも、最期まで私たちが一緒だから」
俺が狂おうが構わず一緒にいるから生活が滅茶苦茶にはならない。リアはそう考えているようだ。
「ありがとう。でも、そんなの俺は嫌だ」
生き恥。醜態を晒しながら生きるなんて、想像しただけで俺はつらい。耐えられない。
「そうなる前に止めてほしいな。あの時みたいに」
俺をループの深みから掬い上げたのは他でもないリアだ。ループパーツになり得るカードがないかと何気なく開けたストレージの中にリアを見つけて、俺は最初の気持ちを思い出したのだ。
「わかったよ。えへへー。やっぱりせーくんは私が大好きだね!」
俺の胸に頭を預けるリア。
ちなみにループパーツたちは、公式戦で暴れさせすぎたせいか、その後あえなく御用となった。
「話がついたみてえな空気出してるが、何も終わってねえぞ。
お前らが大丈夫だからって、他の人間まで理性的に振る舞えるわけじゃない。
「……どういう意味ー?」
「暴徒に危害を加えられる可能性があるってことだ」
「……そんなことになってみろ。
小学生の矮躯がほどけ、リアの姿がカードイラストと同じ、中学生相当のそれに変わる。
光の束が奔り、破損した店の中をさらに破壊した。
煌めく少女が握りしめた拳を両手で包む。リアはびくりと肩を震わせ、恐る恐る振り向いた。
「落ち着いて」
「う……」
バツが悪そうに目を逸らしたリアを座らせ、向かい合わせで膝の上に乗り、抱きしめて頭を撫でる。
「んっ……」
「よしよし。急に言われてびっくりしちゃったね。でも忠告してくれた人に当たるのは筋違いだよ?」
「でも、だって、だけどぉ……」
言い訳みたいな言葉を尚も重ねるリア。
綺麗な桃色の唇をキスで塞ぐ。
「んぅ。…………ちゅ…………ん」
生地の薄い天使の衣装を押し上げる膨らみを撫で揉んでいると、リアの体が光り輝いて小学生の姿に戻った。
「ガキ共が延々イチャつきやがる……」
駒込氏がこめかみを引きつらせながら話を戻す。
「これは俺個人の意見じゃねえ、人類を守る役割を負った連中の見解だ。何度でも言う。アズライールを野放しするわけにはいかねえ」
運命の繋がりによれば、アズライールは生と死を司る天使なのだという。
「それは、彼が生死の境界を操れるから? でも、神聖魔法や死霊魔法でもできることじゃないですか。神聖魔法は神の恵みをもたらすし、死霊魔法は死者を呼び起こせる」
「違う。死霊魔法はあくまで死者を死者のまま操る魔法、行使している間の限定的な期間しか動かせない。癒しの奇跡も、死人を生き返らせることまではできない」
だが、と駒込氏は襤褸を纏う巨体を見上げる。
「アズライールがもたらすのは不可逆的、完全な形での死者蘇生だ」
「それは」
なるほど。
生死の均衡がたった一人の裁量で崩れ得る。恐ろしいことだ。危険視されても仕方がない。
襤褸の奥の真っ暗な闇を見上げる。
「どうしようか。きみは俺と一緒に行けないんだって」
『疑義 同行 不可?』
巨体の上部が傾ぐ。襤褸から枯れ枝の腕が伸び、店のレジ台を弄る。出てきたのは何も描かれていない真っ白のカード。
アズライールから漆黒の光──というのもおかしいが、他に言いようがない──が溢れ、カードに吸い込まれていく。すると、紙面にイラストとテキストが、滲み出るように現れた。
目の前にカードが差し出される。
『贈与 可?』
そうか、力の貸与。
思い出したのは桜の持つ『護国将 太陽の皇子
この形式なら、彼自身が封印とやらを離れる必要はない。
しかし駒込氏は首を横に振る。
「それも遠慮してもらいてえ」
「どうして? 友達の運命のユニットはこうしていると聞きました」
「友達……そうか、そういえば巫の娘が初等部にいたな。知り合いだったか。
ありゃ特殊例だ。日本の始まりから存在する国護りのユニットが、自分を祀る一族に力を与えているんだよ。その存在はすでに広く知られている。だから国も監視に留めているんだ」
……えぇ? 本当でござるか? 都内で店やってるって桜言ってたけど。
「カードがある限り、ユニットの存在に辿り着かれる危険が常に付き纏う。アズライールがお前らの前に現れたから禁則が解けたが、本来ならこうして他人に話すこともできねえ」
禁則?
「お前ら勘違いしてるかもしれねえが、封印処理はユニットを守るためだ。人間の世界で暴れすぎたユニットは、『
『世界規則』──ルール。
要するに禁止制限か。ようやく飲み込めた。この世界では、それが法則として存在しているんだ。
そしてその規則に目をつけられてユニットが存在抹消されないよう、あらかじめ封印という形で、人の手で社会から隠している──なるほど。
「主様、『世界規則』のことは──!」
「封印指定対象と縁を繋いじまってるんだ。問題ねえだろ。どの道他人には喋れねえしな」
駒込氏は戦乙女の静止に肩をすくめた。
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