第49話 重婚してるみたいなもんだよ

「わぁ、見てくださぃ! 丸っこくてかわいぃのがいますぅ!」


 窓に両手をついてはしゃいだ声を上げるラビエル。その目は川を泳ぐ獣に釘付けだ。

 ラビエルの肩の上で、フィギュエルも目をキラキラさせている。

 電車はちょうど橋を通過していた。車窓から見える多摩川の水面に、丸っこいアザラシみたいなやつがぷかぷかと浮かんでいる。


「『マルザラシ』だねぇ。コロコロしててかわいいよねー」

「こんなところにもユニットが。めちゃくちゃ馴染んでるし、なんかいっぱいいるな……」

「多摩川上流に天然のゲートが開いているんです。そこから流入して定着したユニットですね」

 生態系に変化起きてるじゃねえか。

「お名前はタマちゃん五世だそうですよ。住民票もあるとか」

「定着どころか定住してるじゃん」

「他にも『多摩川のマルザラシ』でタマザラシとか──」

「やめい」


「ああっ、もう見えなくなっちゃいましたぁ」

 残念がるラビエルにつられたか、フィギュエルも悲しそうにお腹を鳴らす。……待て。もしかして食料として認識してた?

 深く考えないことにしよう。


「今度また来ようか。次はタマちゃんを見に」

「いいですねぇ。楽しみにしてますねぇ?」

 指先を合わせて喜ぶラビエル。


「うーん、お花見シーズンの直後なことが悔やまれるねえ」

「来年やればいいんだよ。それに、日本って六月以外は基本何かしらある国だし」

「そーだね……来年もあるんだよね」

 リアは俺に体重を預け、ぐりぐりと頭をこすりつけてくる。

 まるで「そんなこと想像もしていなかった」とでも言いたげな反応だ。


「マスターは、元の世界に戻りたいとは思わないのですか?」

 不意にメタトロンが、そんなことを聞いてきた。『余計なことを言うな』とリアが睨む。


「大切なことですよ、エクセリア。わたしたちだって、まだこれが泡沫の夢ではないと信じきれていないではないですか。なら大切なのはマスターの意思です」

「それは……そうだけど」


「はいそこまで。ケンカしないで」

 重くなりかけた空気を払うため、軽い口調で静止をかける。

 元の世界に帰りたいか、か。


「この世界ってさ、『sorcery-ソーサリー-』が生活に入り込んでて、マギ・ソーサリスが歩いて行ける隣にあるよね。

 空気っていうのかな、そういうのが、俺の肌に合ってる。

 今言われるまで、戻るって選択肢を考えすらしなかったよ」


 普通は「戻りたい」と思うものなのだろうか?

 でも俺は、そんな気持ちは不思議と湧いてこなかった。

 きっとこの世界が『同じ』すぎるせいだ。

 周りにいる人が変わっただけで、違う世界にいる実感がないんだ。

 それに。


「向こうの世界じゃ、こうしてみんなとおしゃべりできない。だから、前の世界とこの世界、どちらを選べと言われたら、俺はこっちを選ぶよ」

「……せーくん!」

 リアが涙を浮かべて抱きついてくる。

「俺はここでいい。この世界がいい。リアや天使たちのいるところを、俺の帰る場所にしたい。……いいかな?」

「いいに決まってるよー……」

 涙声で鼻をすするから、抱擁を解いて涙を拭い、鼻水を吸い出す。

「は、鼻くらい自分でかめるよぉ!」

 照れたリアは俺の手からポケットティッシュの本体をひったくった

 吸い出したものは一枚だけ残されたティッシュペーパーに包んでエチケット袋へ、と。


「わたしも安心しました。やっぱりマスターはわたしたちのマスターですね」

 メタトロンが俺の頭を抱き寄せた。頭の半分が温もりに包まれる。


「あっこら! ちょっとを離した隙に!」

「ほらマスター、見ましたか? エクセリアは物分かりがいいフリをしていますが、大概独占欲の強い女ですよ。付き合うと面倒です」

 楽しげに俺の頭を抱きしめるメタトロン。一見細いのにとても柔らかい。


「誰が面倒な女よーっ!」

 電車内は静かにしなさい。


  ***


 なんだか想定よりやたら時間がかかったような気がするものの、ようやく八王子の地に降り立つことができた。


 リアの話を聞いて、正直ある程度惨状を覚悟していたのだけど、駅前をざっと見回した感じ、言うほど酷くないように思う。腕に変な機械をつけた人や、腰に自前以外のボールをつけた人は、少数しか見受けられない。……多少なりともいる時点で微妙に治安が悪いな?

 あっ、バトル始まった。道端に立体映像が現れる。だけど通行人は全然気にしてない。これは治安悪いですわ。


「さぁせーくん、こっちだよ」

 とリアが指したのは、駅正面の大きな道路から外れた脇道だ。

 前世で利用していたショップがある方だと思っていたら、リアはその道も外れてずんずん進んでいく。

「リア? こっちにはカードショップなんてなかったと思うんだけど」

「この世界にはあるんだよ。言ったでしょ。これから行くのはこの世界のカードショップ。魔法使いの専門店だよ」

 太陽の輝きを宿す瞳が愉快げに細まった。


 リアの案内でたどり着いたその店は、やや年季が入ったビルの一階にあった。看板にでかでかと『Magic shop』の文字が書かれている。


 これテナントでは?

「テナントですね」

 言っちゃったよ。

 いつの間にかストリート系ファッションにお色直ししたメタトロンが、相変わらず表情の薄い顔でぽやっと看板を見上げている。

 自由に服を変えられるの便利だな。

「脚が長いからパンツルックも似合うね」

 褒めると虚を突かれたようで、ちょっぴり目を見開いてはにかむメタトロン。

「お褒めいただき光栄です、マスター」


「……メタトロンちゃんズルい」

「エクセリアこそ、マスターに手ずから選んでもらった服ではないですか」

「そうだけどー。そもそも今日は私のターンのはずなんだよー」

 またリアがくだを巻いてる。


「ほら、このお店に入るんでしょ」

「うー」

 ナマケモノと化したリアが腕にくっついて離れなくなってしまった。手を伸ばすとぐりぐり頬をこすりつけてくる。


 うだうだやっていると、カランカランとドアベルの鳴る音がした。店の中から三白眼の青年が顔を出す。

「おいガキども、俺の店の前でイチャついてんじゃねえぞ」

「ひいぃっ」

 すくみ上がるラビエル。

「あん? ユニットぉ? って、天使の嬢ちゃんじゃねえか。もしかしてそいつが運命……いや、待て」

 青年はリアを知っているようだったが、俺を見るなり片眉を吊り上げた。

「全員に……こりゃどういう。おい、お前ら一回中に入れ」

 親指で店の中を示す。『なんで全員と運命が繋がってんだ』──やっぱり魔法使いには運命の繋がりがわかるのか。


「ご、ごごご主人様逃げましょぅ! あの目は獲物を見つけた狩人の目ですぅ!」

「いや、入るよ? この店を見に来たんだし。だよね?」

「うん。ラビエルちゃん、怖いならカードに戻ればいいんだよ」

 隙あらば人頭減らそうとするじゃん。


 店の中にはカードの入ったショーケースが並んでいた。

 ショーケースといってもカードショップにある板型のものではなく、宝石店などにあるような、カウンターと一体になったものだ。

 中に並んでいるカードはどれも美品だが、値札には0がいくつもついている。最低でも5個だ。


「高っ」

「あぁ? 全部原本だぞ。むしろ安いくらいだ」

「原本?」

「マギ・ソーサリスで直接力を写し取ってきたカードだってことだ」


 初版、いや、そのさらに大元ってことか。

 ショーケースに並んでいるのは、この時代の現行弾である『復活編』より未来に出てくるカード……それから、一度も見たことのないカードもある。

 これから運営の手に渡り、世に流通するのだろうか。


「お前初心者だろ、魔法使いなのに原本を知らないってことはよ。んなガキにうちの店はまだ早え、帰んな──と言いたいところだが……なあ、それどうなってんだ?」

「それとは?」

「しらばっくれんじゃねえよ。運命はひとりにつき一体。変わることはあっても増えることはない。なのにお前は複数体と繋がっている」

 その言い方だと体の関係を持っているみたいで嫌なんだが。

「似たようなもんだ。今のお前、例えるなら日本で重婚してるみたいなもんだぜ」


 ギリィ……。

 俺の腕を掴むリアの手に力が籠る。めっちゃ痛い。

 商品を興味深げに見ていたメタトロンがうっすら頬を染めて指を絡めてきた。

 ラビエルは依然店主に怯えて背中にくっついている。

 服をよじ登り胸ポケットに戻ってきたフィギュエルにはジトっと白い目を向けられた。


 海外じゃ一夫多妻制もあるし問題ないだろう。まあそういうことではないだろうが。


「そんなにおかしいんですか?」

「決まってるだろうが。魔法使いになれるやつってのは、自分の魔力に合ったデッキと、運命がある。

 魔力に合うデッキってのは、例えるなら地域の電圧に対応した家電みたいなもんだ。あー、日本と外国で、コンセントの形や電圧が違うのは知ってるか?」


「急に俗っぽい話になったけど、はい。

 つまり俺は、Aタイプのコンセント(家庭用の縦長二穴のやつ)で形の違うプラグをそのまま利用している、みたいなことですか?」


「話が早いじゃねえか。お前が今コンセントで例えたのは魔力波形っていってな、指紋みたいに一人ひとり違う。ユニットもそうだ。同じ種族のユニットでも、持つ波長は異なる。

 この膨大な世界の中から、自分と同じ魔力波形を持つ相手と巡り会う。だから『運命』なんだ。誰が言い出したのかは知らねえが、よく言ったもんだよ」


「怖い顔で急にロマンチックなこと言い始めましたぁ……」

「なんだウサ公喧嘩売ってんのかああん?」

「ひいぃっ」


 今のはラビエルが悪い。

 睨まれたラビエルは俺の後ろに隠れた。余計なこと言うから。みんな思ってても言わなかったのに。

 しかしそこはさすが商売人、細く長く息を吐き出して怒りを鎮めた。


「とにかく、運命が複数いるなんてあり得ないんだ。本来はな。お前なんなんだよ? どうして四人も運命がいるんだ」


「そんなこと聞かれても……俺は最初からこうでしたから」

 なんならもっといるようだし。


 青年は唇をへの字に曲げた。

「……随分大事だいじにされてたみたいだな。ちっと過保護じゃねえか?」

「大事な人を大事にしたいのは当たり前でしょー?」

 リアは唇を尖らせる。青年は否定も肯定もせずに肩をすくめた。


「まあいいけどよ。おい、お前」

「聖です。天使あまつか 聖」

「得体の知れないガキなんざ「お前」で十分なんだよ」

 言いながら、青年はカードデッキを取り出した。


「お前、俺とファイトしろ」


「なんで急にぃ!?」

「そりゃあ、魔法使いならこれだろ」

 あっけらかんと言い放つ青年。

 ラビエルは大袈裟に驚いているが、俺は彼に賛成だ。

 カードバトラーがお互いを知るならバトルが一番。

 デッキ選択、カード構成、プレイスタイル、カードの状態にスリーブの有無など──デッキにはプレイヤーの人となりが詰まっている。

 環境に準じる人もいる。相棒と心中する人もいる。愛に殉じきれず泣く泣く環境に乗り換える人もいる。その全てが、人となりを示す情報だ。

 人が見えれば打ち筋が見えてくる。得意とする戦型、デッキ構成、採用カードの傾向に見当が付く。そうすればその予測の元、相手に先回りして対策できる。

 天使で優勝するための積み重ねの中で、自然に身についた技術だ。

 というかここまでしなきゃ勝てなかった。

 いや、はっきり言って苦行だったよ。ショップ大会へ気まぐれに参加した風を装って各地の強者と顔を繋ぎ、性格や打ち筋を調べ上げ、全国大会で使用するデッキやその構成に見当を付け、対策をされたら詰むので天使デッキは大会まで一切使用せず、一人回しのみで調整。その甲斐あって地雷の位置を取れたけど、ぶっちゃけ何度も吐いたよね。


 デッキを取り出した青年の雰囲気ふんいきは、先程までとは一変していた。

 俺を怪しむ視線は消え失せ、口元には笑みが浮かぶ。吊り上がった口角が顔全体を引き締め、精悍な顔立ちを形作っていた。

 ラビエルが怯えた三白眼も、今は闘志に満ちた眼光のようだ。

 闘志が熱となり大気が歪む。


 こちらも抜かねば無作法というもの。デッキを引き抜いて突きつける。


「ホルダーは使わないんですか?」

「このデッキは運命だ。そんなもん必要ねえよ」


 なるほど。

 俺と青年が動いたのはまったくの同時だった。

 開いた口が紡ぐのは、彼方の舞台に上がる呪文。


「『アウェイクニング──」

「──アセンション』!」


 世界が光に包まれる。

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