第48話 素体 立体 等身大

「ん〜〜〜〜♡ この白いのおいしぃですぅ〜」

「ラムネな」


 ブドウ糖の塊を口の中で転がしてじっくり味わうラビエル。頬に添えた手はまるで落ちないように支えているみたいだ。

 試しにあげてみたのだが、思ったよりも気に入ったらしい。


 フィギュエルにもラムネの欠片をあげようと思ったのだが、うまくちょうどいい大きさに砕くことができなかったので、粉を指につけて舐めさせることにした。

 小さな手で俺の指をつかんでペロペロと白いものを舐め取るフィギュエル。

 なんだろう、このジャンルには詳しくないけどすごくそそられるものがある。


「せーくんが新しい子とインモラルしてる」

「言いがかりだ」


 (物理的に)小さい子に白い(ラムネ)の(粉)を舐めさせているだけだよ。

 (よだれで湿った砂糖で)ベタベタになってしまったフィギュエルの顔をウェットティッシュで拭う。


「というか、ラビエルが服を変えたみたいに、フィギュエルも大きくなれるんじゃない?」

 聞いてみると、フィギュエルはぶんぶんと首を振った。『できるけど恥ずかしい』らしい。なら無理にとは言えないな。指先で小さな頭を撫でる。


「とりあえず、増えた人数分の飲み物とおやつを買っていこう」


 一応ルナエルから水筒を持たされてはいるのだけど、この人数だとすぐに飲み切ってしまうだろうし。

 さっきも入った駅前のスーパーに再び足を運ぶ。


「い、いぃのでしょうか? ラビエルたちはユニットなのにぃ」

「いいのですよ。子供が遠慮するものではありません」

「たしかにラビエルは生まれたてですけどぉ、子供ではないですよぉ!? そうではなくぅ!」


 などとやりとりしているふたりをよそに、しれっとまたキャラメルラテを手に取るリア。


「さっき買ったやつもう全部飲んだの?」

「えへへー」


 照れるリア。かわいい。

 でも一応水分補給用の飲み物買いに来てるんだけどな。甘い飲み物って逆に喉渇かないか?


「逆に甘いねせーくん。満足感がなきゃ、喉は潤っても心は乾いたまんまなんだよ」

「へぇ、俺とのキスじゃ心が潤わなかったんだ?」

「そ、そんなことないよー! でもほら、キスだと心が潤っても喉は渇いたまんまだからぁ。水分と満足感は同時に得ないとというか……」


 指先をつんつんと突き合わせるリア。


「じゃあキスはいらなかった?」

「する」


 言うなり唇が重なる。

 さすがに買い物中なのでそれほど深くはない。唇を拭うように何度も吸い付いてくるのは、先ほどのメタトロンのキスを拭おうとしているのか。


 ところ構わずキスを繰り返したものだから、胸ポケットのフィギュエルから呆れの視線を頂戴した。


 ああそうだ、フィギュエルの飲み物はどうすればいいかな。1/12スケールくらいのサイズ感だと、ペットボトルの飲み口でもドラム缶みたいになる。


「ん?」


 くいくいと服を引っ張られた。見ればフィギュエルは調味料コーナーを指差している。


「フィギュエル? あれは液体だけど飲み物じゃないぞ?」


 ふるふると首を振るフィギュエル。醤油やドレッシングを飲み物と勘違いしているわけではないらしい。表情読むか。

 えーと、『小さな魚』?


「ああ、醤油差しか」


 たしかにこれなら、フィギュエルには少し大きな水筒くらいだな。これにお茶でも入れればちょうどいいか。


 持ち運びと容量を考えて四角いやつを手に取ると、胸ポケットの中で暴れられた。

「魚がいいの?」


 こくこく。暴走した赤べこのような勢いで頷くフィギュエル。


「魚のやつってなんか名前あったよね。なんだっけ、ランチャー?」

「ムが抜けてるよ。あと、それは商品名だ。もの全般としての名前は、たしかタレ瓶、あ、でも魚型のやつは醤油鯛って言うんじゃなかったっけ」

 パッケージの記載は「醤油差し(金魚)」だけど。


「だめだよ。会計終わってからね。もう少し我慢して」

 俺が手に持つ醤油鯛に手を伸ばそうとするフィギュエルをたしなめる。今渡したら胸ポケットに入れたみたいになってしまう。李下に冠を正さずだ。


 フィギュエルは膨れた。それはもうフグのように膨れた。醤油鯛を己の手元に置くべく、ジャケットをよじ登って胸ポケットから脱出をはかる。


「あっこら、危ない」


 今の俺は小学生なのでまだ背は低いが、それでもフィギュエルのサイズだと身長の10倍近い高さになる。落ちたら大事おおごとだ。

 とか言っていたら案の定、フィギュエルは足を滑らせた。小さな体が宙に投げ出され、伸ばした手は虚しく空を切る。

 フィギュエルは目をきつく閉じ、体を縮めた。

 「ポンッ」という気の抜けた音と共に、1/12が1/1に変わる。

 サイズの変化により、地面への激突は、ただの尻もちで済んだ。

 ほっと息を吐いたフィギュエルはしかし、すぐに体をこわばらせる。

 俺が咄嗟に伸ばした手がスカートの中に潜り込み、大きくなってもまだ小さいおしりをつかんでいた。その上肌触りの良いワインレッドのスカートに頭から突っ込んでしまっている。

 実は空中キャッチには成功していたのだ。しかしフィギュエルの巨大化により、急に増えた重さを支えきれず諸共に転倒してしまった。


 体を起こし、長いスカートを踏まないようにめくり上げて、細い腰の横に足を置く。フィギュエルの背中に腕を回して上半身を密着させ、床から重い荷物を持ち上げる要領で垂直に立ち上がる。


 『魅惑の手のひら天使フィギュエル』は、そのものズバリ、フィギュアに宿った天使だ。

 背景ストーリーによると、天界で好物の干物を作っていたら、雲の隙間から足を踏み外してしまい、落下先にあった人形と合体フュージョンして現在の姿になったんだとか。

 肉体の元がフィギュアだからなのか、幼い容姿に反して、中身はかなりしっかり詰まっているようだった。下着の下から押し返してくる弾力を手のひらに強く感じる。

 力を入れていないパワーの筋肉を触っている感触に近いけど、フィギュエルの肉付きは見た目相応、第一次性徴後のそれなのに。不思議な感覚だ。


「はいこれ」

 フィギュエルに醤油差しを渡す。大きくなったなら自分でレジに持っていけるだろう。


「まったく、せーくんも心配症だね。フィギュエルちゃんもユニットなんだから、あのくらいの高さなら平気だよー」


 やれやれと首を振りながら俺の腕を掴み、フィギュエルのスカートから引き抜こうとしてくるリア。フィギュエルの表情を見るに平気ではなさそうだけど?


 リアの手に抵抗していると、指先が柔らかい布地に潜り込んだ。フィギュエルの肩が大きく跳ねる。


「マスターがまた無体をしておられるぞ」

「ひえぇ、あんな小さい子にまでぇ……あれ? なんか大きくなってますぅ?」


 メタトロンとラビエルは欲しいものを選び終わったらしい。

 ラビエルは野菜ジュース。メタトロンは三つの矢羽のマークがついたサイダーと、小ボトルのミックスジュースを持っていた。


「これ、フィギュエルの分です」

「お、ありがと」

「あとこれ、マスターのラムネです」

「おやつまで取ってきてくれたの? 悪いね。……大入りだこれ」

「ラビエルも食べたくてぇ。いいですかぁ?」

「もちろん。そんなに気に入った?」

「はいぃ。じわーってして頭がすっきりしますぅ」

 わかるぅ。

 ブドウ糖をキメると脳の疲れが吹き飛ぶからな。


「フィギュエルも自分のおやついる? せっかく大きくなったし」


 ふるふる。横に振られる首。醤油差しを口元に掲げる。元のサイズに戻るからいらないってことか。

 俺の胸に醤油差しの袋を押し付けるフィギュエル。『持ってると落としちゃうから小さくなれない』とはね。いい子だ。


「自分の分は自分で持っていこうか」

 今両手塞がっちゃってるんだよ。

 潤んだ目が俺の顔とスカートに潜り込んだ手を往復したが、優しく撫でて足をレジに向けさせる。

 表情を読み取るまでもなく、朱に染まった目元が『恥ずかしい』と訴えている。かわいい。


「おあずかりしま──……!?」

 レジに行くと店員の目が俺の腕を追ってフィギュエルを見たが、気にせず会計を要求する。

 清算のために手を離すと、フィギュエルは慌てて「ポンッ」と元のサイズに戻り、胸ポケットに収まった。

 顎の下からじとーっ、と非難めいた視線が飛んでくる。


「えっ、ユニット?」

 商品をレジに通している間もちらちらと腕の先に視線を向けていた店員が驚きの声をあげた。

「君、魔法使いか」

「すいません、驚かせてしまって」

 スッと「魔法使い」って単語が出てくるあたり、やっぱりメジャーな存在なんだな。

 専用の社会制度もあるようだし。

 あくまで職業の一種として扱われていると考えてしまってもいいのだろうか。


 魔法がある世界って、もっとファンタジーなのを想像してたけど、この世界では魔法を扱うにはまず運命と出会う必要があるわけで。

 最低基準に運が絡むなら、そりゃあ社会基盤にはなり得ないか。電車だって電気で動いてたわけだし。


 でも乗車賃は魔力なんだよな。

 改札にデッキホルダーをタッチして通る。慣れねえ。リアたちはセンサー部に手をそのままかざしている。ホルダーをタッチした時とは違う音がしてるから、そこでユニットかどうかを判別しているのだろう。


 同道者が三人増えたものだから、もし現金だったらと思うとちょっとだけお腹が痛い。ユニットが乗車無料でよかった。

 どの道魔力払いだから実質タダのようなものだけど。


「そういえば、なんでユニットは無料なの?」

「それはほら」

 駅のホームでふと疑問をこぼすと、リアが傍を指差した。人の食べ残しに雀が集っている。

「あれがどうし──うん?」


 雀の中になんかやたら恰幅のいい三つ首のやつがいる。ユニット──というか、


「ヤタスズメじゃん」


 桜も使っていた小型ユニットだ。

 近くに魔法使いがいるのか? でも運命の繋がりを前にした時の感覚はない。


「あれ野生か? なんで地球に野生のユニットが」

 教えはどうなってんだ教えは。

「地球とマギ・ソーサリスを繋ぐゲートは自然発生することもありますから。そこから迷い込んだのですよ。

 もちろん、迷い込んでくるのは動物型だけではありません」


 動物型以外ってことは、ああ、なるほど。


「ユニットに乗車賃かけたら、手続きが煩雑になるってこと?」

「そういうこと」

 我が意を得たりと頷くリア。


 『ユニット』とはマギ・ソーサリスに起源を持つ魔法的存在全般を指す。

 ヤタスズメのような動物型から、リアたちのような人型まで、その姿は様々だ。その上天使のように、人型であってもヒト種ではないものも多い。

 どこからどこまでを人間のルールに当てはめるか。厳密に決めるのは、そりゃあ面倒を通り越して不可能だろう。


 たとえば、人型ユニットからは乗車賃を取ることにしたとする。

 しかしワーウルフなど、獣の特徴を持つ人型、あるいは反対に、人型の特徴を持つ獣などはどういう扱いになるのか。知能水準で決めるのか。それはどこを基準にして測るのか。

 完全に動物型でも高い知能を持つ場合はどうなのか。


 ならいっそユニットは十把一絡げに、いやさ百把十絡げにまとめて無料にしてしまった方が、面倒がないというわけだ。


 煩雑さを招く効果はまとめて例外処理してしまった方がいい。まったく道理である。


「要は野生動物の扱いじゃない?」

「まあね。でも人型だとしても、マギ・ソーサリスの存在だし。通貨の概念がわかっていない子もいるから」


 人間は力じゃユニットに敵わないから刺激するのは好ましくない。場合によっては意思の疎通もできないかもしれない。

 触らぬ神に祟りなしか。日本らしい解決法だ。

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