第22話 第一ヒント発見!
異界の山中はどうにも不気味な雰囲気だった。その印象は未舗装の山道に入った途端さらに強くなる。
肌を撫でる空気は生暖かく、どこからか微かに漂ってくる独特の臭気が時折鼻を刺す。本当に、本当に微かだが、吐き気を催すような甘ったるい腐臭。
この臭いによく似たものを俺は知っている。清潔に努めないタイプのカードプレイヤーや、体積が多いタイプの人間が発する、性根や物質が腐った臭い。それを身だしなみ気取りの強いコロンで誤魔化そうとしてより強烈に昇華した悪臭。恐らく地獄の臭いとはかようなものであろうと想像させる、およそ人間の常識というものからかけ離れた不快な臭いだ。
生い茂る木々は間引かれた形跡があるものの妙に色艶が悪い。やはりあまり目に良くなさそうな空のせいだろうか。木の枝から垂れる蔓についた葉は肉厚で、不健康そうな紫の斑が浮いていた。
蔓がそれなりに多い。足元だけじゃなく、頭上にも気をつけた方がよさそうだ。
一列になって山道を登る。先頭はみどりちゃん。次に俺が桜の手を引いて進む。その後ろをリアと猫。最後に失恋の痛みで顔を歪める石動が、一二三トリオに介護されながらついてくる。
ジャージに包まれた程よい大きさのおしりが目の前で左右に揺れる。これがあれば今日の山岳行軍は乗り切れそうだ。
と思っていると、おしりが手で隠された。
「……ねえ
「隠してるつもりはないのでそちらもお気になさらず」
「気になるから言ってるのよっ」
「えー。じゃあ、いい体してますね」
「誰が褒めろって言ったの……こんのエロガキぃ……」
酷い中傷である。
「桜、足元平気?」
「うん、大丈夫。ごめんなさい、みどり先輩。聖くんってバトルは強いけどちょっと……結構えっちなんです」
「ああ、うん。そうだろうね。……えっ? 強いの?」
鳩が豆鉄砲を食ったような反応をするみどりちゃん。そういえば顔合わせの時にデッキを言ったな。やはり高校生ともなると、デッキ毎の出力がどの程度のものか大体知っているらしい。
「わたしのアマテラスに正面から勝ったんですよ!」
「正面から……ではないかな。かなりギリギリだったよ」
「わたし、マナも手札も全部使い切ったんだよ。ギリギリだったのはわたしの方だよ」
「展開したユニットをたった一体で軒並み殲滅しておいてよく言うよ。ほんとあれ生きた心地しないからね」
「一体差で勝ち切れたと思ったんだけどなあ」
「そこはリアのおかげだ。なんたって俺の運命だからな
「別にぃー?」
「仲良いねー君たち」
なんとも言い難い曖昧な笑みを浮かべるみどりちゃん。
「えっとぉ……巫ちゃんは天使くんのこと好きなの?」
「ひゅっ!?」
息を吸い込むのに失敗した音がした。
桜は真っ赤になってわたわたと腕を振る。
「ち、ちが、そんなこと……好きというか……ぐいぐいくるからすごくドキドキするっていうか、拒めなくなるっていうか……なのにリアちゃんといちゃいちゃしてて、リアちゃんが聖くんの運命なのはわかってるけど、ちょっとモヤモヤするというか……にゃーちゃんにイタズラしてたのもちょっとムッとしたけど……そ、それだけですからっ!」
「い、石動ィーーーー!」「体が崩れてチリに……!」「くそぅ、手遅れだったんだ!」
なんか後方がうるさい。
「そ、そうなんだ……それってもう……ん?」
ちょっぴり顔を引き攣らせていたみどりちゃんだったが、ふと視線を前方に向けた。
「あっ、見えてきたよ! 最初のチェックポイント!」
なんと。もうそんなに歩いてたか。
みどりちゃんの視線を追って山道の先を見ると、木々の隙間から明るい光が見えた。なるほど、山の中にあってはたしかに開けた場所のようだ。
小枝をかき分け光の下に出る。
そこはちょっとした広場だった。真ん中付近に細い木が一本生えており、その、なんだ、すごく雑にカードが括り付けられている。何この、何?
「あ、カードだよ!」
その光景を疑問に思ったのは俺だけだったらしい。桜が真っ先に気に駆け寄り、最後尾からごぼう抜きした石動が続く。
「マジックカードだ! 『
へぇ、これはまた懐かしいカードだこと。
『
コストは3。一見実用的に見えるが、これが出た当時は、このカードの加算により回復効果の圏内に入る、パワー8000を超えるユニットなどまだまだ珍しい時代だった。カードショップのストレージにたくさん落ちていたのを覚えている。そういえば前の世界で、ユニットのパワーインフレによって実用圏に入ったとして注目されていたな。
イラストはカラフルな弾丸。明らかに魔法というよりアイテムの見た目をしている。そういえばこの時代はまだオブジェクトカードという分類も存在しなかった頃だったか。俺は実際に体験したわけではないが、アニメ版『sorcery-ソーサリー-』のシリーズを視聴した時、ついでに履修した覚えがある。
フレーバーテキストは「体の限界を無視して無理矢理戦うなど、そんなもの狂戦士ではないか」。背景ストーリーで、これを作ってもらった人間が、その用途を知った魔法使いに言い放たれた言葉だ。
まさかこんなところでお目にかかれるとはな。
「これがクロスワードのヒントなのかな」
「猫。もう歩けそう?」
「歩ける。というか、腰が抜けたの誰のせいだと」
「俺で骨抜きになってくれて嬉しいよ」
「ひぅ!」
手を伸ばして見せると、猫は爆速で退避した。
「逃げられちゃったねー」
浮遊を解いて着地したリアはちょっと嬉しそうだ。
俺はリアを抱きしめて首筋に顔を埋める。異界の森の臭気でちょっと鼻が辛かったのだ。
太陽と柑橘を混ぜたような、暖かくて柔らかい匂いを、肺いっぱいに満たしていく。
「ふふー」
俺の背中に手を回すリアの満足げな声。
「そういえば、リアの言った通りになったね。この体になってから、妙に自制が効かない」
「そうだろうねぇ」
生暖かい視線が俺の顔を揉む。
前の世界ではこんなことなかった。子供の体だから理性が弱いのか? 理性が弱え体なのか……?
木の周りではみどりちゃんが「よーし、じゃあみんな、カードを用紙に記録しよう!」と音頭を取っている。オリエンテーリングの最初に配られた、ヒントが何もないクロスワードが印刷された紙のことだ。石動が桜にいいところを見せようと代表者になり、カード名『
「石動! ルビも書いといてくれないか?」
「ルビ? なんだそれ」
「読み仮名のこと。今描いたとこの横に『エナジーアモ』って書いといて。念の為」
「ええー? なんでわざわざ。いいけどさ。ほら、これでいいか?」
紙を見せてくる石動。字、あんま綺麗じゃねえな。しかし最低限読めるのでよしとする。
「うんありがとう。これから探すカードも、記録する時はルビを一緒に書いてほしい。お前にしかできない仕事だ。頼めるか?」
「しゃーねーなー。俺に任せとけ!」
紙を挟んだバインダーを天に突き上げる石動。こいつも大概
あんまり顔に出さない方が良さそうだとアイコンタクトしていた高校生組から『こいつしれっと記入役押し付けやがった』という目を頂戴した。バレたか。
「このまま次に行く? 少し休んでもいいけど」
「ワタシは行ける。さっき楽させてもらったから」
「わたしも。まだ始まったばっかりだしね!」
「俺も行けるぞ! せっかくなんだから一番を目指したいよな! そ、それで巫、今度は俺が……」
「おいで、桜」
「う、うん」
ぱたぱたと小走りに駆け寄ってくる桜。
手を中途半端に伸ばしたまま固まる石動。一二三が肩に慰めの手を置く。
小さな体を一度軽く抱きしめてから手を取る。桜の顔がぽやっと蕩けた。
「ひゃっ?! ど、どうしたの急に」
「桜が可愛かったからぎゅってしたくなって」
「も、もう……わたしがかわいいのは本当だけど、普通女の子にいきなりそういうことしちゃだめなんだよ?」
「だめだった?」
「ひぅ。わ……わたしは、……だめじゃないけど」
顔を伏せて、ちょっと上目遣い。かわいい。
視界の端で石動がサラサラと崩れていく。
「ねぇ、大熊ちゃん。あれってさ……」
「ん。あいつ、わかっててやってる。ます」
「ええ……? でも絵救世ちゃんとそういう仲じゃないの? さっき抱き合ってたよ? あの距離感、運命でも普通じゃないよ?」
「あいつ、天使使いだから。女好きで見境ない。でもさーちゃん、それ込みで堕ちちゃったから……」
おいこら今天使デッキ使い全体への誹謗が聞こえたぞ。天使に美少女が多いのは事実だが、だからといって女好きとは限らないだろうが。バエルやパワーみたいな有名人似の男性型天使もいるんだぞ。
「たしかに、さっき歩いてる時もあたしのおしりをずっと見てたし……、もしかしてあたしも狙われてる?」
体をかき抱くみどりちゃん。みどりちゃんを『みどりちゃん』呼ばわりなのは、みどりちゃんが「みどりって呼んでね」って自分で言ったからみどりちゃんって呼んでるだけなんだけど。みどりちゃんみどりちゃんうるせぇな。ゲシュタルト崩壊すんぞ。
猫は首をこてんと傾げて、
「あいつ、強い
「なるほど……たしかに『四柱推命』ってなんかこう、すごい動きするよね。
あたしの『
『妖精』は俺もサブデッキに持ってるのでそんなに。回し方について話し合う機会があればいいなとは思うけど。
「ていうか、敬語苦手なら無理しなくていいよ?」
「いいの?」
「あたしにだけはね。ゆっくり覚えていけばいいから」
「ん」
こくこくと小刻みに頷く猫を微笑ましそうに見守るみどりちゃん。仲は順調に深まっているようだ。よきかな。
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