第19話 なんかやるらしいですよ

 明けて翌日。

 昨日はなんだかんだ色々あったし、大きな騒ぎになっていないといいなと思いながら、リアと手を繋いで登校する。

 ワープゲートである黒い渦を潜り、昨日と同じ先生から嫉妬を頂戴しつつ校庭を横断。

 すると、下駄箱がある玄関口に一応は見知った顔が立っているのを発見した。

 石動いするぎである。

 しかしその顔には大きな紫色のアザができていた。思わず「うわっ」と言ってしまった。だってめっちゃ痛そうなんだもん。


「お前それどうしたんだよ」

天使あまつか

 石動がこちらに気付く。

「昨日の件で親父に殴られた」

 そんな青あざになるほど殴られることある?

「違法デッキに手を出すなんて人として最低だ、そんな風に育てた覚えはないぞって、助走つけて」

「助走」

 青あざ見るにそれ多分、言葉のあやとかじゃなくて本当に助走つけて踏み切ってるよね? 息子にそこまでやるか?


 いや違うな、違法デッキがそこまでの代物と認識されてるのか。『sorcery-ソーサリー-』に即死ループはほぼ存在しないから『なんとかして勝つ』という対処法がとれるけど、それでも、自分の命運を勝手に賭け皿に乗せられるのは気分がいいものではない。

 にしてもこんなになるほど殴るか?

 この世界の常識を抜きにしても、俺は父親がいないからそこら辺の塩梅がよくわからないんだよな。


「湿布くらい貼っとけよ……痛いだろそれ」

「ああ……めちゃくちゃ痛かった」

 石動は患部をさすり、それから頭を下げた。

「天使、昨日は悪かった。八つ当たりだった」

「それを言うために下駄箱で待ってたのか」

 心配になるから傷の手当てぐらいしてから待ってて欲しかった。その規模だと一生残りかねんぞ。先に保健室行け。

「とりあえず顔を上げてくれ。俺は頭を下げられるより、ちゃんと目を見て謝ってもらうほうがいい」

 表情が見れるから。

 顔を上げる石動。そこに浮かんでいたのは本気の後悔だった。逆恨みを隠したり、開き直りのためにしたりする謝罪ではない。ちゃんと自分が馬鹿なことをしたと自覚して悔いる、責念の謝罪だ。

 真面目なやつだな。


 だが世の中往々にして、真面目なやつほど潰れて道を踏み外しやすい。その時期が遅いほど取り返しがつかなくなる。

 今のうちに挫折したことが石動にとってプラスに働くことを願わずにはいられない。

 俺は肩をすくめて返す。


「もういいよ、気にしてない」

「だが私が許すかな!」

「リア、ステイ」


 その挫折の大元の原因が俺であるという事実は脇に置いておく。利益が食い合った以上は仕方のないことだ。

「それよりも、今度から大切な相手にはちゃんと想いを口に出して伝えるようにしろよ。じゃないと繋ぎ止めておけないぞ。俺が言うのもなんだが」

「その一言でお前の顔面ぶっ飛ばしたくなったわ」


  ***


「あっ、聖くん! よかった、昨日は大丈夫だったんだね。リアちゃんもおはよう」

 教室に入ると桜が駆け寄ってきた。リアへの挨拶はちょっと棘があったが。

 俺とリアの繋いだ手をチョップで分離する桜。リアが『こいつぅ……』と目元をひくつかせる。

 すると当然、俺たちの後ろにいた石動に気付くことになった。

「あ…………石動、くん」

「巫……」

 石動は複雑そうな顔をしていたが、それでもちゃんと頭を下げた。目に浮かぶ未練を振り払うように。

「昨日はごめん」

「えっ。う、うん……」

 驚いて顔を上げた桜だが、すぐに目を伏せてしまう。視線がちらちらとこちらを向く。

「俺はもう謝ってもらったよ」

「……そうなんだ。なら、それでいい、かな」

 気まずい空気だ。クラスメイトもなんだなんだと視線をこちらに向け始めている。

 周囲の呼吸を読み、全員が息を吸って意識に空白が生まれる一瞬のタイミングブリンク・モーメントを見計らって音高く手を叩く。意識に冷水を浴びせかけ、場の空気を強制的に切り替える技術だ。

「ッ!」

「ふぁっ!?」

「よし! 丸くおさまったところで。今日も一日張り切っていこう!」

「そ、そうだね! 今日はオリエンテーリングで初めて山に入るもんね!」

 うん、桜、今なんて?


「山っていっても周り山だらけだけどね。今日はどの辺に行くんだっけ」

「たしか東の山だったはずだよ。前組んだ班で……あ」

 俺の思考に同調してボロを出しそうだと悟ったリアがフォローしてくれた。

 たしかに時空を飛び越えて登校するこの学校の周囲は山に囲まれている。そこに足を踏み入れるらしい。

 通常の時間割は確認していたが、変則の特別授業の類いは把握していなかった。とんだケアレスミスだ。スミスさんちのケアレさんだ。誰だよ。

 しかし無意識はちゃんと記憶していたらしい。言われてみれば俺もリアも運動着で登校している。他のみんなも運動着だ。


 班行動と口にした瞬間にぶつかる石動と桜の気まずげな視線。せっかく変えた空気がまた戻ってきてしまう。

 ので、ここはわざと大きめの声を出す。


「あー、班のメンバー誰だったかなー?! 忘れちゃったなぁ?」


 二人ともびっくりして振り向いたが、こちらの意図は伝わったらしい。桜が小さく笑う。

「もう、聖くん。出席順なんだから同じ班でしょ、わたしたち」

「そうだぜ。忘れてんじゃねえよ。だから俺はお前を警戒したんだ」

 意味なかったけどな……と自重する石動。昨日の授業以前から警戒されていたらしい。

 その頃はまだ、普通にこの世界線を生きてきた天使 聖くんなんだよなと、知らない記憶を思い返してみれば、たしかにそのような情景があった。警戒というか、班会議で自分以外の男が桜に近付くと桜に見えない位置で露骨に顔をしかめている。んなことしたら会議にならないだろ。


 『あ』まつか、『い』するぎ、『か』んなぎ──なるほど。リアの扱いが俺とペアなのか単独の生徒なのか結局わからないが、『え』くせもそうだな。

 六人班だから男女それぞれあと一人ずつ、知らないメンバーがいることになる。

「せっかくだから班で会議でも……といっても、今更決めるようなことなんてないか。朝休憩潰して集まるのもなんだし──」

「呼んだ?」

 おっし一人釣れた! 早速振り向く。

 そこにいたのはややオリエンタルな顔立ちをした女の子だった。

 教室にひしめくカラフルな頭髪の中においては一際目立つ、艶々とした黒髪ストレート。長い前髪が片目を隠し、頭の左右に白いお団子が乗っている。中華風のシニヨンだな。

 なんだかパンダみたいな色合いだ。

「大熊」

「にゃーちゃんおはよ」

 石動と桜が反応する。

 …………。

「せーくん。名札」

 こっそり耳打ちしてくるリア。こういう時こそ念話の出番だと思うんですがね。

 しかしそう、ここは小学校なのだ。全員胸に名札を下げている。一昨日まで社会人だったからすっかり失念していたよ。

 視界の下辺で名札を確認する。『大熊 猫』──パンダじゃねえか。


「あ、あぅ、やめぇ」

「ん?」

 か細い悲鳴が聞こえて視線を落とすと、俺はなぜか光沢のある黒髪を指で梳くように大熊の頭を撫でていた。

「聖くんいつもそれやるよね。ダメだよ、女の子に気安く触っちゃ」

 桜が俺の手を引き抜く。口ぶりからするに毎回やっていたらしい。たしかに今の、明らかに体が覚えた動作だったな。そんな反射になるくらい毎回やってたんですか? 何やってんだこの世界の俺(1日ぶり二度目)。

 掴まれた方とは逆の手で桜の頬や耳を撫でる。

「昨日の桜はたくさん触らせてくれたけど、それもダメだった?」

「さ、ちょっ、ここでそんなこと言うのはぁ! んっ、だ、ダメじゃないけど」

 首筋を撫で下ろすと甘い声が上がる。

 頬に拳大の石くらいの視線がぶつかった。痛えな。

 見れば大熊がドン引きしている。それから気の毒そうな視線を石動に向けた。石動が顔をしかめる。

「おい大熊、その目やめろよ」

「いや……だって、これ……」

 指を差すな。

 どうやら石動の気持ちは周囲にバレバレだったらしい。そりゃそうか。昨日も俺が桜を保健室に連れ込む時、一人だけ阻止しようとしてたし。

「十何年もの片思い。言い出せもせず、何も得ず。しまいにゃしまいにゃ、びー・えす・えす。ぽっと出のやつにさらわれる。実に空虚じゃありゃせんか? 人生空虚じゃありゃせんか?」

「やめやめろ!」

 突然歌い出す大熊。火力たっけぇなこのパンダ。

「ぽっと出ってお前」

「でもたしかに、クラスが一緒になったのは初めてなんだよね。初めて、で……」

 俺の唇を凝視する桜。白い指で自分の唇に触れる。知り合って間もない相手とキスしたという事実をまた自覚したらしい。

「みんな見てるけど、したいの?」

「えっ!? ちっ、ちち、違うよ!? そんなこと考えてなんか……」

「さーちゃん大人の階段登ったんだ……!」

「にゃーちゃん!? まだ登ってないよ!」

「予定あるんだ……!」

「な……ない! ……よ? ね?」

「こっち見ないの」

 腕を回して両手で挟み、頭を正面の大熊に向けさせる。そのまま桜の頬をむにむにと揉む。

「んっ……んぅ……」

 桜のこぼす声、妙に色っぽいんだよな。

 ……なんの話だったっけ。

「結局オリエンテーリングの話はしないの?」

 俺の意を汲んで軌道修正を切り出すリア。本当にありがたい。明日のデートでたっぷり甘やかそう。


「今回は六学年全クラス合同だから悠里ちゃんも一緒なんだよ。できたら途中で合流しようって約束してるんだ」

 胸の前で拳を握り、嬉しそうに話す桜。

 悠里、昨日保健室に襲来した氷のムッツリ美少女か。あいつにも『決闘戦』吹っ掛けられてはいるんだよな。昨日の今日で会ったら日時決めてないのバレて日取りまで決められかねない。あまり会いたくない相手だ。

 というか、

「班行動では?」

「別に班同士合流しちゃいけないってルールはないからいいだろ。高天原のことは苦手だけど……あいついつも俺を睨んでくんだよ」

「なら今日からは大丈夫だと思うぞ。俺も会ったけどあいつ、桜に近付く男に威嚇してるだけだから」

「……それって……そういうこと……か……俺はもう威嚇する必要も……ははっ」

 石動がまた燃え尽きている。

「でも今回は高校生と一緒。さすがに勝手はしない方がいいんじゃない?」

 パンダ、違う、大熊がぼそりと言う。

「高校生?」

「天使、やっぱり聞いてなかった。女子のこと考えてたでしょ。最低」

「考えるより先に手を出してやろうか?」

「ひぅ!?」

 慌てて桜の後ろに隠れる大熊。

「にゃーちゃん!? わたしを盾にしないで!?」

「あ、あの手はだめ。ふわってしてぼーっとする。ワタシがワタシじゃなくなるっ」

 人を洗脳兵器みたいに言うんじゃないよ。

「天使、やっぱりお前魔法で!」

「ははーん、お前懲りてねえな? バトル外での魔法の実践はまだやってないだろ!」

 後半の言葉は口から勝手に出た。やっぱりそういうのあるんだ。体はちゃんと学んだことを覚えているようで安心する。俺の視点で未知の授業でも少しはなんとかなりそうだ。

 間合いからパンダと桜が脱出し、手が寂しくなったのでリアを抱き寄せる。

「きゃー♪」

「……んぅー」

 不機嫌になる桜。そしてその様子に目を見張る大熊。

「そっか……さーちゃん本当に堕とされちゃったんだ……」

「だからその目やめろって」


「で、高校生の話だよな。それって向こうの校舎の?」

「そうだよ。わたしたちの先輩。うちの学校、半エスカレーターだから、こういう合同授業もできるんだって」

「半エスカレーターってそんな半チャーみたいな」

「ほんとのことだもん! 成績が悪いと進学できないんだから。というかわたしたちも他人事じゃないんだよ。もう今年だし」

 そういや小6ってそういう時期だわ。

 年度の初めだからまだもう少し余裕あるよ。大丈夫だ。

「合同授業とは言いつつ、実態は引率って感じがするけどな。先輩たちも六人班なんだっけ?」

「それはわからないけど。多分そう」

「まあ、高校生側の総数も俺らとそんなに変わりがないはずだろ? 複数対複数で一人につき一つ以上の目を付けられる形がベターだもんな、こういうのは」

 部隊運用することで、あっちこっち走り回る厄介な小学生に対して、人数は同数のまま一人当たりに複数の目を付けられるという寸法だ。

 ついでに班単位ならある程度人数管理が楽になる。コミュニケーションを考えるなら三対三がいいと思うが、そこは教師の人数が足りていないのだろう。六学年全合同らしいし。


「あ、予鈴だ」

「席についとこー」


 もう少し情報が欲しかったのだが、ここであえなくタイムアウト。

 ……たしか六人班だったよな。最後の一人が姿見せてないぞ。

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