第18話 家と天使と考えること
帰宅すると、リビングから『母さん』──『慈母の月天使ルナエル』が顔を出した。
「おかえりなさい、聖。リアちゃん」
「ただいま、ルナエル。それとも朝みたいに母さんって呼ぶ方がいい?」
もう正体を知ってるぞと伝えると、ルナエルは目を丸くする。
「あら。気付かれちゃったのね。それともリアちゃんがバラしちゃったのかしら」
半分ずつ当たりだ。つまり完答である。
「じゃあ改めて。慈母の月天使ルナエルよ。好きに呼んでくれていいわ。久しぶりね、聖」
ルナエルは腰の後ろで手を組み、前屈みになって、俺と目線の高さを合わせた。形の良い胸がゆさりと揺れる。
「ルナエルさん!? 母親役なんだから色仕掛けはまずいですよ!」
「えー色仕掛けなんてしてないわよぅ」
太い三つ編みの先っぽで猫じゃらしのようにリアを手玉に取るルナエル。
「それで、お風呂にする? ご飯する? それともマ・マ?」
「「それ新婚のやつ(ー!)」」
リアと綺麗にハモる。なんで襟元広げた?
いつまでも玄関で話しているのもなんなので、洗面所で手洗いとうがいをする。
リビングに移動すると、ルナエルが晩ご飯の支度をしていた。
「手伝うよ」
俺たちが帰る前から準備していたようで、料理はあらかたできている。
テーブルに並べるくらいはできそうだ。
「じゃあこれお願いしようかしら」
「ほいきた」
「私もー」
渡された器をリアと手分けして食卓に運ぶ。なんだか本当に親子みたいだ。
菜箸でおかずの盛り付けをするルナエルはとても幸せそうで、体を揺らして鼻歌を歌ったりなんかしている。
「ありがとうな、ルナエル。リアから聞いたよ。自分から母親役に立候補してくれたって」
「お礼なんていいのよ。アタシがやりたかっただけだもの」
「でも俺は……少し後ろめたい。君を世界に連れて行けなかったのに、こんなに尽くしてもらっていいのかって」
「い・い・の・よ。アタシがやりたくてやってることなんだから、あなたにとやかく言われる筋合いはないわ。これはアタシのエゴだから」
「……そっか」
エゴか。なら俺に口を出す権利はないな。
「……ありがとう」
「そのお礼は受け取るわ。……アタシね、本当に嬉しかったのよ。他のテーマがインフレしていく中で、あなたは最後の最後までアタシを使ってくれた。デッキから抜かなくていいようにずっと構築を工夫してくれた。それでもどうにもならなくて、アタシを外すしかなくなった時、あなたは泣いてくれたでしょう? それでもう十分って思ってた。
でもこうして体を得る機会が訪れて、あなたとまた一緒に過ごせるって思ったら、つい手を上げちゃってたのよね」
ルナエルはイタズラっぽく舌を出して笑う。
「だから本当に、あなたが気にする必要はないの。お世話させてちょうだい?」
その微笑みは彼女の冠名の通り、まさしく慈母だった。
「……わかった。わかったよ。本当にありがとう。俺は幸せ者だな」
だって、俺は結局諦めたのだ。取捨選択の末に切り捨てた。愛想を尽かしてもおかしくない。だというのにこうして目の前に現れて、恨むどころか感謝しているなど。
リアといい、ルナエルといい、俺は本当に果報者だ。
……しかし、ひとつ疑問が残る、ルナエルは『母親役』。あくまで『役』だ。
本来その席に座っているべき人間──本物の母親はどこへ行ったんだろうか。
帰宅時にルナエルの名前を呼んだ時、一瞬だけ微かに表情が強張った。朝の態度と合わせて察するに、二人は俺が気付かなければ、そのまま何も言わずにこの設定を現実として通すつもりだったのではないだろうか。
リアが隠し事に向かなさすぎたおかげで早々に気付くことができた……と言いたいところだが、二人ともまだ何か隠そうとしてる節がある。
おそらくだが、世界線の推移は、最悪俺に知られてもいい隠し事だったのだ。わざとわかりやすい秘密に目を向けさせ、それを解かせて安心させることで油断を誘い、本当に知られたくないことの隠れ蓑にした。
一体何を隠しているんだろう。自分で調べるしかないか。
ん? 父親もいない?
うちの父親は元々俺が幼い頃に離婚してるよ。そっちは問題ない。
***
宿題を終わらせてシャーペンを置く。
さすがに小学生レベルの基礎問題につまずくようなことはなかった。
少なくとも前の世界と変わらない国語・算数・理科については問題なしだ。
ただし社会、オメーはダメだ。
この世界は『sorcery-ソーサリー-』の舞台となる並行世界と隣接しており、カードによる魔法という形での技術の体系化こそ最近であるものの、古の時代から都度干渉し合っていたらしい。特定の場所において人やユニットが双方向に行き来できるなど、歩いて行ける異世界というような立ち位置だったようだ。登校時に使用したワープゲートなどまさしくそれだろう。
そんな元の世界との差異により、ところどころ俺の知らない歴史が発生している。
例えば元寇。
蒙古襲来とも呼ばれる、モンゴルと属国の高麗が日本に攻めてきた侵略戦争だが、当時の絵巻の写真を見る限りでも、侵略者の中にユニットと思われる存在が複数存在しており、日本側の記録にも、鎌倉武士が異形の存在をまとめて叩き斬ったとされる記述がある。
例えば妖怪の伝承。
元の世界で『sorcery-ソーサリー-』に登場する妖怪族ユニットは、実在する伝承の妖怪をモチーフにしていたが、ここでは逆にユニットが妖怪の元になったのではないかとされる研究結果なぞがあるらしい。
例えば織田信長。
この世界の歴史においては、ユニット『真なる天魔の蛇ノーブルナーガ』が人の子として産まれ直した姿だとされている。
そういう小さな差異が積み重なり、俺の知るものとは大きく異なる歴史が生まれる。なまじ元の歴史を知ってる分、ちょっとの違いがネックになる。歴史とは大きな流れだから、結果だけ覚えても意味がない。つまり一から覚え直しなのだ。クソッタレェ。
基本4教科以外、つまり音楽、道徳、保健体育、家庭科、そして図画工作。
これらはそこまで問題にはならない、だろう。はずだ。うん。
で、魔法である。
これだけは前の世界に存在しなかった教科だから六年生時点から開始することになったわけで、積み重ねがまったくない。授業では『決闘戦』をやっただけだし、結局どのような教科なのかはよくわかっていない。
魔法といっても、バトルでユニットやスケープが実体化するくらいだと思っていたが……。
教室の光景を思い出す。そもそも他の子たちの運命のカードとやらは、みんなデフォルメ状の謎生物になっていた。バトル外でも実体化していたのだ。イラストの姿とは違うが、それを言ったらリアだって本来のデザインより幼い姿をしている。
大体、バトルフィールドや
この世界のソーサリーカードは本当に魔法なのだ。
そんな魔法を扱う授業が、ただ『決闘戦』を行うだけということがあるだろうか。
理屈などの基本的なことは、多分前学年までにやっているはずだ。
次の授業までに学び直して──したことがないものを学び直すというのもおかしいが──おかなければ。
五年生以前の教科書があればいいのだが。
世界線が推移したというリアの言葉を信じるなら、俺がこの世界で生きてきた積み重ねがあるはずだ。現にところどころ、知らないはずのことに関する知識があったりするわけで。
時間がある時に記憶の精査もしておかないとな。
***
「そういえば、この世界のカードショップってどうなってるんだ?」
夕食と宿題を済ませ、風呂でくつろいでいると、ふと頭をよぎることがあった。
この世界の『sorcery-ソーサリー-』は魔法の媒介であるらしい。そんなものがカードショップで普通に売っているものだろうか。
あと、他のカードゲームの存在がどうなっているのかとても気になる。
そんな疑問を口に出すと、勢いのついたお湯が飛んできた。
「わっ、ぷ! 顔はやめようか!」
「へへー。ごめんごめん」
リアは手で作った水鉄砲を解くと、浴槽の淵に顎を乗せた。
「この世界のショップ、面白いことになってるよ。明後日休みだから行ってみよっか」
「デートだな。乗った」
頭からシャワーを浴びて泡を流し、俺もお湯に浸かる。我が家の浴槽は床に埋まっているタイプなので小学生の体でも入りやすい。
湯船の中に設けられた段差に腰掛けると、リアが脚の間に移動してきた。
「はぁ〜。やっぱりいいね、触れ合えるのって。優しい手で触られるのも良かったけど、相手に手が届くとこんなに心があったかくなるなんて、カードのままじゃわからなかった」
半身をこちらに向けて、俺の体にしなだれかかる。
「それはこっちのセリフだ。リアをこうして抱きしめられるなんて思ってなかった」
「抱き枕作ってたじゃん」
「それもう忘れてくれない? それに生身とは比べるべくもないから」
すべすべの背中を指でなぞる。
「ふふ、こしょばい」
俺の腕の中で悶えるリア。
不意に視線が合う。リアが目を閉じた。額にキスを落とす。位置的にしやすかっただけだ。驚いて目を開けるリア。少し不機嫌になり、体勢を変えて俺の腰にまたがる。俺がリアを見上げる形になった。リアの手が俺の顔をつかまえる。俺はリアの背を抱き寄せた。唇が重なる。
長湯しすぎて二人して湯当たりした。
***
「まったく、二人とも何をしてるんだか」
ルナエルが呆れながら、うちわで風を送ってくれる。
「リアちゃんばかりずるいなあ。アタシだって聖とお風呂入りたいのに」
「やーだー。ルナエルさんが一緒に入ったらせーくんがおっぱいに釘付けになっちゃう」
俺と同じくぐったりしながらも管を巻くリア。否定はできない。
ルナエルは腕で胸を持ち上げニヤリと笑う。
「胸以外も自信あるわよ」
「ぐぬぬ」
悔しげに歯噛みするリアだが、そもそも自分からダウンサイジングしてるんじゃん?
「聖が怪我とかしないようにそばで見ておく役割としてあるまじきことよ。罰として、今日はアタシが聖と一緒に寝ます」
「えー!」
「えーじゃない。というわけだから、今日は一緒に寝ましょう、聖」
俺の知らないところでどんどん話が進んでいく。満面の笑みで俺の頭を撫でるルナエル。
というかリア、そんな立ち位置だったのか。
結局この日はルナエルの抱き枕になった。
全身がとても柔らかかった。
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