第12話 天使に愛された男

 時間は飛んで放課後。

 俺はリアと共に校舎の屋上に出ていた。登校時と変わらないマーブリングしたみたいな空は、心なしかオレンジの比率が上がっているような気がする。


「昼休みにスマホを確認した。昔の日付だったよ。ここは本当に、俺が小学生だった頃の時間なんだな」


 フェンス越しに校庭を見下ろす。あっ悠里いた。ひとりぽつんと寂しく歩いている。桜以外に友達いないのかな? 今度ご飯に誘ってみよう。


「また別の女の子のこと考えてるねー?」


 じっとりと湿った声で耳元を濡らされた。


「まったく。まさか初日からクラスメイトに手を出すなんて。とんだ主人だよ」

「幸せは自分から掴みに行かないといつまでも手に入らないからな。あと、その言い方だとなんか結婚してるみたいだぞ」

「そのつもりだけど?」


 平然と返してきたリアに驚いて振り向く。すました様子で、少しだけ不満そうな顔をしていた。


「なあリア。お前は……君は、俺の知ってるエクセリアなんだよな?」

「そーだよ。せーくんが大大大好きなエクセリアだよ。

 証拠も言えるよ。出会ってからのことはなんでも覚えてる。

 せーくんが自分でイラストを描いて私の抱き枕カバータペストリーを作ったこととか、私のちょっとえっちな薄い本を描いてコミケに参加してたこととか知ってる」

「それは忘れていてほしいなあ?」


 生物本人バレとか死ぬほど気まずいんだが。


「この世界はなんなんだ? 君が俺をこの世界に連れてきたのか? どうして……」


 眩い金髪に夕陽を乱反射させ、リアは微笑む。


「私だけじゃないよ。みんなの総意。私たちのことが大好きで、私たちを世界の天辺へ連れて行ってくれたあなたへの、せめてもの恩返しを、ずっとしたかったの」


 せめてもの恩返し。変な話だ。

 今の俺を形作ったのは間違いなく天使たちで、リアだ。リアのおかげで俺は、自分に正直になることを覚えた。

 世界の天辺を獲ったのも、俺の愛しい天使たちは強いんだぞ、ここまでやれるんだぞと、みんなに示したかっただけだ。俺のエゴだ。恩を返されるような立場じゃない。


 リアは靴音を鳴らして俺との距離を詰める。


「この世界はね、『sorcery-ソーサリー-』の舞台と隣接した、私たちがいたところとはちょっとだけズレた世界パラレルワールド。ソーサリーカードで本当に魔法が使えて、譲れない主張がある時は『決闘戦』をする、そんな世界線」


 リアが俺の隣に並ぶ。肩が触れる距離。


「せーくんは私たちをとことん愛してくれた。私たちも愛を返したいってずっと思ってたけど、ただのカードにそんなことができる力はなかった。

 私たちはずっと、せーくんとお話ししたい、恩返しがしたいって思ってたの。

 そしたら世界が変わった。

 理由まではわからないけど、きっと神様が私たちの願いを見つけて、拾ってくれたんだと思う」


 世界が変わった、か。

 俺はここまでずっと、自分が少し違う世界に移動したんだと思っていた。しかしその言い方から察するに、正しくは俺が観測する世界が切り替わった、ということなのか。


 俺の正面に向き直り、リアは太陽のように笑う。


「私今、すっごい嬉しいんだよ。せーくんとこうして言葉を交わせて。


 ──これはチャンスなの。私たちは全員で、今までもらった愛をあなたに返す。返したい。


 言い出したのは私だけど、みんなも賛成してくれた。ステディエルちゃん、キリエルちゃん、シエルちゃん、バエルにドーレルちゃんだって。他のみんなも、全員。


 全部せーくんが愛してくれたからだよ。

 せーくん。きっとあなたのおかげで、私たちは今ここにいるんだよ。

 だから──」


 私たち、というのは、きっと俺も含まれているんだろう。


 リアは腕を胸の前でクロスさせ、コンクリートの床に膝をつく。


「だから、聖君・・。どうか、私たちと一緒にこの世界で生きてくれませんか?」


 それはほとんど告白のようなものだった。

 しかもそれを言ってくれたのは、ずっと大好きで、でも決して会えないと思っていた女の子なのだ。こんなことをされて、涙腺が緩まないやつはいない。


「リア……俺が……俺がそれを嫌と言うとでも思うのか? 当たり前だろう! 俺だってずっと会いたかった!」


 屋上の床に跪く小さな体を衝動のままに抱きしめる。リアもまた、俺の背中へ手を回した。


「せーくん、さっき言ったよね。幸せは自分で掴みに行かなきゃ手に入らないって。そこに私たちも加えて。私たちは──私たちの手でせーくんを幸せにしたい。……だめ?」


「駄目じゃない。当たり前だ。俺は君たちとこうして会えただけで幸せなんだぞ。たとえひとりぼっちになったとしても、この思い出だけで一生、生きていける」


「じゃあ一生幸せ更新だね。私たちは何があってもせーくんから離れない。せーくんを二度と・・・一人にしない。一生一緒だよ」


 そう言ってリアは抱擁を解き、俺の顔を手で挟む。近づいてくるリアの顔を、俺は黙って受け入れた。


  ***


「しかしこの世界でのせーくんのファーストキスを桜ちゃんに奪われるとはこのリハクの目をもってしても。やっぱり変にサプライズしようとせず、寝てる時にしとけばよかったー!」


 小さな体が脚の間にすっぽりと収まっている。とはいえ俺も今は小さいのでリアの後頭部が目の前だが。

 俺に背を預け、パタパタと脚を振るリア。


「桜か。やっぱり、これからは俺から近付くの控えた方がいいか? 顔と性格を抜きにしても、強いカードバトラーとは親交を保っておきたいと思うんだけど、リアが嫌なら──」


「んーん。私たちはせーくんに幸せになってほしいから、自分から掴みに行くのを邪魔するつもりはないよ。それとは別に、私たちの手で幸せになってもらうってだけ」


「それは……俺に都合が良すぎるだろ」


「じゃあ聞くけど、女の子にちょっかいかけるの、やめろって言ってやめれる?」


「…………」

 痛いところを突いてくれる。


「ほら。だから無理に我慢しようとしなくていいよー。というか今の言い方自体、向こうから近づいてくる分には拒絶しないってことでしょー?」


 肩越しに向けられる胡乱な目。全部見抜かれている。


「そもそも前にもあったでしょ? せーくんが私たちを好きすぎてフられたこと」


「あったなぁ……『あたしよりカードの女の子の方が大事なんでしょ』って言われて、言い返せなかったもんでそのまま物別れになったの」


「でしょ。せーくんの一番が私たちだってことを分かった上で、それでも好きになってくれる人にじゃないと、せーくんは渡せないよ」


 体を半分だけ振り返らせていたリアだったが、はたと気付く。


「よく考えたら今は私も体あるんだし、そういうこともできるんだよね」


「体が出来上がってない子供のうちは駄目だぞ。流石にそれくらいの分別はある」


「それ以外の分別が息してないけどね」


 中々言ってくれる。


「でもそれってつまり、大人になったらいいってことだよね。言質だよ! ……まあその時に違う女の子が何人いるのかわからないけど」


 笑えるほど信用がないな。なに笑てんねん。俺だわ。


「そうだ。大人といえば、朝、母さんと話してる時妙な違和感があったんだよ。もしかして本当は『母さん役』だったりする?」


「当たりー。ルナエルさんだよ。天使のみんなでこの世界での役割を決める時に、ならせーくんのママをやりたいって」


「……!」


 そうか。どおりで見覚えがあったすぐに思い出せなかったはずだ。


 ルナエル──『慈母の月天使ルナエル』。『煌めきの天使エクセリア』が収録されたパック、『神代戦線』の最高レア。

 味方への除去を引き寄せてライフを回復する効果と、ブロック時のライフ回復効果を持つユニットだ。


 髪の長い、母性溢れる女性型天使で、その重い召喚コストにふさわしい重量級のおっぱいによって多くのソーサリープレイヤーを骨抜きにした。

 ルナエルが前線から去って久しい今でも『ルナエル』と呟けば『ちちしりふともも』と返ってくるくらい目を惹く恵体で、パラレルイラストが公開された瞬間に赤ちゃん返りした人は多い。

 何がいいって形がいい。イラストだからと言ってしまえばそれまでだが、大きいのに崩れることなく丸々とした胸。前からの画角でも張りがあるのがわかるおしり。細いのに肉感的な脚。

 公式が企画した、好きなカードイラストランキングで、アニメ主人公のキーカードや格好いいドラゴンに混じってベスト3に食い込んだ快挙は今でも覚えている。

 ついでに公式のカード紹介ツイートの返信欄が「死ぬ時はでっかいおっぱいに埋もれて死にてえって!」で埋め尽くされたのも鮮明に覚えている。光景があまりに阿呆すぎたので。時期が悪かったよ時期が。そういえばあのアニメやってたのって、ちょうど今頃か。この世界に存在していればだけど。


「そうか……ルナエルか」


 ため息と共にその名を吐き出す。


 ルナエルは、俺がリアと出会って天使デッキを組むようになった頃、相手の攻撃を阻むタンクとして何度も俺を守ってくれたユニットだ。


 しかし元々の天使全体のカードパワーの低さに加え、実戦級カードのパワーインフレによるゲームスピードの加速、対処法の確立、さらには俺への顔メタなどによって環境についていけなくなり、デッキを組んで一年後にはリストから外さざるを得なくなった。


 エクセリアのように抱き枕カバーを作ろうとしたこともあったけど、俺ではどうしても公式絵の柔らかさと質感が再現できず。数えきれないほど描き直したものの、最後には締切が迫り、満足いかない出来のまま納品することになってしまった。


 カードは当然ファイルに保管したものの、一緒に戦えなくなったことがとても残念で、たまに仲間内の対戦で引っ張り出して遊んでいた。

 世界大会時のリストからも結局外している。

 だから俺は、ルナエルを世界に連れては行けなかった。


 だというのにルナエルは、リアたちと一緒に俺を幸せにしようとしてくれているのだという。

 さっき流し尽くしたと思っていた涙がまた込み上げてきて、俺はリアの首筋に顔を埋めた。

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