第11話 容姿は氷 中身は紫 頭の中はピンク色

 桜が強くなれるよう導こう。

 そう決めると、ふと頭が軽くなった気がした。


 『sorcery-ソーサリー-』のユニットがバトルで実際に現れるこの夢のような世界は俺の性に合っていたが、それでも、急に知らない世界に放り込まれて右も左も分からない状況は、結構心に来ていたらしい。


 差し当たってやるべきはこの世界が何かを知ることだが、それはshould。やらなければ不都合が出かねないから『やるべき』だ。

 人の精神を安定させるのはwant to。『やりたい』ことだ。桜を育てるという当面の目標ができたことで、少し心が落ち着いた。


 そうすると、色々見えてくるものがある。

 例えば、チャイムの向こうから何か聞こえるな、とか。


 スピーカーから鳴り響くウェストミンスターの鐘を押し除けるように段々と大きくなる音。


 足音だ。

 勝ち取りたいものもない無欲な馬鹿にはなれなさそうな荒々しい足音が近付いてくる。


 勢いよく音を立てて保健室の扉が叩き開けられ、サッシに跳ね返ってほぼ閉まる。勢いのままに室内へ飛び込もうとした何かが扉に激突して派手な音を立てた。


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」


 扉の向こうから悶絶する声が聞こえてくる。


 直後、跳ね返らない程度の勢いで再び扉が叩き開けられた。学校の備品だぞ。丁寧に扱え。

 飛び込んできたのは一人の少女だ。青みがかった銀髪。氷のような美貌に焦りとぶつけた跡を浮かべている。


「桜! 無事!?」


「悠里ちゃん!?」


 どうやら桜の知り合いらしい悠里という少女は、ベッドの上に座っている桜を見つけると、傍に立つ俺を人殺しの目つきで睨みつけてきた。


「桜になにしたの!?」

「なんで何かした前提なの?」

「桜の様子がおかしいからよ!」


 言いがかりじゃん?


「え!? わたし、なんかおかしいかな!?」

「あ、違うのよ!? 変って意味じゃないけど、でも……私、初めて見る。桜の、……そんな幸せそうな顔っ!」

「えええええええええ!?」


 サクラを通り越してサクランボくらい真っ赤になった頬を押さえる桜。


「そ、そんな顔、してっ、してないよ!?」

「してるのよ! なんか……っ、今までと違う! 登ったのね!? そいつと……大人の階段をっ!」

「そんなの登って……! ……なんか……」


 勢いのままに否定しようとするが、感触を思い出してしまったようだ。唇を押さえて視線を背ける。


「えっと」

「わぁあああああああああああああああああああああああああああああああああん! やっぱりそいつになにかされたんだぁあああああああああああああああああああああああああああああ!」


 ギャン泣きである。その上で『氷のような美貌』という第一印象がまったく崩れないのがすごい。

 そもそも『美貌』って小学生に使うような表現ではない。

 そのはずなのだが、この悠里という少女にはその言葉が一番しっくりきた。


「あー……、悠里ちゃん? そもそも君はなんでここに?」


 訊くと、悠里は即座に涙を引っ込め、再び俺をキッと睨みつけた。


「あんたが桜を誘拐するのが教室から見えたのよ! あと名前で呼ばないで!」

「君のこと知らないんだから仕方ないだろ? そんで人聞きが悪いな。授業中に桜が腰抜かしちゃったから保健室に運んだだけだよ」

「授業中に腰が抜けるようなことを!?」

「因果逆転してないかその言い方」


 まるで授業をサボって保健室で乳繰り合っていたみたいじゃないか。俺ら小学生ぞ。


 あ、いや。どうだろう。最近の小学生は進んでると聞く。一見そういうのに縁がなさそうな元気少女の桜だって、少女漫画の結構過激なやつ読んでるそうだし。


 いや待て、そもそも俺自身が小学生に戻っているわけで、俺の視点から見ると最近の小学生ではない……?

 というかそもそも今の時系列がわからないんだったわ。体が縮んだだけなのか、タイムスリップなのか、現時刻をもって確認できていない。状況に着いていくのに精一杯でスマホを見る暇すらなかった。

 教室に戻ったら確認しておこう。


 そんでもって目の前で妄想激しくするこの少女は結局どちら様?


「桜、こちらは?」

「はぇ!? してないよそんなこと! ほんとだよ!」

「桜、その話題一旦終わってる」

「へぁぇ?」


 大人の階段何某の話題に囚われた桜の魂を呼び戻す。くりくりした目できょとんと見返された。かわいい。

 しかしその反応が悠里の心を刺激した。


「やっぱりなにかしたんだ! わぁああああん!」

「蒸し返すな蒸し返すな。わかったから一度終わって、そろそろ名前くらい教えてくれ」

「ッ誰が──」

「あれ、会うの初めてだっけ? 高天原 悠里ちゃん。隣のクラスだから、合同授業とかで一緒だよ?」

「桜!?」


 友の唐突な裏切りに悠里が愕然と目を見張る。


「高『天』原さんね……。覚えた」

 同じ漢字を冠する者同士、仲良くなれそうだ。

「よろしくね、悠里ちゃん・・・・・

「だからなんで名前で呼ぶのよ! 苗字聞いたんだからそっちでいいでしょ!」

「せっかく知り合えたんだし、どうせなら親しくなりたいじゃん?」

「……桜、こいつはだめ。女を騙す悪い男よ。こんなやつフッて私と逃げましょう」


 美貌がスッと冷えた。さりげなく俺の正面から外れて桜の手をとる悠里。桜よりは危機管理意識あるな。


 そしてなるほど。さっきまでは怒りと焦りが前面に出過ぎててうまく読めなかったが、こうして冷静になってくれたならわかる。

 悠里が桜に抱く感情は、ただの友情を超えたものだ。

 態度でなんとなく察してたけど。


「あはは。悪い男って……まぁ、だよねぇ……」


 眉をハの字に寄せて苦笑する桜。俺も否定はできない。

 桜が俺をきちんと悪い男と認識した上で遠ざけないでいる、そのことに気付いた悠里は嫉妬に狂った目で三度みたび俺を睨みつけた。


「勝負よ…………」


 地獄の底から響くような声で口にしたのは宣戦布告。


「あんた……ッそういえば名前知らない、けど、桜を掛けて私と『決闘戦』たたかいなさい! 私が勝ったら2度と桜に近付かないで!」

「悠里ちゃん!?」


 名前も知らない相手に迂闊に勝負を吹っ掛けるんじゃないよ。


「まあいいけど」

「聖くんまで!?」

「っ名前呼び……! ……だ、大丈夫、大丈夫。私はこれくらいなんかでどどっ動揺したりなんてしない」


 明らかにしてるが。どっからどう見たって我が心は激動だが。

 ちょうど桜に名前を呼ばれたし、ここで自己紹介しておくか。


「というわけで、桜が呼んでくれた通り、俺は聖。天使 聖だ。今後ともよろしく」


 一見するとテンション上がってきてるように見える動きで文字通り動揺している悠里の手を取り、口づけを落とす。あ、固まった。


「っなななななななななななななななななななななななななななななななな!」


 俺の手を振り解き飛び退り、キスされた左手薬指を庇う悠里。危機意識は持っていても免疫はないらしい。


「っあんたは、敵! 女の敵! 絶対桜の目を覚まさせてやるんだから!」


 制服のスカートが音を立てて翻る。顕にされた白いふとももは、肉こそ薄いもののとても形がいい。そのふとももの中程にはデッキホルダーが着装されている。なにそれかっこいい。

 悠里はホルダーから引き抜いたデッキを俺に突きつける。その拍子にめくれたスカートがさらにずり上がり、中身の一端が垣間見えた。


「紫か」

「え?」


 思わず口走ってしまった言葉に、悠里がキョトンとして、それから表情を険しくした。


「そう。あなた、私のデッキを知ってるのね」

「ん?」


 一瞬なんのことかと思ったが、どうやら俺にデッキの種類を見抜かれたと考えているらしい。

 たまたまかもしれないけど、下着と同じ色のデッキなのか。まずいな、これはバトル中に考えてしまうぞ。なんという精神攻撃。


「でも関係ないわ。叩き潰してあげる。さあ、デッキを出しなさい!」


 悠里は今すぐにでも闘いたいようだ。

 連戦か。こちらはまあまあ消耗しているのだけど、挑まれたのなら受けるしかあるまい。こちらも抜かねば無作法というもの。


「桜と闘ったばっかりでちょっとしんどいけど──」

「桜とやった・・・!? やっぱり手を出してたんじゃない!」

「おいそこに反応するのはどうなんだよ」


 発想が小学生男子じゃん。小学生ではあるけども。


 あ、しかし待てよ?


「俺は別にやっても構わないんだけどさ」

「構うわよ! 別に誰に手を出そうが知ったことじゃないけど、桜は……桜にだけは、これ以上手を出させないんだから!」

「よしわかった一旦その発想から離れろこのムッツリ!」

「はぁーーーーーーーー!? 誰がムッツリよ!」

「お前だよお前! なんでもソッチに話繋げるやつがムッツリじゃなくてなんなんだよ!」

「私はただ、桜のことが心配なだけよ! 桜は純粋だから、あなたみたいなやつに騙されて最後までされちゃうかもって思うと、私心配で、夜も眠れなくてェ!」

「わたしそこまで子供じゃないよ!?」


 桜が愕然と叫ぶ。

 まあ確かに子供ではないかな。ほんのちょっぴり他より大人だ。


 さて、流石に話が進まないので、誤解されないような言葉を選んで喋ることにする。


「で。俺は『決闘戦』するのもやぶさかじゃないんだけどさ。そもそも勝手にやっていいものじゃないだろ? 大人がいないところで魔法を使うなって、先生も言ってるじゃないか」


 俺の言葉を、悠里は鼻で笑った。


「なによ、怖いの? 私たちもう六年生よ。『決闘戦』くらい先生がいなくたってできるわ」


 あー。そうだ。子供ってこういうところある。変に自信満々というか、大人の忠告を聞かないというか。よくないなぁそういうのは……。


「駄目だ。やるならちゃんと先生に見てもらう。それができないなら俺は戦わないし、お前の目の前で桜にイタズラする」

「それわたし、とばっちりだよねえ!?」


 桜を悠里から引き剥がして腰を捕まえる。桜のあごを掴んで顔を寄せると、悠里は「ああっ!?」絶望の声を上げた。


「っ、桜を盾にとるなんて卑怯よ!」

「なんとでも言え。もし万が一事故が起きたりしたら、お前の両親に顔向けできなくなるわ」


 その瞬間、ほんの一瞬だけ、悠里の顔に苛立ちがよぎった。


「……私の家のことなんてどうでもいいでしょう」


 本当に一瞬だったので読み取りきれなかったが、この反応からするとどうもご両親とはうまくいっていない、のか。家族の話は迂闊に引き合いに出さない方がよさそうだな。


「じゃあそっちはいいとしよう。だとしても嫌だね。お前の顔に傷でも付いたら、俺の夢見が悪くなる」

「……あなた何言ってるの?」


 ここにきて初めて、悠里の顔が困惑に歪んだ。


「お前の綺麗な顔に傷が付く可能性があるようなことをしたくないって言ってるんだよ」

「……言ってることと顔が一致していないような気がするんだけど。口説くにしてもそんな怖い顔じゃ」

「怒ってんだよ。平然と危険なことをしようとしてるお前に」

「…………」


 悠里は黙り込んだ。探るような目を俺に向けている。俺の真意がわからない。そういった顔だ。


 けどそんなもの、なんてことはない、とても単純なことだ。


 ひとつ。美少女が好きだから。


 エクセリアと出会ったあの日、高校生の子供らしい見栄を張る気も起きないほど、どうしようもなく彼女に惚れた。多分そこで性癖が捻じ曲がり、美少女に傾倒するようになったのだと記憶している。

 俺が好きなものに対して取り繕わなくなったのもこの頃だ。


 ふたつ。俺の精神は曲がりなりにも大人だから。


 大人は子供が独り立ちできるようになるまで守るものだ。

 危険なことをしようとしているなら、たとえ力尽くでも止めて叱るのが、大人の役目というやつだろう。


 ……なら桜に手を出したのは大人としてどうなんだって? 体は同世代だから問題のある付き合いじゃないよ。


「とにかく、少なくとも俺の目が届く範囲で危ない真似はさせない」

「……そうやって桜も堕としたわけ?」

「は? なに、ときめいちゃった?」

「そんなわけないでしょ! でもわかったわよ。先生がいるところでやってあげる。首を洗って待ってなさい!」


 悠里はそう言って颯爽と去っていった。『決闘戦』の日時も何も決めずに。これお流れにできるかもな。


「……俺たちも戻ろうか桜。これ着替えないと」

「そういえば体操服のまんまだね」


 俺たちは小さく笑い合った。

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