第3話 『sorcery-ソーサリー-』の世界
家を出てまず目に入ったのは『sorcery-ソーサリー-』の公式デッキケースだった。
たまたま我が家の玄関前を通りかかったスーツの男性。足早に歩き去るその左腰に、銃のホルスターのような形でデッキケースが装着れている。
デッキケースという言い方は正確ではないか。
記憶にあるそれはプラスチック製だったけど、今見たものは普段使いに耐える素材と構造で作られた、なんと言うべきか……ホルダー?
そう、デッキホルダーとでも言うべきものだ。
「走るよせーくん! 遅れたら学校入れなくなっちゃう!」
リアが俺の手を掴んで走り出す。
まあまあの速度で流れていく視界に映る、長年見慣れたデザインロゴ。
町の至る所に『sorcery-ソーサリー-』があった。
すれ違う人は皆、腰にデッキをつけている。
くたびれたスーツ姿で出勤もせずに公園のブランコに座る男性のスマホから聞こえてくる萌え声は好きなカードイラスト発表ドラゴンしているし、商店街のポスターに写るアイドルはその手に『sorcery-ソーサリー-』のカードを持っている。
確かに『sorcery-ソーサリー-』は広く普及したカードゲームだけど、こんな社会現象のような規模じゃなかったはずだ。
名前を見るのも、精々カードショップのポスターが関の山。
というか、俺が覚えている世界では、どのタイトルのTCGもそんなものだった。
そういえば先程から見かけるタイトルは『sorcery-ソーサリー-』ばかりだ。他のカードゲームはこの勢いに押されて脇に追いやられてしまったのだろうか。
町並みには覚えがある。俺が生まれて育った町だ。しかし、そのいたるところにカードの影がある。
見慣れた景色に対して感じる強烈な未視感。デジャヴの反対、ジャメヴ。
とか言ってたら段々辺りの景色が本当に見覚えなくなってきていた。
そういえば通っている学校を知らない。
朝食の席で学校を意識してからこちら、ちゃんと登校しなければという強迫観念にも近い思考が頭にこびりついているのだが、まあこれ自体は肉体の方の価値観だろう、普通の小学生なら登校するのは当然なのでそっちの方はさておくとして、現在この肉体を操る意識たる俺がかつて通っていた小学校は、私服登校だったはずなのだ。
視線を落とす。俺も、俺の手を引いて走るリアも、正直少々機能性に疑問が残るやたら視認性の良い──婉曲な表現をするなら特徴的なデザインの──一応ブレザーに分類できると言えなくもなくもないかもしれない制服に身を包んでいる。
近所にこんな制服の小学校があったような記憶はない。すでに記憶にある通学路からは外れている。
というか、なんか山の方に向かってないか?
「リア! 方向間違えてない!? 学校ってこっちだったっけ!?」
「そうだよ! もうちょっとで入り口!」
合っているらしい。
俺の記憶だと今向かっている山は私有地だったけど、この世界では違うようだ。
ん? 待って今なんて言った?
入り口?
「あ、見えたよー! って閉じかかってる!」
リアの声かけとほぼ同時に、俺の目もそれをとらえた。
……なんか、山の麓にポツンと、ブラックホールみたいな黒い渦がある。
え、何アレ?
リアが加速する。まさかあの渦に飛び込むのか!?
結論から言うとそのまさかだった。
渦に飛び込んだ瞬間、辺りの景色がぐるりと入れ替わる。
目の前に現れたのは4階建ての白い校舎。それもひとつではない。
ある程度スケールのまとまった建物群が大きく分けて三つ。小中高一貫なのだろうか。向こうに俺たちとよく似た、ちょっと大人びたデザインの制服を着た集団が見える。
空は青い。だけど水面に張った油の膜のような、あるいは昼と夕方が混じり合ったような奇妙な色をしていた。なんとなくウルトラシリーズのアイキャッチを彷彿とさせる。
なんだここは。
「セーフ!」
「ほぼアウトだ。もう予鈴は鳴ったぞ。早く教室に入れ」
「あ、先生。おはようございます!」
「おはようございます」
リアの挨拶に追従して勝手に口が動いた。そろそろ慣れてきたぞ。これは習慣による肉体の反射だ。
教師のブラック業務ランキング堂々の一位を誇る朝の挨拶を行なっていたと思しきジャージ姿の女教師は、閉門ギリギリに滑り込んできた俺たちに呆れたため息をついた。
「はいおはよう。仲がいいのは結構だが、次からはもう少し早く来るように」
手を繋ぐ俺たちへ一瞬向けられた苛立ちと羨望は気のせいだと思うことにする。今の俺は小学6年生なので、表情から『出会いが欲しい』という切なる願いを読み取ったところでどうにもできないのだ。
「はーい。行こっ、せーくん」
「ん、ああ……うん」
せめて学校名くらいは確認したかったのだけど、またリアに手を引かれ始めたのでおとなしく着いていく。
学校なのは確かなようだが。
「おはよーっ!」
「ッ!?」
教室に踏み入れた途端、パレットに好き放題絵の具をぶちまけたような色彩の本流が視覚を襲った。
髪だ。現在半分ほど着席しているクラスメイトたちの髪色は、目に眩しいほど色とりどりの総天然色だった。
それだけじゃない。彼ら彼女らの肩の近くには、掌に乗るくらいのなんか小さいやつが浮いている。
「ユニットだ……」
見間違えるはずがない。TCG『sorcery-ソーサリー-』において戦闘の要となるカードタイプ。それらに描かれたキャラクター達。
リアで一度通った道ということもあり、ややデフォルメされた姿のそれらを、俺の脳はすんなりと受け入れた。
考えなければいけないことが多すぎてオーバーヒートしたともいう。
なので俺は考えるのをやめた。世界チャンピオンと小学生の中間の生命体となり、永遠にこの世界を彷徨うのだ。
「……」
それはそれで悪くない。
俺は『sorcery-ソーサリー-』が大好きだ。カードゲームが広く受け入れられていると思わしきこの世界は過ごしやすいと思う。
何よりエクセリアがいる。ずっとカード越しに眺めるだけだった少女と直に触れ合えるなんて夢みたいだ。
そう、夢だ。今日目覚めてから今この瞬間まで、ずっと現実感がない夢のような体験をしている。
現実の俺が死の間際に見ている幻覚だとしても構わない。これが泡沫の夢だとしても、エクセリアと触れ合えたという事実があれば俺は満足して逝ける。
だけどもし、この世界が死に行く脳の見せる都合のいい幻覚などではないとしたら。
だとしたら、この世界はなんなんだ。俺はどうしてここにいるんだ。
今はまだわからないことだらけだ。
だけど……この世界で生きていくことになるのなら、こんなに嬉しいことはない。
カードゲーマーならわかってくれるよね?
***
小学校の教室といえば机がマス目みたいに並んでいるものを想像してしまうが、この教室の中はどちらかといえば大学の講堂のような造りだ。席が階段状に並んでいる。廊下から覗き見た他のクラスの教室も同様みたいだ。
俺とリアは適当に空いている席に座る。程なくして担任と思われる人物が教室に入ってきた。
「おはようございます。皆さん席に着いてください。朝のホームルームを始めますよ」
さすがに目を疑った。
ゴシックロリータを身に纏った背の高い美人だ。
驚いたのは服装にではない。いや服装もぶっ飛んでいるけど最近は働き方改革もあるし教師という職業も柔軟になったんだなぁとは思ったがそこではなく。
亜麻色の髪にはヘッドドレス。首にはフリルチョーカー。まあまあ気温が高いのに袖もスカートも長い。似合っているかいないかで言えばもうめちゃくちゃ似合っているのだが、俺が驚いたのはそこではない。
カードゲーマーとしてそこそこ鍛えた観察眼がこう言っている。
あれは男性だ。
理屈で出した結論が信じられない。
だが男だ。
何度見ても結論は変わらない。
横髪で顔の輪郭を、チョーカーで喉元を、長袖とロングスカートで手首足首を隠し、色の視覚効果で横幅を誤魔化しているけど、骨格が男のそれだ。
ッスゥ────……。
「ねえ、先生って女の人だよね」
「どうしたの? おとちゃんが男の人だって言って男子から袋叩きにされたの天使くんじゃん」
近くに座っていたピンク髪の女の子に尋ねるとそんな答えが返ってきた。
なにしてんだ俺。いやたしかに小学生の頃ならそういう迂闊さはあったかもしれない。
「自分の目が信じられなくなってきてさ……」
「わかる。すごいよね。知ってても女の人にしか見えないもん」
男だということは知られているらしい。
教育機関はああいうリベラルさは未来永劫地獄の業火に焼かれても頑なに受け入れないものだと思っていたけど、……この世界すごいなぁ……。
半分は本心もあったが、もう半分は現実逃避の思考だった。
黒板横に貼ってある時間割をできるだけ視界から外す。しかしもう見てしまった以上、忘れることは不可能だった。
今日の三限目の場所に『魔法』って書いてある。
***
そういえば授業の進行度がわからないなと気付いたものの、流石に初等教育の内容で躓くようなことはなかった。
問題があるとすればやはり三限目だ。
「次は魔法実習なので、着替えてグラウンドに集合ですよ」
おとちゃん先生がそう言った。
魔法。魔法だ。言葉にされると重みが違う。
さて困った。当然ながらそんなものを習得した覚えはない。
体が覚えていることに賭けるか……?
更衣室に移動しようとする女子に爆速で制服を脱ぎ体を見せつける男子生徒の阿呆な所行を横目で見つつ考えていると、リアに耳打ちされた。
「『sorcery-ソーサリー-』のことだよ」
「え?」
驚いて顔を上げると『してやったり』と笑うリアと目が合った。
「それはどういう──」
「ちゃんとデッキ持ってきてね。それと、早く着替えないと遅れるよー?」
それだけ言って、リアは跳ねるように教室を出ていった。
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