「3-13」無能勇者、祈る

 霧が晴れて行く森を駈ける。どれだけ速く走ろうが、視界を遮る霧が消えようが、俺の心を蝕む不安を払拭することは出来ない。それだけイグニスさんの体は毒に侵されており、今も命が削られ続けているのである。


 俺にできることは、とにかく医者に診せる事だけだった。一刻も早くこの森を抜け、腕のいい解読魔法が使える人間の元へ。――ただ黙って祈っているより、行動を起こす事しか、俺にできる最善は存在しなかった。


 これも、俺を無能たらしめる怠惰への罰なのだろうか? マーリンさんがいるから魔法を学んでは来なかった、ただ鍛錬を、考えなくてもできるような見せかけの努力しかしてこなかったのだ。


 俺は今まで天罰と云う概念は、怠った本人に対して起こるモノだと思っていた。だが怠惰とは、無能とは、本人のみに及ぶ災いではなかった。現に罰を受けているのは俺ではなく、何の罪も無いイグニスさんだ。


(クソッタレ……!)


 努力を怠った事への悔やみが、今になって襲い掛かる。俺がもしも数多の魔法を使えていたら、この人は生死を彷徨わなくても済んだのだろう。歯軋りはいつも過去の為、勇者を継ぐと誓ったあの日から、俺が成せたことは一体どれだけ存在してくれているのだろうか? ――後ろばかりを見ていた俺は、物理的にも後ろを向いてしまった。そこには、消え去ったはずの霧が立ち込めていた。


(いや違う、あれは……生きている! さっきの蜘蛛か!)


 立ち止まることは出来ない、ただでさえ一刻を争う状況なのに、迎撃の為に時間を割いていられない! 改めて俺は決意する、例え自分の背中があの蜘蛛に滅茶苦茶にされようと、どんなに肉や骨が抉り飛ばされようと……俺は走るのを止めない、必ず彼女を連れて行く!


「―――ォォォォオオォ!!!」


 言葉にならない狂声と同時に、辺り一帯が霧に包まれる。――ただの霧ではなく、紫色の霧……毒霧だ!


「――ッ!」


 ポケットの中から出てきたのは、対毒用のマスクだった。俺はそれをイグニスさんに被らせ、再び走り出す。走り出そうとした……しかし俺は、余りにも霧を吸い過ぎた。


「がはっ……があああっ……」


 吸い込んだ毒霧はそのまま肺に流れ込み、俺の体を内側から崩し始めた。血反吐を吐き、足もガタガタと震え始める……走らなければ、走るために、霧を払わなければ……。しかし今度は頭まで痺れて来た、練り上げようとした怒りもすぐに霧散し、徐々に体の自由が奪われていく。


(イグニス……さん)


 手を伸ばす。せめて、魔法で何処か安全な場所に……だが、魔力を練る事もできない。おまけに霧の向こうには、殺意に満ちた蜘蛛の顔面がある。――万事休すか、俺はそっと瞼を閉じ……諦める一歩手前で、祈った。


『根性あるなぁ、お前さん。――どれ、ちょっくら爺が節介でも焼いてやるかね』


 祈りが聞き届けられたのかと錯覚した。その直後、森一帯を包む霧全てが、吹き荒れる爆風によって薙ぎ払われたのだ。

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