「2−22」儚げな少女、己の無力を嘆く

 イグニスの心の中には、幼い頃から燻る物があった。自分の義父への怒り、哀しみ……そして、疑問を織り交ぜた炎であった。


「答えなさい、英雄ベルグエル」


 どんな答えが返ってくるのか、どんな言い訳を晒すのか。今まで英雄「らしく」大層な理由をぶら下げておいて、挙句の果てに「自分の娘の為」なんていう理由を使ってくるのか? そうだとしたら、この男は私に嘘をついていたことになる。次の時代の英雄、いずれ現れるであろう巨悪に対抗するための存在になるべく、私は育てられたはずなのに。


「何故、勇者になれない出来損ないと断定した私を。……油断して魔王軍に捕まっていた私を助けるために、ここまでの暴挙を働いたのですか?」

「……娘だからだ」


 燻った炎に油が注がれていく。なんだ、それは。そんな訳が無い、この人は私をただの兵器としか見ていない……だから、そんな理由で助ける訳が無い。


「貴方が幼い私を拾ったのは、戦士としての才能が有ったから、貴方の目の前でドラゴンを殺して見せたから……そうでしょう? そうじゃなければ、あんなに汚くて、顔に火傷を負った醜い子供を拾う訳が無い」


 驚くガド殿の誤解を解くために、私は認識阻害の魔法を解除した。左側頭部に残るこの大火傷は、私を忌み子だと恐れた親にやられた物だった。顔だけじゃない、腕や、足、腹、背中……体のありとあらゆる個所が、虫食いのように焼け爛れているのだ。


「もう一度問います、英雄。何故、価値のない私を再び助け――」

「黙れ」


 太い声に、懐かしい恐怖を感じた。体の芯から隅々までが委縮した……暴力を振るわれたことは無かったが、代わりに厳しい鍛錬と、この男が全盛期だった頃の覇気を思い出し、前進が委縮した。――だが、今回の「これ」には、怒りの他に……もっと別の感情が含まれている気がした。


「価値が無い? 醜い? 何がだ、言ってみろ」

「っ……見ればわかるでしょう、っていうか見て来たでしょう? 魔法の質も、筋力も、女である私では貴方には到底及ばなかった。見た目だって、魔法で誤魔化さなきゃ火傷まみれの汚い女なんですよ、私は……!」


 わざわざ言わせないでほしかった、という怒りで少しは気が楽になった。この男はデリカシーも無いし、やめろと言っても一緒の風呂に入って来た。私の火傷については、何も言わなかったものの、一番近くでその醜さを知っているはずだ。――でも。


「傷が、醜さ? 馬鹿言うんじゃねぇ、傷は戦士にとっての勲章だ」


 ……?


「お前は何時から自分が女だと思ってた? お前みたいな青二才なんて、醜いと思うどころかだれも見向きしねぇよ。ってかこの際だから言うが、周りはお前の容姿なんてどうでもいい。その中でも俺は、特にどうでもいい」


 ボタボタと垂れる血、零れ出る命。そう言えば、この男はガド殿から一撃を受けている……早く治療しなければ、命が!


「話を最後まで聞け」

「だって、このままじゃ」


 今までになく、覇気が無かった。それが凄く不安で、でもどうすればいいのか分からなかった。私の回復魔法なんかじゃ直しきれない事は明白だ、でも……でも……!


「――聞け、イグニス」


 変に、笑っていた。


「俺は、ガキが嫌いだ。泣くし、意味分かんねぇし、ねだるし、服やメシやらで金もかかる……お前の言う通り、俺がお前を拾ったのは、お前を勇者に育て上げるためだった。――最初はな」


 口の両端が、口角が、きつく鋭かった目元がたるんでいく……この表情を、私は見た事が無い、いいや知らない、でも……ああ、そうかこれは、笑ってくれているのか?


「でもなぁ、俺も人の子なんだよな。お前が必殺技を考えたから見てくれーとか、普通の女のガキの服を、俺に隠れて見てたりとか……そういうの見てたら、なんか違う気がしちまってな」

「……私を、邪竜アルトとの戦いに連れて行ってくれなかったのは?」

「足手纏いが三割、絶対死んで欲しくなかったのが七割だな。――最初の質問の答えだが、少し付け加えて答えさせてもらう」


 言葉が出なかった。何も、何も言う気力が無い。やめてよ、そんな顔……それじゃあ、それじゃあ、貴方が私を助けたのは、本当に、そうなのか。


「――イグニス。お前が、俺に安らぎをくれる愛娘だったからだよ」


 大きな、大きな血まみれの掌が、私の頭をさらりと撫でていく。荒々しくも無く、雑ではあるが……とても、とても優しくて安心できる手だった。


「結局、そこの勇者兄ちゃんが助けてくれたんだな。……何にもできなかったなぁ、俺は」

「っ……そんなこと、無い! 今まで育ててくれてた、傍にいてくれてた! 五年ぐらい一緒じゃなかったけど……これから傍にいてくれればそれでいいよ! ねぇ聞いてる!? やめてよ、ねぇ!」


 焦る、とても焦る。血が止まらない、魔法をかける、かけ続ける。しかし一瞬で魔力が切れる……先刻の竜共との戦いでほとんど消耗していた。


「嫌だよ……!」

「……頭、はじめて撫でたなぁ……」


 そっと瞼を閉じる父親、無力感と絶望が襲い掛かる。やめてくれ、ようやく会えたのに、ようやくわかり合えたのに! いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ……。


「……そこを、おどきください」


 まだ暖かい父親の胸元に手を置いたのは、ルファースとか言う妖精の女だった。

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