「2-16」聖剣、空断つ交叉

 俺にとっての酒に、種類もクソも無い。ついでに言えば味も、質も、美味い不味いの概念すら存在しない。戦いに疲れ果てた自分にとってのそれは、一時の忘却と現実逃避に必要な代物に過ぎない。


「とまぁ、それは神サマの為の酒であったとしても例外じゃあねぇんだ。そもそも俺みたいな馬鹿野郎を物で手なずけようとしてる時点でおかしい。――その上で聞く、何が望みだ?」


 目の前にいる旅人らしき男、その銀髪が薄く揺れ、隙間から赤い瞳が覗いた。気持ちの悪いぐらい白い肌と相まって、血のような赤さが強調されている。

 男は銀の髭が生えた顎を、岩のような手でさすって見せた。肉体は全て適度に、されど極限まで鍛えられていた。その練度、無意識に出されている殺意の質から、そんじょそこらの冒険者程度では済まされないような実力者だと分かった。


「何が、と言われても」


 声は太く、掠れている。覇気がないのか、感情があまり表に出ないのか、それとも話す気がそもそもないからこうなっているのか……いずれにしても、ここまで手汗を握り、戦いを渇望するのは久しぶりである。


「『この妖精国ブルテンを解放し、ケダモノ共を連れて今すぐに立ち去れ』――。そう言っても、あんた言うこと聞いてくれないだろ」

「そりゃあな、こっちにも都合と理由がある。それとあれだな、そいつぁ上等な酒瓶一本で頼み込むような交渉内容じゃあねぇ。もっとまともで、デカいエサで釣るんだな」

「……美味いぞ?」

「美味い不味いは関係ねぇ、って言ったろ?」


 大変残念そうな表情で、男は差し出した酒を引っ込め、懐にしまい込んだ。座ったまま頬杖をつき、俺から目を逸らしたまま遠くを見ている。

 さて、どうした物か。「それ」が来るかもしれないと思いながら、俺はかれこれ数時間は『卵』を割るか割らないかで右往左往していた。もうここで叩き割っても構わないのだが、それはそれでこの男が何をするか分からない……。いや困った。王女サマも先ほど気絶させてしまった。


「これは好奇心なんだがな」雑談相手として、俺はこの男と喋る事にした。


「お前はどうしてこの国を救いたい? どうして俺と話をしようと思った。――お前の名前は、何だ?」

「まず一つ、単純な気まぐれ。次に一つ、話すだけで済むんだったらそれに越したことは無いだろ? あと最後の質問なんだが――」


 頬杖を解き、男は俺を真っすぐに見つめた。赤い目が、黒く汚れていく。


「……その様子だと、聞かない方がよさそうだな」

「理解が早くて助かるよベルグエル、流石は邪竜殺しの大英雄だ」


 そう言って、男は立ち上がった。どうやら用が済んだらしく、すぐにでもここから立ち去るようだ。――予想通り、俺の蛮行を止めるために何かするという素振りは、少しも無かった。


「あーでも、失礼だよな」


 ふと思い出したように、それはもう、忘れ物に気付いたかのように。


「何がだ?」俺は聞く。

「俺が名前知ってるのに、あんたが俺の名前知らないことが、だよ」


 再び頬杖をつき、「どうしようかなぁ」とつぶやきながらそこら辺をウロウロと歩く。空を見上げ、地面を見て、それからすぐに顔を上げた。


「昔使ってた方の名前、教えてやるよ」


 笑いながら、けれども上がっていない口の両端。歪な表情のまま、男は自らをこう名乗った。


「俺は、アルカ。人類を裏切ってるお前程じゃあないが……かつて全世界から恨まれるレベルのバッシングを受けた、クソッタレの大戦犯さ」


 言いたいことも、何を為してきたのかも大体察することができた。しかしそれを聞くことも、半端に理解することも許されない。英雄とは、何かを為した存在とは、その当人の自己満足の中のみで形成されるべき真実を持たねばならない。


「……あんたはまだ、戻れるよ」


 その台詞に拳を叩き込んでやろうと思ったが、既にそいつはその場にいなかった。怒りがこみ上げ、しかしそれが事実だった……でも、今更どうすればいいのだ。

 と、見上げた空が、いつの間にか青く元通りになっている事に気付いた。美しい、俺が愛した妖精の国……それを祝福する、何処までも広がる空の海である。


 そして、空を切り開いた若造が、目の前にいる。


「……聖剣に認められても、俺ぁ容赦しねぇぞ? ――何しに来た、言え」


 無能な少年は、握りしめていた聖剣を構えた。熱に苦しむ様子も、自らの迷いに苦悩する様子も無い……あれが見据えているのは、他の何者でもない、あいつ自身が殺すべき俺の姿だった。


「このブルテンを、救いに来た!」

「――やれるもんならやってみろよ、勇者さんよぉおおォッ!!」


 聖剣を抜き放ち、目の前の若造も剣を振るう。光と光は拮抗していたが……若干あちらの方が上、しかし、俺はそれを筋力で圧し潰す。――金属音が鋭く響き、互いに再び距離を取った。


 次の瞬間、交差した聖剣……その真上の空に浮かぶ雲が、一瞬にして消し飛んだのを、血に飢えたドラゴンも、それに怯える妖精たちも見ていた。

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