5.始まりの物語

 彼女の視線がしめす先、何もなかったはずのその空間に点々と潅木かんぼくの茂る広大な草原が広がっていた。

 そこに風に吹かれ、まるで海原のようにうねる草むらを分け入って進む一人の少年の姿。



 村のちかくには昔から太陽の塔とよばれる魔女の住む塔がありました。

 ニムは影をかえしてもらうため勇気をだして塔にむかいます。



「あれは、子供の頃の俺――じゃないのか!?」


 ニムは驚きのあまりそう叫んで上体をおこし彼女の顔を見た。

 彼女は何も言わず、ただ微笑みかえす。



「こんにちはー」


 おそるおそる小声であいさつをしながら、ニムは入り口の扉をたたきます。するとギーッと音をたてて扉が開きました。


「イイッ……イラッシャイマセ」


 それはブリキで出来た四本腕のロボットでした。背丈はニムの三倍はあり、カタカタと音を立てつづける下あごが少し不気味です。


「あのー魔女さんに影をかえしてもらいに……」



「なんてこった。塔に……俺はこの塔に来ていたんだ」


 ブリキのロボットにも見覚えがあった。

 卵の部屋の入り口でバラバラになっていた、あの鎧飾りに違いないとニムは確信した。

 そして過去の自分も影を取りかえしに来ている。


「前にも一度同じことをしたじゃない」


 金髪の少女の言葉が頭の中で繰りかえし木霊こだまする。



「メディあなた、またやったのね?」


 すると、ボワンッと音がして魔女が白いけむりに包まれていなくなり、かわりに小さくてかわいらしい女の子があらわれました。



 それはまさしくあの少女だった。

 奇妙なことにまったく年をとっていない。

 自分の容姿から察するに、二十年以上。

 それだけの歳月をすごしてなお、同じ姿を保っていられる。


 驚きを覚えると共に、それは逆に時の監獄かんごくにとらわれているかのようにも思えた。

 自分一人が時の流れから置き去りにされる。

 考えてみればそんな残酷なことがあるだろうか。


「それが魔女の魔女たる所以ゆえんというわけか……」


 ニムの心にあの少女への憐憫れんびんの情が芽生えはじめていた。



「だって、誰も塔に遊びにきてくれないんだもん。お母さんがいなくなって、ずっと一人きりで……さみしくって……」



「母親……」


 ニムはあらためて隣にすわる女性を見つめた。

 母親にしては若すぎる。

 それが素直な感想であったが相手は魔女の母親だ。


 一般常識が通用しない世界に自分が身を置いていることは、いまだに理解しがたくはあったが、一方でそれは紛れもない事実だった。

 それに彼女のあの子を見つめる眼差し、そして想いは、まさに母親のそれといって然るべきものだ。



 メディはそれからも毎日いたずらばかりで、ショコラにしかられっぱなし。

 でもニムが遊びにくる今日は、なんだかうれしそうです。



 映像が不意に途切れた。

 映像の消えた空間には少しの間、僅かな歪みが残っていた。それはゆっくりと時間をかけて消えていき、やがて何もない真っ暗な空間に戻っていく。


「あの子にとって、これは幸せの記憶なの」


 彼女はそう言って目を伏せた。

 再び一筋の涙が彼女の頬をこぼれ落ち、赤いドレスに点々と小さな染みを作る。


「あの少女が言っていたこと、それと子供たちの影をとった理由がやっとわかったよ」


 ニムが彼女の肩をゆっくりと抱きよせる。


「君はあの子の母親なのか?」


 その問いを彼女は首をふって否定した。


「あの子は私。だからあの子の苦しみは私の苦しみなの。なのに私はすべてをあの子一人に押しつけてしまった……」


 彼女は濡れた声で懺悔ざんげの言葉をつぶやく。

 そしてゆっくりと、しかし明確な意思を持ってニムの腕を払いのけると、無理矢理に作った笑顔でこういって顔の横で人差し指を一本立てる。


「あなたにはもう一つ理解してもらわなくちゃ」


 彼女はニムの視線を誘導するように再び眼前の空間を指差した。

 ニムがそちらに顔をむけると、何もなかったはずの空間に再び小さな歪みが生じはじめていた。

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