2.父の想い、子の想い

 塔までの道のりはそれほど険しいものではなく、その日の夕刻には塔が一行の視界にとらえられる所までせまってきていた。


「今日はここで野宿にしよう」


 ニムは翌日の調査に備えて早めに休むことを決め、野営の準備をはじめた。

 ニムを手伝おうともせず、草むらに腰をおろして横になるティルパ。


「まだ日が落ちるまでは時間がある。もう少し進もう」


 彼とは反対に、このまま塔に行こうとニムを説得し始めるマッコイ。


「急ぐ気持ちはわかるが塔は逃げやしないし、夜は何かと危険だ」


 ニムはマッコイの肩に手をおき、なだめる。

 マッコイはなおも説得をこころみるが、ニムの気持ちが変わらないことを悟ると彼の手をつかんでゆっくりと肩から払いのけた。


「あんたも、俺のことを……」そう言いかけてやめ、そのまま視線をあげることなく薪をひろいに森へ入っていく。


 ニムはその様子に軽く首を振りながら寝転んでいるティルパの脇をつま先でこづき、同行するように顎で指示する。


「まったく何様だよ」


 小声で愚痴りながら、ティルパもマッコイの後をおって森の中に姿をけした。

 その夜は三人とも持参したパンと干し肉だけの簡単な食事をすませ、焚き火を囲んで早々に眠りにつく。

 幸い、このあたりに狼はいない。それでも万一の場合にそなえ、火の番を交代しながら仮眠をとることにした。


 最初はティルパの番だった。

 しかし、夜の森のざわめきに恐れをなして数時間と持たずニムをおこした。

 ニムはあきれながらも交代に応じ、そのまま長い夜をまんじりともせずにすごす。

 日が昇る少し前にニムはマッコイに交代し暫しの仮眠をとった。


 そして翌日の朝、目覚めてすぐにニムは異変に気づいた。

 マッコイの姿が無い。

 毛布に包まったまま、膝をかかえて眠っていたティルパをたたき起こして問い詰めると、彼は寝ぼけ眼でこういった。


「朝方、一人でどこかへ行ったよ……。小便かと思ったから気にもとめねぇさ」


 改めて荷物をチェックすると水筒と彼の分の食料がなくなっていた。


「用を足すのに食料を持っていく馬鹿はいない」


 ニムは、はき捨てるように言ってティルパを非難する。


「なんだよ! 俺が悪いってのかよ!」


 その発言にティルパが食ってかかったがニムは相手にしない。

 焚き火の始末をし、荷物をすばやくまとめると塔にむかって歩き始めた。

 ずっとふてくされていたティルパも、一人残されてはかなわないと後を追う。


 ニムはやや強行にその歩みを進めた。

 持参したナタで行く手をさえぎる草や木の枝を排除しながら、ほぼ一直線に塔を目指す。


「俺が甘かった。彼の気持ちをもう少し考えてやるべきだった」


 ニムは結婚していなかったし、もちろん子供もいなかった。

 それでも子を思う親の気持ちを少しは理解していたつもりだったが、例の噂話の件もある。彼がここまで追い詰められていたとは想像だにできなかった。


「頼む、早まらないでくれ」ニムはじっと、塔をにらみつけた。




「なんだこれは……」


 ニム達が塔を目指して出発した丁度その頃、マッコイはすでに塔の上部にいた。

 彼はニムが眠りについたのを確認すると、最低限の水と食料だけを持って塔へむかう。その際一瞬、ティルパと目があった気がしたが、彼はすぐに目をとじて寝息を立てはじめたので気にはしなかった。


 彼の焦りはピークに達していた。

 娘のことが気が気ではない。

 他人がなんと言おうとそれが今の自分の素直な気持ちだ。


「子供のいない二人にはわかるまい」


 彼はことの重大さを理解しようとしない二人とこれ以上、無為むいに時間をすごすつもりはなかった。

 

 数刻とかからず塔に到着すると、ためらうことなく塔の内部へ足を踏み入れる。

 塔の中はまるで塔全体が朽ちているかのようにこけむしていた。

 薄暗く、見通しが悪い。


 静まりかえっていて魔女どころか人の気配すらしなかった。長い間、誰一人立ち入ってはいない、それは明白に思えた。

 火打石で松明たいまつに明かりを灯すと、頼りない炎が手元でゆらゆらとゆれはじめる。


 彼は松明の煙を頼りに上階へと抜ける空気の流れを確認する。明かりを頼りに階段を見つけると上を目指して進みはじめた。

 塔の内部は今にも崩れそうな階段が複雑に入り組み、それはまるで迷路のようだった。

 しかし、どの階層の部屋にもこれといった手がかりはなく、時間ばかりがすぎていく。


 マッコイはしだいに焦りを感じはじめていた。


「やはり、魔女などと……」


 彼が驚愕きょうがくの言葉をもらしたのは、その矢先だった。

 その階には中から明かりのもれる分厚いあわせ扉があった。内部への侵入をはばむかのように甲冑かっちゅうを着たブリキの像が、その扉の前に座りこんでいる。


 松明で照らすと、四本の腕と前後に二つの顔を持つ不気味な像であることがわかった。

 この扉に触れるな、まるでこの部屋を守護するかのような強い意思が、その動かない像からは感じとれる。

 彼はその威圧感にしばし躊躇ちゅうちょした。

 心臓の鼓動が不快に高鳴っていく。


 そして、意を決してゆっくりと像に手を伸ばしはじめたそのとき、マッコイは思いもよらない声を聞いた。

 子供の声。

 それもたくさんの子供達がはしゃぐ笑い声、そして話し声を聞いたのだ。

 それは部屋の中からだった。


「アンヌ!」


 彼はその中に娘の声を聞いた気がした。いや、間違いなく聞いたのだ。

 愛娘まなむすめのその声を聞きちがうはずはない。

 彼の中の迷いが消えた。

 松明をその場に放りだし、像を両の手で力任せに横から押す。すると拍子抜けするほど簡単に崩れ落ちてガラン、ガランと派手な音をたて、ばらばらになった。


 その瞬間、子供達の声が吸いこまれるように消えてなくなり、辺りは再び静寂につつまれる。

 マッコイは慎重にあわせ扉を開き、わずかばかりの隙間を開けた。




 隙間から覗きこむと、そこは円形の薄暗い部屋だった。明かりとりと思われる小さな丸い穴が点々と壁を一周している。

 彼は思わず息をむ。

 その中央には祭壇さいだんがあり、そこに大人ほどの大きさもあろうかという巨大な白い卵があった。

 こんな巨大な卵は見たことがない。


 それは村の誰であろうと同じであっただろう。むしろ記念碑モニュメントか何かの人口物だと思うのが自然だ。

 それほど常識外の大きさであった。

 目線をずらして明りとりを背後にすると、薄っすら内部が透けて見えた。そこに明らかに生命をもった何かが、脈動みゃくどうするようにうごめいているのに彼は気づく。

 

 マッコイは背筋に寒いものを感じた。

 更に奇妙なのは天井からつるされた球体の籠だ。

 全部で四つあり、それぞれ内部に複数の『影』があった。

 それは文字通りの影だった。


 人の形をした黒いそれは声を発するでもなく、ただただ籠をゆすったり、取っ組み合いをしたり常に暴れている。

 そうかと思うと、頭を抑えて悲鳴をあげるような仕草をしている者や、うずくまる者もいた。

 よく見ればそれらはみな、子供くらいの背丈しかない。


「奪われた子供達の影だ」


 そう気づくのに、大して時間はかからなかった。

 そんな馬鹿な話と否定することは不可能に近かった。

 目の前の現実が彼の築きあげてきた常識を破壊しある意味、とてもシンプルに物事を理解せしめていた。


「来てくれたのね」


 突然のその声は弾むような少女のものだった。

 先ほどまでの子供たちの声とはあきらかに違い、その声には存在感があった。

 心臓の鼓動が一気に跳ね上がる。

 それは本能が告げる最後の警告だったのかもしれない。


「だ、だれだ?」


 マッコイが生唾なまつばを強引に喉の奥へ押しこみつつ、絞りだすように問いかける。

 しかし、返事はない。


 このとき彼の中から冷静な判断力は失われていた。

 いや、一介の村人に、そして我が子の危機に直面した親にそれを求めること事態、酷なことかもしれない。

 彼は一気に扉をおし開き、室内に入りこむ。

 その瞬間、籠の中の影たち全員がその動きを止め、一斉に彼のほうへ向きなおった。


 同時に卵の後ろから小さな人影があらわれる。

 不釣り合いなほど大きな赤いとんがり帽子をかぶった金髪の少女は、マッコイを見てその表情を一転させた。


「違う……あなたは、ニムじゃない」


 怒り、苛立ち、そういった負の感情を抱きこんで地から響くようなその声に、マッコイは全身が総毛立つのを感じた。

 そして、同時に体の自由が奪われたことを理解した。




 それは先ほどまでいた一室によく似ていた。

 違うのはあの大きな卵がないこと。それと入ってきたはずの扉がなく、明り取りもなくなっていた。

 にも関わらず、その空間は十分な光に満たされている。


 しかし、壁や床の模様や亀裂に焦点をあわせようとすると、二重、三重にぼやけて部屋の全容を把握するのは困難だった。

 気がつくとマッコイの目の前には娘の姿があった。


 影ではない。

 茜色あかねいろの髪と、お気に入りの黄色の洋服。

 少女は同じくらいの背丈の小さな影達と楽しそうに遊んでいる。しかし、その瞳には光がなくどこか虚ろだった。


「アンヌ!」


 彼は娘の名前を叫んだ。

 しかし、少女は振りかえろうとしない。それどころか彼の存在に気づいた様子すらなかった。


「アンヌ、おまえを助けに来たんだ!」


 少女の挙動が一瞬、自身の時を奪われたかのように停止する。

 次いで声の主の存在を確かめるべく、ゆっくりと振りかえった。


「おじさんはだぁれ?」


 実の父を見てもその瞳に光は宿らなかった。

 マッコイは驚きに言葉を失いそうになりながらも、必死に声をふり絞って叫ぶ。


「何を言っているんだ、おまえの父さんじゃないか? 迎えにきたんだ。一緒に帰ろう!」

「いや。もっとみんなと遊ぶの」


 そして、続く少女の言葉に彼は愕然となった。


「アンヌにお父さんはいないよ。アンヌのお父さんは、アンヌが生まれた日にお母さんと一緒に死んでしまったの」


 マッコイは否定した。

 かぶりをふり、両の腕と全身をつかって娘の言葉をこばんだ。


「違う、何を言っているんだ! 生きているさ、いつも一緒だったじゃないか?」


 少女はうつむいたまま、問いにこたえる。


「一緒にいたのは私じゃなくてお母さんだよ。お父さんは私のことが必要ないから、私もそんなお父さんは欲しくないの」


 少女は力なく膝をおって座りこみ、両の手で顔をおおって泣きはじめる。


「いもしないお母さんに話しかけながら、毎日泣いているお父さんはもう見たくない」


 マッコイは両の手をさしだし、肩を震わせて泣きつづける我が子にゆっくりと近づいていく。

 その足取りは重く、そして力なく、わずかな距離が果てしなく遠かった。

 やっとのことで娘の前までたどり着き、抱きしめて懺悔ざんげの言葉をささやこうとしたその時だった。


「なんで私を見てくれないの?」


 少女がまっすぐにマッコイを見上げて、問いただすように言う。

 巣の中のひなが餌を求めて母鳥に力一杯さえずるように、その眼差しは愛に飢えていた。

 マッコイは力なく肩をおとし、それでも少女の瞳から目をそらすことなく言った。


「アンヌ、すまない。本当にすまないと思ってるんだ……。俺はおまえを遠ざけていた。おまえが生まれたあの日からずっと。思いたくなくても、どんなにいけないことだと知っていても、考えてしまうから――」


 彼はそこで口ごもる。

 その先の言葉だけは少女の瞳を見つめたまま言うことができなかった。


「もし、おまえが……生まれなければと……」


 気づけば彼の頬をとめどなく涙が流れていた。

 それは、一遍いっぺんの偽りもない懺悔こうかいの涙だった。


「それにおまえは、日増しに母さんに似てくる。おまえを見ていると嫌でもあいつを思いだしちまうんだ」


 しかし一転、少女にむき直り、両の肩に手をおいて力強く告げる。


「でも今回のことで、おまえが俺にとってどれだけ大事な存在かわかった」


 そう、わかったんだよ、と彼は力なく頭をれ、自身に弁解するように重ねてつぶやいた。彼の頬から零れ落ちた涙が石の床に弾け、ゆっくりとしみこんでいく。


「ずいぶん勝手な言い草ね」


 その声に驚いた彼が顔を上げるとそこにはすでに愛しい娘の姿はなかった。

 それは気を失う前に一瞬だけ見た、あの金髪の少女。

 彼女は値踏みをするように腕を組み、しゃに構えて彼を見下ろす。


「どう? 忘れられること、不要だと告げられることの怖さがわかって?」

「あぁ、あぁ」


 マッコイは一も二もなく、繰り返し頷く。

 彼女が何者でこの後自分がどうなるのか、そんなことはもうどうでもよかった。


「頼むから娘を……俺のアンヌを返してくれ」


 彼はそして、再び体の自由が奪われていくのを感じた。

 しかし、遠ざかる意識の中で娘の姿を必死に探し続けている自分を見つけて自身、安堵する。


「俺はアンヌを愛している――イーリア、君と同じように」

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