1.魔女の呪い

 赤い命をまとった鉄の塊に、鍛えられた丸太のような腕が鋼の槌を振りおろす。

 その瞬間だけ、狭く薄暗い室内に二人の男の姿が照らしだされた。汗にまみれたその背中ごしに火花が空中を舞い、踊る。


 何世代もに渡って築き伝えられてきた匠の技。正確なリズムを刻み続けるそれは、まるで時計の秒針のようだった。

 鉄を打つ心地の良い音が繰りかえし響きわたる。


 そのとき振り上げた腕がまるで、その矛先を見失ってしまったかのようにピタリと動きを止めた。


 人の気配。

 次いで分厚い木製の扉をたたく音が響く。

 昼食にはまだ早い。彼はそのとき妙な胸騒ぎを覚えていた。


「少し待っててくれ」


 鍛冶屋のニムはそう、相方の男に声をかけ重い腰をあげた。

 放り投げた金槌が土の床に重い音を立てて突き刺さり、そのまま横にたおれる。

 首にかけた手ぬぐいであごまで滴っていた汗をぬぐいつつ、ニムが鍛冶場の戸口へ顔をのぞかせると、そこに一人の男がいた。


「ちょっと困ったことになってるんだニム。村長がみんなに集まってくれって」


 男は困惑した表情でそう告げる。

 続けて、自分にも状況がつかめていないことを暗に示すかのように肩をすくめてみせる。


「悪い感にかぎって当たる……」そのときニムにはまだ、そんなことを考える余裕があった。




 その日、村を襲った異変に最初に気づいたのは当事者である子供たちだった。

 子供たちの影がなくなっていた。


 どの方向から日に照らしても、地に落ちるはずの影があらわれない。

 しかし建物や植物、何より大人たちの影はいつも通り変わることなく存在していたため、気づいた時には村中の子供たちが影を失って怯えていた。


 無論、ニムの影にも異常はない。

 村中の大人たちが村の中央広場に集まっていた。何人かの子供たちも一緒だった。


「魔女の呪いじゃないだろうか?」


 村人の一人が言った。


「魔女?」


 あまりにも唐突で突拍子とっぴょうしも無いその言葉に、ニムは戸惑いが声にでるのを隠すことができなかった。

 たしかにこの村には昔からそんな噂がある。


 村はずれの塔、名前も思い出せない古びた塔に魔女が住み着き、悪さをすると。

 しかし、そういった噂や伝説の類はいつの時代も存在するものだ。大人が子供をしつけるのに必要な都合のよい、おとぎ話の一つにすぎない。


「魔女なんているわけがない」ニムは肩をすくめて否定した。


 ニムは村の若い衆の中では一目置かれる立場にある。

 屈強な体躯を誇り、その判断力と言動にも村人達から信頼が置かれていた。

 魔女の仕業などという理屈の通らない説明を簡単に認めるわけにはいかないし、第一、ニム自身が納得いかない。


「だったら、これはなんだ! どう説明する?」


 彼は自分の息子の肩を押して前にだし、地面を指差して強く怒鳴りちらした。

 そこには当然あるべきものがなかった。

 自分の意見を否定されて怒った、それもあるだろう。しかし、彼の心を今支配しているのは言いようの無い違和感、そして不安。


「たしかに……」一言、つぶやくように言ってニムも押し黙ってしまった。


 沈黙がその場を支配する。

 みな状況がつかめず、判断ができないでいるのだ。自然と皆の視線は村長に集まる。


「どうだろう、ニム」村長がそう切り出すまでには、やや時間があった。


 彼の話はこうだった。

 ニ、三日様子を見る。それで変わらないようならニムと村の有志何人かで、塔の様子を見にいってみる。

 本当に魔女がいて悪さをしているのであれば、王都へ早馬を出し指示と救助を仰ぐ。

 その場にいた者はみな、その提案に一応の納得を示した。いや意見したくてもその材料がないのだ。


「しかし、この時代に魔女狩りとはな……」


 長老は遠い昔を懐かしむように言い捨て、場を解散した。




 そして不安と緊張に満ちた重苦しい夜が明ける。

 いつもと変わらぬ朝をむかえることを村中の誰もが望んでいた。

 しかし、子供たちの足元に影がもどることはなかった。ただの一人も。


 さらに自体は急変する。

 子供達は眠ったまま、誰一人として目覚めなくなってしまったのだ。どんなにゆすっても頬を叩いても、少年、少女達は夢の世界にとらわれたまま帰ってこない。


 村長は事態を重くとらざるを得なかった。

 ニムと村長はすぐさま調査に同行する残りの二人を村長宅に招集する。


「結局、最悪の状況になってしまった」


 神妙な面持ちでそう言いながら最初に到着したのは、一人娘が今回の被害にあったマッコイ。

 樽のような胴体に短い手足がさしずめ、童話にでてくる『ドゥワーフ』を連想させる。

 彼は意外にも最初からこの調査への同行を志願していた。同じように子供が被害にあった親は多いが魔女がらみと聞いて恐れをなし、互いの顔を見合っている状況だった。


 彼の妻は娘を産んだ際に亡くなっていた。

 その分、二人の絆は他の誰もが想像し得ないほどに深いのかもしれない。ニムはそう考えたが、一方で彼のよからぬ噂も聞いていた。

 それは――。

 

 遅れて到着したのは独身でろくに働きもしない村の厄介者、ティルパだった。

 彼はマッコイとは反対に細身で背が高い。しかし色白で頬のこけたその顔は、お世辞にも色男とは言えなかった。


「まったく厄介ごとを押しつけやがって」愚痴るティルパ。


 彼は昨日の内にくじ引きで選ばれていた。

 公正なくじ引きであったにも関わらず、厄介者のティルパが引き当てたことから、そのくじ引きには細工がしてあったと村中で噂になっていた。


「少し緊張感が足りないんじゃないか?」


 待たされたせいで多少苛ついていたのだろう。マッコイがティルパの軽はずみな言動を注意をすると、ティルパが強い口調で言いかえした。


「考えすぎなんだよ。はやり病で寝こむことなんざ、毎年のことじゃないか? それに影が消えたからなんだってんだ。生活に支障ししょうがあるか?」


 マッコイは元々、口数の多い方ではないし頭も切れない。その問いに答えられないまま口ごもっていると、ティルパが畳み掛けるように続けた。


「あんたも自分の娘が被害にあってさえいなきゃ、俺と同じように嘆いているさ!」

「なんだと、この厄介者が! それが年上に対しての物の言い方か!」言うが早いか、激昂げっこうしたマッコイがティルパの胸倉につかみかかる。


「いいかげんにしろ」


 ニムはマッコイの腕をつかみ、あっさりと両者を引きはなす。

 村一番の怪力を誇るニムを前にして、ニ人は赤子も同然だった。


「早々に塔へ出発しなきゃならない、頼むから話しをはじめさせてくれ」


 二人はいさかいをやめたが、それから村長宅を出るまでの間、二度と視線を交えることはなかった。

 そして一通り村長からの説明が済んだところで、再度村の入り口での集合時刻を確認し、場は解散となる。




 マッコイは自宅で旅支度をすませ、隣に住む老婆に娘の看病を頼むと再び、自宅へともどった。


「行ってくるよ」


 そして眠ったまま起きようとしない一人娘を前にしてつぶやくように、そう告げる。

 彼は娘の頭をなでようと手をのばしたが、あと僅かというところで躊躇ためらって拳を握り締めた。


「なんで俺は、おまえと……」


 彼は続く言葉を飲みこんだ。

 そして娘から目を背けるようにして振りかえると、そのまま家をあとにした。




 村を見おろす小高い丘の上にたった一つ、簡素なつくりの墓がたっていた。

 その前に腰をおろすティルパ。

 墓前には一輪の花がさびしくそえられている。


「行ってくるよ、母さん」


 彼の顔は驚くほどに晴れやかだった。先ほどマッコイと口論した時の彼とはまるで別人のようだ。


「やっとこの日が来たんだ。俺はもう、ここへは帰って来ないかもしれない」


 彼はゆっくりと立ち上がり、村の入り口へ向かった。 




 その日の昼前には村長と数人の村人に見送られ、ニム達一行は村を出発した。

 空には重く薄暗い雲が立ちこめ、ただでさえ気の乗らない旅立ちをなお、一層の不安で飾り立てる。


「なぁ、よく考えてみたんだがあんたは本当に娘のために志願したのか?」


 出発するなり、ティルパはマッコイに詰問の言葉を投げつけた。どうやら先ほどの続きをはじめる気らしい。

 ニムは早くもうんざりだ、という表情でティルパとマッコイを牽制する。


「どういうことだ?」


 ティルパは一瞬ニムと目を合わせ、それからティルパの方を振りかえりもせずに押し殺した声で問いかえした。


「あんたの噂は村じゃ知らない者はいないぜ、なぁニム」


 ニムはそれに答えようとはせず無視して先を急いだ。

 マッコイもやや早足になり、ニムのあとを追う。

 ティルパはすかさずマッコイとの距離をつめ、しつこく話を続けた。


「妻が亡くなったのは……娘の……ハァ、せいだって毎晩、酒場で嘆いてるそうじゃないか」


 にやりと下卑た笑みを浮かべるティルパ。

 彼は日ごろの運動不足を惜しむことなく露呈ろていし、すでに肩で息をし始めていたが、この会話を心から楽しんでいることはその表情から明らかだった。


「まったく父親って……ハァ、やつはろくでもない生き物だよ」


 その言葉に立ち止まり、振りかえるマッコイ。

 彼は言葉なく無礼きわまりない同行者をめつける。その拳は手の平に爪が食い込むほどに強く握られ、腕と額の血管はうごめく蛇のように浮き立っていた。

 おっと怖い怖い、マッコイは両の手を胸の前で左右に振り、後ずさって見せる。


「貴様こそ、そんなだから父親に……」


 マッコイは言いかけて口をつぐんだ。


「なんだ? 最後まで言えよ、おっさん!」


 ティルパは一瞬、ひるむ様子を見せたがすぐさま食ってかかった。

 そしてなおもマッコイの怒りに油を注ごうと、ティルパが悪意の言葉を紡ぎはじめたときニムが二人の間に割って入る。


「その辺にしろティルパ。でないとその口に岩をつめて、縫い合わせてやるぞ」


 しかし、ティルパはそっぽを向いて悪びれた様子もない。それどころか、なんで俺だけが悪者にされなきゃいけないんだと独り言のように愚痴っている。


 ニムは再び歩きだし、マッコイが「すまない」と一言いってニムに続いた。

 ティルパもしぶしぶ後を追って歩きはじめたが、その後もマッコイにだけ届く声で嫌味と文句をつらね続けた。

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