【第三章.わたしを呼ぶ声 】

【二十二.カウンセリング・二】

 今令和何年? 何月何日? 何曜日? 今何時? わたし何歳だっけ?

 真っ白。真っ白な部屋。天井から床まで、全部真っ白。カウンセラーの先生の白衣も真っ白。

 全てが明るいこの部屋で、わたしは薄ぼんやりと笑っている。

 今日は退行催眠をかけてもらった。

 セラピーのひとつ、なんだって。


「なにしてるの? ねえ、おかあさん、なにしてるの?」


 かたかたかたかた。

 先生がキーボードを叩く。

 わたしには、四歳の時の記憶が見えている。

 まだ、みんなで南大沢に住んでいた頃の記憶だ。


「荒浜さん。どうしましたか」


 いつもの赤い縁のメガネのカウンセラーの先生が聞く。

 でも、さっきお昼寝するまでいたお母さんが居ない。


「わかんない。……おきたら、おかあさんとゆきひこ叔父さんがいる。なぎさ、いまドアのすきまからのぞいてるの」


 かたかたかたかた。

 わたしは息を飲んだ。


「なにが、見えますか」

「わかんない」

「ふたりは、どんな様子ですか」


 見てはいけないものを見てしまった感覚。

 自分の知らない世界を垣間見た、戸惑い。


 先生のメガネの奥の目が、少し見開かれる。

 かたかたかたかた。

 キーボードを打つ手が、心なしか早くなったように感じる。


「裸んぼ。ちゅうしたり、のしかかったり。……はくしゅんっ……あ、お母さんが近付いてきた。裸んぼの、お母さん。え……あのね、なぎさ起きちゃったの……ねえ、何してるの……? かいちゃん? うん、まだ寝てるよ……うん……うん。わかった」


 そうだ。あの日。お母さんは確かに言ったのだ。


 かたかたかたかた。


「何と、言われたのでしょう」

「おとうさんとかいちゃんには、ないしょだよ、だって。おまえみたいないらないこは、おとなになったら、そうやってとるといいよ、だって」


 要らない子、と言ったのだ。


 かたかたかたかた。


「なにを、とるのでしょう」

「わかんない。……なんかきもちわるくなってきた」

「大丈夫ですか」

「なぎさ、はきそう。う……うええっ。げえっ。ごほっごほっ」


 先生がわたしを覗き込んで、背中をさする。


「荒浜さん? 大丈夫? 荒浜さーん? ……今日はこの辺りにしましょう」


 真っ白な部屋なのに、わたしの血混じりの吐瀉物で汚れてしまった。綺麗な部屋の中にあるきたない汚れ。

 まるで、わたしみたいだ。きたないきたない。いらない、いらない。


 イラナイ、わたし。


 カウンセラー室の床を汚しながら、ふと、そう思った。

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