【十二.お母さん・二】

 六月八日。土曜日。午前十時十一分。わたし、十六歳。かいちゃんの命日。

 今日も曇天の鉛色の空。ぬるい風を突っ切って爆走する、ピンクと紺の帯の京王線の特急。黄色の南武線。それからオレンジ色の武蔵野線。それらを使って、今日もお母さんの入院している多摩総合医療センターに向かう。昨日、担当の赤いメガネが良く似合うおかっぱ頭の女医さんに話してある。今日はおとうとの命日だからいっしょにお墓参りに行きたいって。どうしても行きたいんです。懸命に伝えた。赤いメガネのその先生は、お母さんの状態が良ければいいですよ。確かに、そう言った。

 でも、今日は生憎の曇り空。低気圧を測るアプリの指数は「超警戒」。……なんとなく、だめな予感でいっぱいだった。


「かいちゃん!」


 病室に入るなり、お母さんが両の目を真っ赤に腫らして泣きながら縋り付いてきた。


「お母さん。どうしたの?」

「かいちゃん、かいちゃん、どこ行ってたのっ?」

「あはは。学校だよ。高校に入ったんだよ? 覚えてないの? ……それよりさ、今日なんだけど……」

「知らないひとがね……知らないひとがね……お母さんからかいちゃんを取り上げるのよ……」

「大丈夫。はずっとお母さんといっしょだよ。ずっとだよ。だからねえ、今日は外にお出かけに……」

「ああ、かいちゃん……かいちゃん。私のかいちゃん。お母さんをひとりにしないで……ああ、ああああ……」


 お母さんは泣いた。肩を震わせて、しゃくりあげながら、泣いた。お母さん似のわたしのEカップのふかふかの胸に顔を埋めて。それはまるで、あの日の──お母さん、あなたが出ていった時の、わたしとかいちゃんみたい。こうしてお母さんを見ていると、不思議な気持ちになる。

 でも、現実は厳しい。同席していた赤い縁のメガネの先生は、目を閉じて首を横に振った。……ごめんね、ようこさんの今日の外出は許可できません。先生の言葉も、声に出さなくてもわたしに暗にそう伝えている。

 ……はあ。だめだったか、やっぱり。

 世界でいちばん大事なおとうとの、世界でいちばん大事な一周忌だったはずなのに。今日という日は、迷子になった小さな子供のように泣くお母さんの肩をさすりながら、何時間もなだめて終わった。


 なぜか不思議と、そうしてると楽だった。


 自分の代わりに、お母さんが泣いてくれている気がしているからかもしれない。お母さんお母さん。届かない声でそう言って泣き叫んだあの日のわたしの涙の、その代わりに。

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