【九.一周忌】

 令和六年六月八日。土曜日。午前四時三十二分。わたし、十六歳。


「ねえ、だれ? 教えてよ。かいちゃん……」


 六畳のわたしの寝室。かいちゃんの部屋のように可愛いプレートは掛けてない。フローリングはおばさんが勝手に掃除機をかけるから、おかげさまでほこりひとつない。白く塗られた学習机の上も、最低限の物しか置いてない。ベッドもカーテンも枕も無地の白だ。無機質で無味無臭なわたしの部屋。別に整理整頓されているのではない。最低限の物しか置いていないのだ。小学生の時の水色だったランドセルも処分してもう無い。お父さんとおばさんとどこかに行く度に増える写真も、こっそり捨てて、手元には無い。

 でも、わたしは別にそれで構わない。断捨離がモットーとかじゃない。この家に、わたしの居場所はどこにも無い。だから、何も置かない。私の居場所は、小平のかいちゃんの部屋の中だ。お母さんは入院してるけど、部屋は解約してないから、そのままになっている。あそこが、わたしの魂の場所なんだ……そう言い聞かせるように、わたしはいつも余計なものは捨ててきた。けれどそうして生きているうちに最近は、生きる上で何が必要なのかわからなくなってきてしまっている。


 そんな温度のない白いベッドで、わたしは目を覚ます。ブレザーのまま、枕に突っ伏して寝てしまっていたようだ。目を擦った。びしょびしょに濡れている。ああ、そうか。泣いてるって、今気がついた。

 毎日毎日、あの日のワゴン車の中での夢か、生きてる頃のかいちゃんの夢を見る。眠りが浅いんだろうと思う。だから毎朝、決まってこの時間──四時半ごろ──に起きる。おかげで目覚まし時計もいらないし、宿題も試験勉強もするのにはじゅうぶんな時間が取れる。……まあでも、勉強の時間は取れても「質」は良くないらしくて、定期テストではいつも赤点すれすれだけど。

 それでも何故かどうしてだか。

 カーテンの隙間から差し込む朝焼けは、網膜を焦がして、痛くて痛くて。五階の窓を開けると吹き込む風は、わたしのアバラに空いた大きな隙間をすうすうと通り抜けて、寒くて寒くて。かあかあと鳴くカラスの声がきんきんと鼓膜を叩いて心細くて、孤独で。

 あの日から、毎日が、毎朝が。辛くて辛くて、仕方なかった。


 あの日から……そうだ。そうだった。今になって気がついた。どうして忘れていたんだろう。一年前の今日。六月八日のことだった。

 ピンクのくまのワンピースが可愛い、ウルフカットが可愛い、わたしの世界でたったひとりの守るべきおとうとが、中学の校舎の屋上、四階から飛び降りて、死んだのは。

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