トンネルにて(壊)

カフェ千世子

トンネルにて(壊)

 夕暮れはまたの名を黄昏時と言ったか。誰そ彼たそかれ。薄暗くなって相手が誰かわからない。そこから来たという。

 そして、またの名を逢魔が時。魔に逢う、と。昼と夜の境があいまいな、混ざり合った時間。それはこの世とあの世との境もあいまいにさせると言う。そこに、人でないものが出てきてしまうと。

 つまり、夕方とは怪異に出遭い易い時間なのだ。



 普段、歩きスマホなんてしないのに。

『家で使ってる焼き肉のタレって何だった?』

 帰宅途中、兄からのラインを受け取ってなんだっけ? と考えながら歩いてしまった。

 視界が暗くなって、はっと上を向く。気づけばトンネルの中だった。


 トンネル……

 気づいて、背筋に冷たい汗が伝う。このトンネルにはある噂があって、いつもは避けて通っていたのだ。


 トンネルの噂とは。

 夕方、日没の時間にそのトンネルを使うと閉じ込められて出れなくなると言う。そのトンネルでは、過去にいじめにあっていた少女が乱暴されて、トンネルに打ち捨てられたのだと。そして、その少女がこと切れたのが、日没とほぼ同時だったという。



 暗いトンネルは晴れていても近くの水路から漏れた水のせいで濡れていてじめじめとしている。明るい時間でも使うのが嫌で、いつもは遠回りして避けていた。

 やだなあ、と思いさっさと通り抜けようとして気がついた。トンネルの向こう側にあるはずの出口の光が見えないのだ。

 もう日が暮れた? 思うが、それにしたって出口が見えないほど暗いのはおかしい。日が暮れた後もまだしばらくは辺りは明るく見えるはずである。

 なにより、トンネルの向こうには街灯があるはずだ。完全に日が暮れた後にはその街灯の光が見えているはずである。


 おかしい。気づけば、今度は焦りが湧いてくる。どうにかここを出なければと走ったが、走り続けてもトンネルを出ることができない。普通なら、数十秒も走れば外に出られるはずである。


 疲れて、そこに立ち尽くす。手の中のスマホを握りしめる。うっかり立ち入ったきっかけになったそれを、なんとなく再び見ようとしたその時。


「ほいさーーー!」

 後ろから陽気に声を掛けられた。


「……早川さん」

「セオ君、元気ー?」

 自転車に乗って現れたのは、兄の友人である。後ろに女子高生を乗せている。リア充なのかよ。

「早川さん、なんで」

「セオ君見つけたから、声かけよう思ってー」

 早川さんは全然異常事態に気づいていないらしい。

「なんか暗ーい」

「そんなこと言うたらあかんぞ」

 女子高生の発言に、早川さんが苦言を返す。

「誰だってしんどい時はあるよなあ、セオ君」

「暗いってそういう意味じゃない」

 僕を気遣うように言う早川さんに、女子高生が違うと首を振る。


「ここ暗い。灯りもないし」

「お?」

 彼女の指摘に、早川さんはようやく辺りを注視しだした。


「……ほーん」

「ところでほいさーって何? なんかダサい」

「何を言う。パリーグ首位打者が流行らそうとしている掛け声やぞ」

「……そんな話題逸らしの仕方ある?」

 異常事態について話が進むかと思った矢先に、全然別の方向に話題を進められて思わず呆れが口に出る。



 異常事態に気づいているのに、明るい二人に対して、だんだんと申し訳ない気分が湧いてきた。

「僕がここにいるから、このトンネルの中に入ってきたんですよね……すいません……」

 申し訳なくて、目の奥が熱くなってきた。鼻に湿り気を感じて、すする。

「ん? どうしたセオ君。何があった?」

「ここ……怪談の噂があって……」

 情けなく思いながら、半泣きの状態で彼らに話した。


「……へー」

 僕から事情を聴いた二人の反応はなんだか薄いものだった。信じていないんだろう。

「さっきから走ってもここから出られないんです」

「……ほな、まあ。歩いてみるか」

 彼らと共に、再び出口を目指して歩き出した。


「おお。マジで出られへんやん」

「えー。困るー。見たいテレビあるのにー」

「すいません……」

「なんで謝るの?」

 思わず謝れば、それを女子高生に指摘される。

「巻き込んだから……」

「この道、普通に公道でしょ。みんなが使う道を同じように私らも使っただけやで。あんたの所為と違うやん」

 彼女の言葉に、早川さんもそうそうとうなずく。

「まあ、どうにか出れるやろ」

 早川さんは気楽に言う。


「トンネルてのは、まあ確かに異界への入り口にぴったりやな。他の場所と他の場所を繋ぐ場所であり、他より暗い。怪談の類もよく聞く」

「私、そう言うのよく知らない」

「ていうか、興味ない方やろ」

「全然興味ない」

 早川さんと彼女はいたって平気そうな調子で話し続けている。その普段通りの態度を崩さない二人に、動転していた気分がいくらかマシになる。


「二人は付き合ってるんですか」

「え、全然」

「付き合ってないし」

 尋ねれば否定が返ってくる。バイト先で知り合って、送る途中なのだと。

 リア充ではなかったか。


「……歩きスマホするんじゃなかった」

 後悔から、再び手に持ったスマホを見つめた。暗い画面を見つめていると、着信音が鳴った。

「言ってる端から早速やってるやん」

「ていうか、電波通じてるんやー」

 誰からの着信なのか、と確認する。歩きスマホを指摘されて、立ち止まった。

「助け求められるねーって、うちのは電波消えてるわ」

「マジでー」

 彼らも同じくスマホを確認している。


「兄からです」

「ほう。なんて?」

「焼き肉のタレ何か教えてって……」

 二回目である。どんだけ、焼き肉のタレが知りたいのか。



「電話してみたら」

「はい」

 兄に直接話をしてみることにした。

『タレ、何かわからん?』

 兄はひたすら焼き肉のタレにこだわっていた。

「タレは確か宮殿とかいうやつだけど……」

『おう。わかった、ありがとう』

「待って切らないで!」

 速攻で切られそうになって、慌てて止める。

「今、あの○○線の近くのトンネルにいて」

『ん? うん』

「あの、●●の近くのところのトンネルなんやけど」

『ああ、あそこ?』

「いま、そこから出られなくなってて……」

 果たして、どう伝えれば現状が正確に伝わるんだろうか。本来ならすぐに通り抜けできるはずのトンネルから出られない。何らかの怪異に巻き込まれている。それを言って、信じてもらえるのか。

『なんかに塞がれてんの? 崩落?』

「いや、崩落はしてない……」

『よくわからんけど、そっち行くわ。近いし』

「あっ、ちょ、待っ」

 待ってと言う前に、電話が切れた。



「来たよー」

「あああぁぁぁ……」

 止める間もなく、兄は入ってきてしまった。トンネルの前まで来たとこで電話でもしてくれればいいのに。こちらからは見えなかったので、止めることもできなかった。

「なんか暗いね、ここ」

 ただ巻き込まれた人間が増えただけである。


「ほす!」

「ほす」

「ほす!」

「ほす」

「? ほす? って何」

「知らない」

 早川さんの謎の掛け声に合わせてノリで兄が答えている。女子高生にツッコまれるが、普通に知らんと答えている。

「二人知り合い?」

「どうだっけ?」

 普通に話しているので知り合いかと聞けば、全然知ら無そうである。適当にもほどがある。


「荷物多いね。なんで?」

「バーベキューを少々」

 兄は自転車の荷台や前かごに荷物を積んだ状態で現れた。

「○○海岸のとこのバーベキュー場行くん?」

 早川さんが挙げたのは、近くにあるバーベキュー場である。

「あそこはなあ、なんかパリピの巣窟でなあ」

「パリピの巣窟」

 兄の発言に早川さんが受けている。

「陽の雰囲気は別にいいんだが、もっと肉の音を聞きながら焼きたいんだよなあ。かかってる音楽はともかく、パリピの声がでかすぎて」

 兄はこの間からやけにバーベキューをやりたがっていた。せっかく揃えた道具を使う機会がなくてむっとしていたが、一人でもやればいいという結論に達したらしい。



「……うーん。武器になりそうなもんはこれくらいしかない」

 状況を説明すると兄はバーベキュー串を取り出す。相手が怪異だろうと物理でどうにかする気満々である。

 ……食材を刺すもので戦うのはやめて欲しい。というか、この間人形に怪異がとり憑いた時もその串で人形を刺していなかったか。

「食材切る用のナイフとかないの?」

「食材はすでに切った状態で持って来てある」

「ねえねえ、見て!」

 女子高生がカバンから何かを取り出して見せる。

「スタンガン~」

 どうしてどいつもこいつも、物理攻撃でどうこうしようと考えているのか。



「閉じ込めてなにがどうこうなるんだよ」

 兄がふわふわした疑問を投げかける。

「そうだな。現実世界との乖離による効果は、まず一つ目は帰れないとの焦りを生む。二つ目は、食事や排せつへの不安。三つめはこの後、もっとひどいことをされるかも、と先行きへの不安が生まれる」

 早川さんが、つらつらと御託を並べる。この人は、こうやってしゃべるのが好きな人らしい。


「食事ならあるぞ」

 兄がクーラーボックスを叩いて示す。バーベキュー男のせいで、緊張感が台無しだ。

「トイレもどうしてもしたくなったら、その辺でいいじゃん」

 雑な意見だ。女子もいるのに配慮がない。なぜ兄はこんなに平然としていられるのだろう。こっちはどうしようどうしようとうろたえているのに。


「まあ、そんなに落ち込まなくていい」

 早川さんが、僕の肩を叩く。

「君の兄ちゃんを見なさい。肉を焼くことしか考えていない」

 それはいいことなのだろうか。



「こう、なんか異変とか起きないもんかね」

「暗闇に放り出されても暇なだけだな」

「怖がらせてよね~」

 なんでみんなこんなに呑気にしていられるんだろうか。明らかに『何か』に対して挑発するような発言だ。

「おらっ! なんも怖くねーぞ」

「無能だな」

「雑ー魚! 雑ー魚!」

 彼らの発言がより一層ひどくなる。その時、ピリッと肌に痛みのような違和感を感じた。例えるなら、静電気が放電する直前のような感覚だ。



「来る……」

 思わず呟けば、ぽんと肩に手を置かれた。

「そんな相手の思う壺な反応は控えようや」

 小声で注意されて、カッと頬に熱が集まる。


 ……うぅ……ああぁ……


 小さく呻き声が聞こえてくる。それにびくっと反応すると、肩に手を置いた早川さんがふるふると首を振る。

「相手をしちゃあいけない」

「……でも」

「セオ君は素直なんだな。だから、幽霊の類が喜んでしまう反応をしてしまう」

「幽霊が喜ぶ反応?」

「そうだ。幽霊と人間なんて、本来は接点がない。向こうが必死に人間と関わろうとしても、こちらが無視すればいいだけの話だ」

 冷静に諭される。


 ……許さない……


「早いとこ肉を調理しないと完全に解凍されてしまう」

 バーベキュー男はさあ!


 ……痛い……どうして私がこんな目に



「噂では、ここで乱暴されて打ち捨てられた少女がいたって」

「だから、その子に同情するって? その感情移入は本当に危険だ」

 まともに怪異について考えてくれるのは彼だけなので早川さんと会話するが、彼は否定的だ。

「彼女の気持ちを消化してあげれば、成仏してくれるんじゃないですか」

「その義理があるのか? ここを出ることだけ考えればいいだけだ」

「いつまでたっても解決しないじゃないですか!」

「だから、そんな義理はない! 一番大事なものはなんだ? ここで赤の他人、しかも生きてない人間のために自分の命を浪費するのか?」

 冷静だった早川さんの口調が少し叱責するものに変わった。

「その子とセオ君に何の関係がある? 向こうに同情的になればなるほど、相手の思う壺だ」

 何も言い返せなくなり、黙る。


「話し終わった?」

 兄が口を挟んでくる。バーベキュー串を手にしていた。女子高生もスタンガンを構えている。

 そこに同情などは一切ない。

「じゃあ、さくっと出ようか」

「どうやって⁉」

「出たいと思えば行けるはずだ」



 彼らの前に、人の姿が見える。……人のように見える。どこかの学校の女子生徒の制服、手足がところどころ黒ずんでいるのは痣だろうか。顔は髪で隠れて見えない。

 哀れな姿に見える。だが、兄たちはためらうことなく武器を手に向かって行った。




 目の前で肉が焼けていっている。食欲なんてわかないと思ったが、おいしそうな匂いが鼻に届きだすと、空腹感を強く意識させられた。そろそろ夕食時の時間である。

 隣の席では陽気な学生たちが酒を片手に盛り上がっている。会場にはアップテンポな曲が絶えず流れている。


「やっぱ、ここ陽キャの巣窟だよな」

 近場のバーベキュー場だ。兄が来るのに乗り気ではなかった場所だ。

「このタレ美味しい~」

 流れのままについてきた女子高生が肉を味わっている。


 ぼんやりしていると、肉を皿に乗せられた。ぽん、と頭に手を置かれてわしわしと混ぜられる。

 そちらを見ても、特に何かを言われることもなかった。ただ、妙に優しそうな目で見られて気まずくなった。労わられても困る。うっかり巻き込んだのは、自分なのに。


「やっぱ、一人分の肉の量じゃ腹は満たせんな」

「ええ……どんだけ食べる気……?」

 冷める前にと肉を口に入れた。口いっぱいに肉の甘みとうまみが広がる。

 自分は確かに生きていると感じた。

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