第4話

「んぁ、あぁ!? だ、だめだよ、荒川さん……」


 荒川さんはムッチリとした太ももで怯える僕の股を割り、グリグリと太ももを押し付けている。


 どうしてこんな事になってしまったのか、僕にはさっぱり分らない。

 気付いたら僕は荒川さんに襲われて、ベッドの上に押し倒されていた。


「あはは。可愛い声だしちゃって。女の子みたい」


 僕の両手を拘束しながら、荒川さんは肉食獣の笑みを浮かべた。

 僕は恥ずかしくなり、必死に顔を隠そうと横を向く。


「どうしてこんな事……」

「涼ませてくれたお礼。誰もいないんだし、いーでしょ?」

「よ、よくないよ……ん、んぁ

!?」


 グリっと股間を突き上げられ、僕は恥ずかしい声を漏らしてしまう。


「なんで? 小山、あたしの事嫌い?」


 荒川さんは悲しそうに聞いてきた。

 悪気など全くない、無邪気すぎる顔だった。


「そういうわけじゃないけど……」


 僕だって男の子だ。

 こういう事に全く興味がないわけじゃない。

 というか、普通に興味深々だ。

 でも、自分には縁のない事だと思っていた。

 仮にあったとしても、それはもっとずっと先の事だと思っていた。

 あまりにも突然で、全く心の準備が出来ていない。

 期待と喜び、罪悪感と困惑で、僕の情緒はグチャグチャだ。


「小山ってさ、童貞っしょ?」


 いきなり聞かれて、僕はギクリとした。

 正直に答えるのは恥ずかしい。

 でも、見栄を張るのは無理がある。


「……だったらなに」


 困った僕は、涙の滲んだ目で荒川さんを睨みつけた。


「怖がらなくていいって事。あたしがリードしてあげるから」


 ニッコリと、グズる子供をあやすように荒川さんが微笑みかける。

 それで僕は気付いてしまう。

 荒川さんは大人なのだと。

 そんな事は分り切っていたはずだ。

 だって荒川さんはギャルだし、こんなにも可愛くて魅力的だ。

 実際男子にモテモテだし、僕が知らないだけで、とっくに大人の階段を登っていたのだろう。

 それについてとやかく言う権利なんか僕にはない。


 僕は荒川さんの彼氏じゃない。

 友達かどうかも怪しい。

 まともに話すのだって今日が初めての、浅すぎる関係だ。

 だから僕は、ガッカリなんかしなかった。

 軽蔑する事もない。

 ただ、哀しかった。

 涙が滲むほど、哀しかった。

 そんな僕を見て、荒川さんは尋ねた。


「それとも小山、あたしが初めてじゃいや?」


 あっけらかんと聞かれて、僕はギュッと目を閉じた。

 そしてフルフルと首を左右に振る。

 最低だと僕は思った。

 荒川さんがじゃない。

 僕が最低だった。


「じゃ、するね」


 するすると、衣擦れの音が静かに響いた。










 †












「――やっぱりダメだよ!?」


 ハッとして目が覚めた。

 そして夢だと気が付いた。

 あれから一晩経っていた。

 荒川さんとは何もなかった。

 荒川さんはお母さんの仕事が終わるまで僕のROLを観戦し、その後普通に帰って行った。


「……最低だ」


 罪悪感で死にたくなった。

 僕って奴は、なんて夢を見てしまったのだろう。

 荒川さんはそんな子じゃなかったのに。

 ギャルだけど、普通にオタクで、楽しくて気のいい女の子だったのに。

 童貞にも程がある。

 こんな夢を見るなんて、荒川さんに申し訳ない――


「んぁ!?」


 温かくて柔らかなムチムチに後ろから股間をグニっと潰されて、恥ずかしい声が漏れ出した。

 周囲の空気は嗅いだ覚えのある濃厚な女の子の匂いで満ち満ちていた。

 ビックリして振り向こうとするけれど出来なかった。

 後ろから、誰かが僕に抱きついていた。


 小麦色に焼けた長い両手が僕の胸の前で交差している。

 肩の辺りには昨日散々味わった例のアレの感触があった。

 僕の股の間から、ムッチリとした太ももが生えだすように割り込んでいた。

 サァーっと、頭の中で波の音が聞こえた。

 多分それは、僕の血の気が引く音だ。


「あ、荒川さん!?」


 どうにか身を捩って振り向くと、荒川さんの寝顔が見えた。

 幸せそうな顔で大口を開け、僕の枕に涎を垂らしている。

 僕は後ろから荒川さんに抱きつかれ、人間抱き枕にされていた。


「な、なんで!? どうして!? あれ、夢じゃなかったの!?」


 パニックになり、心臓がバクバクと騒ぎ出す。

 だってこんなのおかしい。

 荒川さんが返った後、僕はいつも通り朝日が昇るくらいまでアニメを流しながらゲームをして過ごした。

 そしてベッドに入り、気付いたらこれだ。

 どう考えても、荒川さんと過ちを犯す余地はなかったはずだ。


「んぁ? なぁにぃ?」


 寝ぼけた顔で荒川さんが目を覚ます。


「なにじゃないよ!? 荒川さん、なんで僕のベッドにいるの!?」

「あー。ごめん。眠くて、つい……。ふぁ~。今何時ぃ?」

「知らないし! 説明になってないんだけど!? なんで勝手に入って来てるの!?」

「なんでって、小山がいいって言ったんじゃん……」


 そう言って、荒川さんは眠そうに目を擦る。


「僕が!? いつ!?」

「ROLしてる時……覚えてない?」

「覚えてないよ! なんて言ったの!?」


 多分だけど、ゲームが白熱してよく聞いていなかったのだろう。


「だからさー。あたしの部屋のエアコン壊れてるでしょ? 夏だから、全然業者が捕まんないわけ。夏休み中は無理だって。だから、その間小山の部屋で涼んでいいかって」

「………………ぁ」


 そう言われると、確かにそんな事を言われた気がする。

 ちょっと悩んだけど、この暑さの中エアコンなしは可哀想だし、僕もまぁ、荒川さんと遊べるならいいかなと思ったし、それよりも大事な集団戦の最中だったから、深く考えずにオッケーしてしまった。


「思い出した?」

「思い出したけど……。だからって! ベッドの中にいるのはおかしくない!?」

「だよね。あたしもさ、流石にこれは不味いかな~と思ったんだけど。ピンポン鳴らしても小山全然出てこないじゃん? ラインも既読つかないし、もしかして死んでない? とか思って鍵空いてたから入っちゃったわけ」

「……それ、何時頃?」

「9時。本当はもっと早く来たかったんだけど、流石に迷惑かなと思って自重した系」

「早すぎるよ! 僕寝たの6時頃だから! 普通に爆睡してる時間だから!」

「いや知らないし。夏休みにしたって生活リズム終わり過ぎじゃない?」

「ほっといてよ! 僕は夜型なの! ていうか、一緒に寝てる説明になってないし!」

「それを今説明してるとこじゃんか。エアコン壊れてるって言ったっしょ? 暑くてさ、全然寝れないの。超寝不足。だから小山の部屋でちょっとお昼寝させて貰おうと思ったんだけど、小山爆睡してるじゃん? 起こしても全然起きないし。暫く待ってたんだけど、あたしも眠くなっちゃってさ。ヤバいかな~と思いつつ、お邪魔しちゃったみたいな?」


 テヘッと荒川さんが冗談めかして舌を出す。

 ドキッとする程可愛くはあるのだけど。


「みたいな? じゃないよ! 荒川さんは女の子で、僕だって一応男の子なんだよ! それも思春期の高校生! 一緒のベッドで寝るなんて、は、は、は、破廉恥だよ!」

「あははは、だよね。マジあり得ない。眠すぎて頭バカになってたし。本当、相手が小山でよかったって事で、ごめ~んご、ウィンク♪」


 片目を瞑って荒川さんが誤魔化すけど。


「そんなんじゃ誤魔化されないからね! 絶対ダメ! 二度としないで!」

「いやしないけど。そんな怒る程嫌だった? って、そりゃ嫌か。あたし汗かきだし……ごめん。マジ反省……」


 僕の剣幕に、荒川さんはガチトーンで落ち込んだ。

 暗い空気に僕は焦る。


「い、嫌ってわけじゃないけど……。荒川さんの為に言ってるの! えっと、その、な、なにかあったら困るでしょ!?」

「なにかってなに?」


 ポカンと聞かれて僕は困った。


「なにって、その……ぁの……」

「あ。分った。エッチっしょ」

「言わないでよ!?」

「あははは! 小山顔真っ赤じゃん! 初心過ぎだって!」

「しょうがないでしょ!? 童貞なんだから!」

「あははは! 聞いてない! 聞いてないから!」


 荒川さんが爆笑する。

 確かに、聞かれてないのになに言ってるんだって感じだけど。


「笑う事ないでしょ!」


 恥ずかしくなり、僕は照れ隠しで怒った。


「だって面白いんだもん! あはははは! ごめんごめん! そんな怒んないでよ! あたしも普通に処女だし! これでおあいこって事で! あはははは!」


 荒川さんは身を捩って笑い転げるけど。


「え。荒川さん、処女だったの!?」


 ビックリして僕は言った。

 ノンデリ発言に慌てて口を押さえる。


「なに? もしかして小山、あたしの事ビッチキャラだと思ってたわけ?」


 ジト目で睨まれ僕は焦る。


「そ、そういうわけじゃないけど……」


 あんな夢を見てしまった僕だ。

 荒川さんを責める権利はないのだろう。


「いやまぁギャルだし? 普通に下ネタ言うからそう思われても仕方ないけど。リアルの恋愛に関しては慎重派って言うか? 安売りはしてないんでそこんとこよろしくって感じ?」

「だったら猶更男の子のベッドに入っちゃだめだと思うんだけど……」


 呆れるのを通り越して心配になってしまう。


「それな! まぁ、今回は特別だから。小山なら大丈夫っしょ、的なやつ」

「そんなの分かんないじゃん! 僕だって一応男の子なんだから! 魔が差して荒川さんの事襲っちゃうかもしれないよ!」


 ムキになって言い返すと、いきなり荒川さんが僕を押し倒した。



「残念でしたー。あたしの方が図体デカいし? てか、小山の方があたしに襲われる心配した方がいいんじゃ――」

「ぅ……ぁぅ……ぁぅ……」


 あんな夢を見た後だ。

 びっくして、僕は泣きそうになっていた。

 そんな僕を見て、荒川さんは息を飲んだ。


 領域を展開したみたいに、突然部屋の空気が変わった。

 張り詰めた沈黙の中に、ミンミンとセミの声が響いている。

 荒川さんの口が酸素を求めてパクパク喘いだ。

 大きな瞳が困ったように右往左往。

 暫く固まると、荒川さんはわざとらしく笑い出した。


「な~んちゃって! あはははは! 冗談じゃん? てか今何時? わ、もう一時じゃん! どうりでお腹空いたわけだ!」


 パワープレイで無理やり誤魔化すと、荒川さんがベッドから降りた。

 数歩歩いて、チラリと僕の顔色を伺う。

 その表情はイタズラを誤魔化す子供そのものだ。

 僕は溜息を吐き、一連の醜態を水に流すことにした。


「ていうか荒川さん、またそんな恰好で出てきたの?」


 呆れた顔で話題を変える。

 昨日散々反省したような事を言っていた割に、荒川さんは昨日と大差ない、ラフな短パンとTシャツルックだった。


「いや、普通に私服で来たけど。だるいから部屋着に着替えただけ」


 荒川さんが部屋の片隅に視線を向ける。

 着替えが入っているのだろう、大きなドラムバッグが転がっている。


「くつろぐ気満々じゃん……」

「そりゃそうっしょ。日中は基本小山の部屋に入り浸るつもりだから。気張った格好じゃ疲れちゃうじゃん! てかお昼中華でいい?」

「なんでもいいけど……作ってくれるの?」

「ううん。作ってきた。チャーハンと酢豚。レンジだけ貸して」

「それはいいけど、なんか悪いな……」

「いやいや。無理言って涼みに来てるんだからこれくらいトーゼンっしょ。小山にゴマ擦っとかなきゃ、追い出されたら灼熱地獄だし」

「どうせ暇だし、涼みに来るくらいなんでもないけど……」

「あたしが気になるの! てかお腹空いたし! 顔洗って、早く食べよ!」

「う、うん……」


 そんなわけで、お昼は荒川さんの手作り中華を頂くことになった。


「なにこれ。普通に美味しいんだけど……」

「こう見えて、料理は得意、みたいな? ギャルだからって舐めんなし?」


 軽率に飛ばされたウィンクに、僕の心臓はドキッとした。

 夏休み中毎日荒川さんが遊びに来る?

 今更になってその事に気付き、僕は慌てて俯いた。


「なにニヤニヤしてんの?」

「な、なんでもない……」


 なんて事は、もちろんないのだけれど。

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