第2話

「あ~……。最高~。クーラーマジ神。人類の生み出した文化の極みって感じ」


 荒川さんはエアコンの前に立っていた。

 気持ちよさそうにTシャツの前をめくって仰ぐたび、少しだけプニッとしたお腹が露出する。

 クーラーの冷たい風に乗って、女の子の甘い香りが流れて来る。

 その両方にドキッとして、僕は視線を逸らすけど、すぐにまた抗い難い荒川さんの引力に引かれて、チラチラとそちらを覗いてしまう。


「てか小山、あんがとね。シャワーに着替えまで貸してくれて。マジ感謝」

「……荒川さん汗だくだったし。あんな格好の女の子、ほっとけないよ……」


 そういう訳で、なし崩し的に僕は荒川さんを家に上げていた。

 だって荒川さんは汗だくで、立っているだけで汗がボタボタ滴る程だった。

 洋服だってびちょびちょで、ムチっとした身体のラインがハッキリわかるくらいピッタリ身体に張り付いて、ピンク色の巨大なブラがはっきり分る程透けていた。


 あれでは殆ど裸と一緒だし、裸よりもエッチかもしれない。

 いや、流石にそれは言い過ぎだけど、エッチな事には変わりない。

 そもそもの話、荒川さんみたいなわがままボディの女の子がピチピチのTシャツに短パンという格好で表を歩く事自体無謀というか危険というか、猥褻物陳列罪すれすれという感じがした。


 あんな格好で図書館に行ったら絶対に迷惑で、みんな読書どころではなくなってしまう。図書館に勉強をしに行っている子達だって勉強どころではなくなってしまう。行き帰りで変態に襲われでもしたら大変だ。

 だから僕は仕方なく荒川さんを家に入れ、シャワーを浴びて貰い、僕の部屋着を貸し、僕の部屋に招いて、冷たいジュースを提供した。


 もしかするとサービスが過剰だったかもしれないけど、友達のいない僕だから、友達を家に招くような経験がない。その上相手が女の子となると完全にお手上げだ。

 とは言え、相手はクラスの最上位カーストに属する荒川さんだ。ここで対応を間違って夏休み終了後にケチだとか意地悪だとか噂を流されたらただでさえ少ない学校での僕の肩身が消滅してしまう。

 だから多分、この対応は間違ってないと思いたい。


「あれね……」


 僕の言葉に荒川さんは恥ずかしそうにはにかんだ。


「冷静に考えるとヤバいよね。暑さで完全に頭バカになってたっていうか、あんなんただの痴女じゃん? てかママも止めてよって感じだし。いや本当、あのまま図書館行ってたと思うとゾッとするし。あはははは」


 仄かに頬を赤くしながら、荒川さんが照れ隠しで笑う。

 僕は安心した。

 荒川さんにも人並みの羞恥心があるらしい。

 同時に僕は少しバツが悪くなった。


 この通り、僕は冴えないチビ助だ。

 僕が貸した部屋着は、荒川さんには小さすぎた。

 元々着ていた部屋着もパツパツだったけど、今は輪をかけてパッツンパッツンだ。

 濡れてるわけでもないのにピッチリ身体に張り付いて、胸の形が丸わかりだ。結局ブラも薄っすら透けている。丈だって足りなくて、ちょっと動くとすぐにおへそが見える位置まで上がってしまう。短パンだって小さくて、パンパンに張り詰めた生地の悲鳴が聞こえてきそうだ。冗談ではなく、深く屈んだらお尻がビリっと破れるだろう。


 咄嗟の事で何も考えずに用意してしまったけど、結果的には最初よりも痴女い格好になってしまった。とは言え、これ以上大きな服は持っていないのだけど。

 なんにせよ、荒川さんにあらぬ誤解を与えるわけにはいかない。


「……ごめん。そんな服しかなくて……」


 真夏に食べるスコーンみたいにもそもそした言葉が口から零れた。

 言いたい事は頭の中にあるのだけど、緊張して上手く言葉に出来なかった。

 友達がいないから、他人と喋るのは苦手だった。

 女の子と喋る機会なんか皆無だから、余計に緊張する。

 格好が格好だし、恥ずかしくてまともに顔も見れなかった。


「なにが?」


 荒川さんはあっけらかんとしていた。

 委縮して豆粒みたいに縮こまる僕とは違って、十年来の親友みたいに気軽に話しかけて来る。

 そういう人だという事はなんとなく知っていたけれど、それでも僕は緊張した。だからこそ、余計に僕は緊張する。ドキドキして、口の中が乾いてしまう。


「なにがって……」


 僕は言い淀んだ。

 荒川さんが気にしてないのなら、触れなければよかったと思った。

 それを指摘したら、僕が意識している事がバレてしまう。

 でも、ここまで来たら言うしかない。


「部屋着……。小さいでしょ。僕、チビだから……」

「あー?」


 言われて気づいたみたいに荒川さんは下を向いた。

 胸元のプリントが魚眼レンズで撮ったみたいに膨らんでいる。


「いいのいいの! 汗だくで人様ん家に来といて着替え持ってこなかったあたしが悪いし。てか着替え借りといて文句なんか言わないから! むしろデブすぎてゴメンみたいな? 完全に伸びちゃってるし、これは後で弁償するから」


 恥ずかしそうな苦笑いを向けられて、僕は焦った。


「い、いいよ! 元々ゴミみたいな部屋着だし! 荒川さんに伸ばされるなら、そのTシャツも本望だと思うし! ていうか僕がチビなだけで、荒川さんは全然デブじゃないから!」


 気付いたら大きな声を出していた。

 荒川さんはキョトンとしている。

 自分が何を言ったのか理解して、僕は猛烈に後悔した。


「ぁ、ぅ、ぁう……。ご、ごめん……。い、今のはその、変な意味じゃなくて……。その、僕、友達いないし、女の子と喋るのも慣れてないから、緊張しちゃって……」


 言えば言うほどドツボだった。

 我ながら、キモすぎる言い訳だ。

 こんなの絶対嫌われた。

 新学期が始まったら、絶対に噂になってしまう。

 そう思って落ち込んでいると。


「あはははは。なにそれ、超ウケるんだけど」


 荒川さんはピチピチの短パンの上にプニッと乗っかるおへそを抱えて笑い出した。

 それが良い事なのか悪い事なのか分らなくて、僕は茫然としている。


「小山ってさ、いつも一人でムスッとして、なに考えてるか分かんなかったけど、結構可愛い所あるんだね。普通にあたしが悪いのにフォローしてくれるし、ちょ~良い奴じゃん」


 ニパっと太陽よりも眩しい笑顔を向けられて、僕は物凄く恥ずかしくなった。


「そ、そんな事ないけど……」


 火照ったニヤけ顏を見られたくなくて下を向く。


「いやいや、あるでしょ。てかあたし別に小山と仲良くないし。そんな奴がいきなり来て涼ませてくれる時点で良い奴確定じゃん。本当、小山が近所でラッキー! みたいな? もうこの際友達でよくない?」

「ぇ、ぁ、ぅ……」


 陽キャのライトニングマシンガントークを浴びせられ、僕の思考はショートする。


「あ、ごめん。イヤだった? あたしバカだからさ、ノリでベラベラ喋っちゃうんだよね。イヤだったら全然断ってくれてオッケーだから」


 イタズラっぽく舌を出し、荒川さんが指で輪を作る。

 慌てて僕はブンブンと頭を振った。


「い、イヤじゃない! こちらこそ、よろしくお願いします……」


 もっと他に言い方があっただろうと僕は後悔する。


「マジィ? やった~! そんじゃ小山、なにして遊ぶ?」

「え?」

「だって暇じゃん? ママの仕事終わるの夕方頃だし。それまで一緒に遊ぼうよ!」

「ぅ、ぅん……」


 荒川さんの勢いに流されるまま僕は頷く。

 断れる雰囲気じゃなかったし、断る理由も別にない。

 それなのに、僕はやましい気分だった。


 夏休みに荒川さんと一緒にお家で遊べるなんて。

 こんな奇跡みたいな事が有り得るのだろうか?

 夢かと思ったけど、僕は頬を抓らなかった。


 もしこれが夢ならば、醒めてしまうのは勿体ない。

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